傷は見えないまま
十歳の冬だった。
学校で家族について作文を書く宿題が出た。
「家族との思い出を書きましょう」
先生はそう言った。
教室のあちこちで鉛筆が動き始める。
「お父さんと釣りに行った話にしよう」
「お母さんと旅行したことを書く!」
みんな楽しそうだった。
私は白い原稿用紙を見つめたまま動けなかった。
何を書けばいいのだろう。
家族との思い出。
頭の中で何度も考える。
でも、すぐに書けるような思い出が見つからない。
母と遊んだ記憶。
一緒に出かけた記憶。
抱きしめられた記憶。
どれもぼんやりしていて、よく分からなかった。
先生が近づいてきた。
「どうしたの?」
私は慌てて首を振った。
「なんでもない」
本当は困っていた。
でも言えなかった。
放課後になっても原稿用紙は半分以上白いままだった。
結局、私は少しだけ作り話を書いた。
母と買い物へ行ったこと。
一緒に夕飯を食べたこと。
ありふれた家族の話。
みんなが書いているような話。
それを書けば目立たないと思った。
翌日、作文の発表があった。
友達は楽しそうに読んでいた。
笑い声も聞こえる。
私は自分の番が終わると、ほっとした。
誰にも気付かれなかった。
私が本当のことを書いていないことに。
家に帰ると、いつものように母はいなかった。
私はランドセルを下ろし、机の上に置かれた作文を見た。
先生から花丸がついていた。
「よく書けました」
そう書いてある。
でも私は少しだけ悲しかった。
褒められたのに嬉しくなかった。
だって、その作文の中には本当の私がいなかったから。
十歳の私は知っていた。
怪我をしたら傷は見える。
血が出れば誰かが気付く。
でも寂しさや悲しさは見えない。
誰にも見えない。
だから誰も気付かない。
私は今日も笑う。
普通の子どもみたいに。
何も問題がないふりをしながら。
見えない傷を抱えたまま。




