殺し屋の仕事 2
ターゲットの男は高寺という。製薬会社に勤めている会社員、と社会的にはなっている。春姫は高寺の裏の顔を、まるで本人から聞いてきたかのような精度で伝えてきた。
「その会社、こっそりと毒薬を作ってるらしくてね」
「日本で?」
「日本にも怖い一面があるもんだよ。殺し屋って職業が実在したりね」
「その殺し屋に仕事を斡旋する女がいたりな」
「とにかく、その毒がヤバいらしくて。いやヤバくない毒ってなんだよ、って?」
「言ってないが」
「たとえば市販のビタミン剤と区別が付かない毒。他にも見た目は完全に飲料水の毒とか、いろいろ作ってる」
「毒じゃない普通の薬の制作に熱意を持って貰いたいものだな」
「で、ターゲットの高寺はその毒薬の研究チーフ。そいつを殺せば、毒の開発は頓挫ってわけ」
「そして会社には警告になるってわけか」
裏の世界というのはなんでもありだ。気の狂った金持ちやヤクザ、宗教集団。法律や道徳なんて踏み倒し、主義主張のためにやりたい放題やっている。そしてネット通販で買い物をするかのように、目的のために指先一つで殺し屋を使う。依頼主に興味はないが、おそらく同じ穴の狢なのだろう。
「実験で何人か殺しているらしいし、きっと極悪人だよ」
「悪人でも善人でも関係ない。依頼されたら殺す」
「君はアレだね。善悪とは無関係のところにいるね」
「最高の評価だ」
このときはこんな妙な展開になるなんて思いもしなかった。
高寺はカーナビを見ながら言う。「あと少しです」と。目的の地まで、永遠に着かないのでは不安になっていたが、安心する。
「犬が待っているんだったな」
「はい」
映画に出てくる犬の話をしたのも必然だったのかもしれない。
「ありがとうございます、柴さん。私の最期の願いを聞き入れてくださって」
極悪人というのを真に受けたわけではないが、会って話してみれば、高寺は毒で人を殺しているとは思えない男だった。
ホテルで飼い犬が待っている、最期に会わせて欲しい──それが高寺の願いだ。
気の迷いだと、春姫にからかわれそうだ。
だが、最終的に目的を達するのなら、このくらいの願いはさして問題ではない。最期になにを食べたいとか、言葉を誰かに届けて欲しいとか、そういうのは困るのだが。「自分で運転するから」とまで言われてしまったら、断る理由もない。
それに、ここで死ぬとエサをやる人がいなくて犬が餓死する、となれば流石に心が痛む。
「分かってると思うが、逃げようとしても無駄だからな。絶対に追いかける」
「逃げませんよ……でも、コンビニに寄ってもいいですか? ちょっとトイレに行きたくて」
これまた、断る理由がない。
お前は暢気すぎると評されたことがある。暢気なのは殺し屋としては致命的だろうか? そうは思わない──柴は暢気に考える。
高寺は落ち着いた手捌きでハンドルを回し、コンビニの駐車場に入っていった。
「でも、柴さんって、失礼かもしれないですけど、特徴のない顔をしていますよね。なんていうか、人混みに紛れたら、もう二度と見つけられないっていうか。あ、殺し屋としては利点ですか」
高寺は柴の返答を待たず、車から降りていった。柴は高寺がしっかりコンビニに入っていくのを確認し、背もたれに身体を預ける。ずっと座っていて疲れがあった。息を吐いて少しでも和らげようとする。
それから、柴は後部座席に置かれた高寺のバッグを取る。念のためだ。なにが入っているかを確かめねばならない。
柴には縁遠い書類の束、財布に定期、会社の社員証など、製薬会社関連のもの。それからペットボトルに入った水。家のものと思しき鍵。などなど。
それからひときわ目立つ、サバイバルナイフ。銀色に光り、刃先は誰かを傷つける瞬間を、今か今かと待ちわびているようだった。
「こんなので俺は殺せないが」
柴は独りごちる。殺し屋として、運動神経にはそれなりに自信があった。
高寺がなにを目的としてナイフを持ち歩いているのか、問いただしてみようか。面倒だし、やめておくか。しかし余計な障害は排除しておきたい。
柴はナイフを取り出し、ダッシュボードの中に突っ込んだ。もし警察に咎められたら大変だな、と暢気なことを考える。まあどうにかなるかと、暢気の付け足しもする。
他に気になるものはなさそうだ。
バッグを後部座席に戻し、柴は何食わぬ顔で高寺を待つ。
依頼を終えた後の達成感と充実感が好きだ。
あと少し。それで終わりだ。
***
道中で薄々察していたが、目的のホテルは並々ならぬ気品をまとった建物、高級ホテルだった。高寺の身なりからせいぜいビジネスホテル程度だと思っていたが、失礼ながら、意外だ。
地下駐車場に車を駐め、移動しながら高寺は言う。
「殺し屋ってやっぱり、復讐とかを請け負いがちなんですか?」
声が少し響く。あまり大きな声を出さないで欲しい。
「どうしてそう思うんだ」
「人が人を殺して欲しいって願う理由なんて、そのくらいじゃないかと思って。私を殺して欲しいと願った人も、私がたくさん殺した人の中の関係者じゃないかなって」
「さあ? 俺は差出人の思惑に興味はないから、知らないな」
「差出人? ……そうなんですね」
春姫曰く、毒の完成を恐れる何者かによる依頼だったようだが。わざわざそれを相手に伝える必要はない。
「柴さんは……」
高寺は呟く。そして肩から提げたバッグの中を手探りでいじる。
「どうした?」
「……復讐をどう思いますか?」
「なんとも」
柴は即答する。
興味はない。人が人に殺意を抱き、それを胸の内に秘めて墓場まで持って行くか、実行するか。そこに複雑な事情があろうと、当人でないのなら、鑑みる理由はないのだ。
「そうですよね、では……」
高寺はバッグから手を出す。ペットボトルを持ちながら。
「本当にすみません!」
瞬間、蓋は開けられていたようで、中の水がぶちまけられた。
いや、水などではないのだろう。春姫は製薬会社についてこうも言っていた。「見た目は完全に飲料水の毒とか、いろいろ作ってる」と。
咄嗟の判断だった。反射的に後方に飛び退き、飛沫の1粒すら当たらないように避けた。
だがそのせいで、高寺との距離が開いた。始末しなくてはならない相手は、柴から走って逃げ出す。靴音を響かせて、駐車場を駆ける。
柴はその背中を見送る。突然の出来事に、頭を落ち着ける必要があった。スマホで電話をかける。
「春姫」
「あれ、どうしたの忠犬君」
柴は毒を見下ろす。それは本当に水と遜色なく、もしや勝手に勘違いしただけで、ただの水なのではないかと勘ぐる。だとしたら、少し恥ずかしい。
「ターゲットに逃げられた」
「は?」
「逃げられた」
「聞き逃したわけじゃなくて。なにやってんの。早く追って追って! ワンワン!」
「いや、それは別にいいんだ」
高寺は地下駐車場から、自分の車から遠ざかっていった。となれば、高寺の目的は柴からの逃走ではない。仮に地上に出て、走って逃走を図ろうというのであれば、すぐに追いつける。それは問題にならない。
高寺の目的は逃走ではない。このホテルだ。
「ターゲットの会社は、ウイルス性の毒を作っているか?」
「そんな情報はないね」
「そうか、安心した」
「えーなになにぃ? そんなこと訊いてくる状況って、怖いんだけど」
「問題ないよ。終わったら連絡する」
春姫がなにか言いかけたが、柴は早々に通話を終えた。高寺が走って行った後を追う。ワンワン、と小さく声に出してみた。
ウイルス系の毒だったら、その場に残された水の後始末に困った。けれどそうではないようなので、放置して背中を向ける。
エレベーターの前まで行く。たった今、上昇していったようだ。階層を表示するパネルを見上げ、欠伸を噛み殺す。階数はどんどん上がっていく。どこに向かっているのか? 今に分かる。
雲行きはやや怪しい。最終的には達成する、としても。嫌な気配は漂い続けている。
おそらく、だが。
高寺の目的は──。
***
ホテルの客室フロア、16階にて、高寺はいた。
廊下で2人の男に取り押さえられていた。
「……これは?」
柴は1人に話しかけた。
「……申し訳ない」男は柴のことを客の1人だと思っているようだ。「こいつが少し、暴れ出したので。俺たちで大人しくして貰った」
柴は高寺を見下ろし、高寺は柴から目を逸らす。唇には血が滲んでいる。顔色は青い。
──お前の目的は、これだったのか。
「悪いがどこかへ行ってくれないか。こいつは俺たちでどうにかする」
男が言う。こいつに名付けるならブルドッグだな、と柴は省みて思う。
「従業員を呼んだ方がいいんじゃないか」
「必要ない」
だろうな。この男たちは騒ぎを嫌っている。多少不自然に思われても、自分たちだけで解決しようとするはずだ。
「そう言うな」
と、柴は高寺に手を伸ばす。
「おい、どこかへ行けと──」
その手を掴もうと、男の1人もまた、柴に手を伸ばす、が。
柴の腕は軌道を変え、蛇のように男の方へ伸びる。たいした力を込めていないような動きで男の手を弾いた。そして瞬間的に、柴は男の胸倉を掴む。冷静に、冷徹に、淡々と事を実行する。
男の身体が宙に浮く。
まるでサーカスのパフォーマンス。
風を切り、半円を描き、男は床に叩きつけられた。
「ぐえっ」と曖昧な呻き声を発して、男は気を失った。歯が折れたのか、ぱきりと音がした。
「……はっ?」
残った男は起こった出来事に唖然となっていた。相棒が腕を伸ばして、気を失うまで10秒と経っていない。現状を把握するのは困難だろう。
柴はその思考の隙を狙う。
どんっ、と音を弾かせて、柴は床を蹴った。男の背後に回り込む。男は反応するのがやっとだ。
柴は両腕を男の首に回す。ここに来て、やっと男は危機を察し、その腕を取り外そうとする。だがもう遅い。柴の腕は筋骨隆々というわけではなかったが、外せない。首を思い切り、締め上げる。2度、3度、男は柴の腕を叩いて抵抗する。唾液混じりの掠れ声が、断続的に響く。
レフェリーが10カウント数えるかのように、柴は秒数を頭の中で刻む。やがて、男の抵抗が弱まり、声も静かになる。殺すつもりはない。だから、完全に気を失ったと腕の中の感覚で分かると、ゆっくりと身体を床に寝かせた。
この間に、このフロアに人が来たらどうしようかと思ったが、まあ意外となんとかなるか、と気持ちを切り替えた。考えても仕方ないと諦めたというのもある。
「……さて」
1つ息を吐くと、柴は立ち上がり、高寺を見下ろす。
「柴さん……」
「高寺。嘘は良くないな」
子供を諭すように、ゆっくりと話かける。
「私は、殺される──」
「そんなことより、犬のことだ」
高寺はよろよろと身体を起こし、その場に座り込む。
「犬……」
「このホテルで待ってるというお前の犬のことだよ。なあ、そんなものはいないんだろ?」
餌をあげなくてはいけないという犬。本当にそれが目的ならば、こんな血迷ったことをする必要がない。
「お前のバッグを盗み見たとき、おかしいことに気づいたんだ。犬の餌をやるというのに、それらしいものがバッグにも車内にもないんだからな」
コンビニに買いに行ったのかと思えば、ただトイレに行くだけだった。
「そもそも、そんな奴はバッグの中にサバイバルナイフを仕込んだりしない」
「柴さん、バッグを漁ったんですね。どうりで、持ってきたはずのナイフがなかったわけだ」
高寺のバッグは離れたところに置かれていた。中身がはみ出している。高寺はここに来て持ち込んだものを使おうとしたのだ。
ナイフを、きっと、男たちに向けて使おうとして、どこかに消えてしまったのを知った。
「私の犬は……亡くなりました。車に轢かれてね」
「お前、依頼していたのか?」
「……」
「俺が受けなかった難題。あれは、お前の依頼、復讐だったのか?」




