第25話 『女仕官』、国境を越える
「やあ――! やあ――!」
アンリエットは男の言葉通り、馬を追い続けた。
あのあと帝国兵の気配は消えたままだ。
男が言っていたように、数分で国境関門の巨大な石門が見える。
「ユリア様! もう大丈夫です! 国境が見えました――!」
アンリエットは振り返り、幌の中で必死に耐えているユリアに声を掛けた。
「――さっきの帝国兵は?」
「あの男と別れてから、追って来なくなりました。無事だといいのですが……」
「――そうですか。アン、もし次お出会い出来たら、相当のお礼をしなければなりませんね」
「ええ、そうですね――」
アンリエットはあの男が死んでしまっている可能性も捨てきれないと思いつつそう返す。
この国境の石門には、この国サウスリーゼ王国と隣国のレジルト王国の双方の警備兵が常駐している。
隣国との関係は良好で、いさかいなどもないため、越境にはなにも手続きなど必要ない。
昼間や朝ならば、多くの行商人や旅人、冒険者などが行き来している。
(一応形だけの門だが、こういう場合は助かる――)
と、アンリエットは胸をなでおろす。
アンリエットは馬の速度を落とし、門をくぐる。
これで、もう大丈夫だ。今はまだ、帝国もこの国境を越えては来ない――。
(ひとまず、逃げ切れたが……)
これからどうするか――。
陛下の命により、ユリアを連れて国外へ逃れ出たアンリエットだが、実際、行く当てがない――。
(レジルト王国とは長年友好関係が続いてきたことで、国境は簡単に越えられるが……)
――この国にはサウスリーゼ王国の大使館がない。
長年友好関係を続けてきた両国は、国境を開放しており、距離もそう遠くないため、必要なら往来すれば事足りる。
(仕方がない――。まずは、一番近い街に寄ってそこで一晩やり過ごそう。明日のことはまたゆっくり考えればいい)
「どうかしたのですか、アン?」
ユリア様が、アンリエットが考え込んでいる様子を見て気遣ってくれる。
「――いえ、大丈夫です。それより、もう少し我慢してください。このまま、レスラまで向かいます。もし、お辛くなったら、いつでもお声を……」
「大丈夫です、アン。私よりもあなたの方が心配です。無理はしないでくださいね」
「はい。お気遣いありがとうございます。ですが、この程度でへこたれるほどのものではありません」
「そうでしたね。アンは、近衛兵団の仕官でしたものね? では、私は幌に戻っていますね」
「そうしてください。お疲れでしたら少しお休みください。レスラまではもう少しかかりますので――」
あの男のことが気にかかるが、今は戻って確認するわけにもいかない。
もし、殺されてしまっていたらと思うと少し後ろ髪を引かれる。
(いや、もう考えるのはよそう。あの男もそれなりの計算があってのことだろう。あの男も同じ方向へ向かっていたとすれば、この先のレスラで何か耳に入ることもあるかもしれない――)
アンリエットは喉の手前まで何かが上がってくるような感覚を無理やり飲み込んで、街道の先を見据えた。
数十分後――。
街道は闇に包まれているが、遠くにレスラの街の明かりがぼんやりと光っているのが目に入る。
時間は――。
アンリエットは腕時計を確認する。
(3時半か――。まだ夜明けまで少しあるな――)
レスラに到着したら、馬も休めないと、これ以上走らせるのはまずい。
今もだいぶ速度を落として、すでに、並足で引かせている状況だ。
国境門を越えてしばらくはまた森が続いたが、今はもう草原の只中にいる。見通しもよく、街の明かりもあって、それほど暗くはない。
――タタッ、タタッ。
と、不意に耳に届く馬の蹄音。まさか――。
アンリエットは振り返って後方を確認した。
後ろから走り寄ってくる馬が一頭。ただ、さすがに遠くて何者かまではわからない。
(帝国兵はこの国には入れないはず……。たまたま同じ道を走ってきただけの行商か冒険者か――。それとも……)
――タタッ、タタッ……。
蹄音はもうすぐ後ろまで迫ってきた。
アンリエットは息を殺して押し黙る――。
「――おう! 言うとおり駆けたんだな? いい子だ。心配するな、追手はもう来ない」
「お、お前は――!」
並びかけるなり、馬上の男がアンリエットに声を掛けてくる。それは、さっき森で出会った男だった。
「追手は帝国兵だった――。でも、どうしてこんな場所で帝国兵になんか追われていたんだ?」
「それは――。 お、お前に答える必要などない!」
アンリエットは思わず反射的にそう返してしまった。相手は一応、「命の恩人」といっても過言ではないのだから、もう少し丁寧に応対すべきだったかと悔いる。
「アン――。この方が私たちを救ってくれたのでしょう? そんなに邪険にするものではありませんよ?」
幌から御者台に顔を出したユリアが、アンリエットをそうたしなめる。
「冒険者さま――でしょうか? 先程は助けてくださりありがとうございました。私の名は、ユリアディリア・レ・サウスリーゼと申します――」
アンリエットはその言葉を聞いた男の表情を注視する。
場合によっては、ここで斬り合いになる可能性もあるかもしれない。
「ふうん。なるほど――。君が、『神聖女』さまってわけか――」
男はただそう言った。
その表情から敵意らしきものは感じない。
が、冒険者など、何を考えているかわからないものも多い――。
「皆が勝手にそう呼んでいるだけです。私はただの女ですよ」
ユリアがそう答えるのを聞きながら、アンリエットは、この男が何を企んでいるのかと、頭と気を張りつめていた。




