殺し屋はヒーロー 2
少女は薄暗がりに目を凝らす。
誘拐された場所は廃工場とか、港近くの倉庫が相場だ。埃が舞っていて、普段の掃除を怠っている感じだ。耳を澄ますとなんの音もしない。波の音も。となると、港近くの倉庫の線は薄くなる。
とはいえ、どこでも変わらない。ここから抜け出せる可能性は低く、助けも期待できない。ひとけはないし、大声を出せば誘拐犯を怒らせるだけに終わりそうだ。
「落ち着いてるね」
仲間の少女は霧生という。霧生は少なからず憔悴している様子だ。
「泣き喚いてもどうしようもないから」
「あんた、名前は?」
「佐藤」少女はぶっきらぼうに答える。
「それ本名?」
「なんでもよくない?」
偽名でもなんでも。これを機に友情を感じて、交流を続けようとするわけでもないのだから。
「佐藤、ここに連れてこられる前に見たんだけど、あんたのバッグに犬のストラップ付いてたでしょ」
「え」
付いていた。確かに。ガチャガチャで出たストラップを、特に理由もなく付けていた。
「あれさ、あたしも付けてたんだよね。バッグに」
「お金持ちもあんな300円のストラップ付けるんだ」
「思ったんだけど、誘拐犯はあれを目印にしてたんじゃないかな。それであたしとあんた、どっちか分からなかったから、とりあえず2人とも攫った」
「だとしたら……」
なんて迷惑な話だ。300円のストラップが命の危機に繋がるなんて、人生は不思議だ。
「気の毒だと思うけど、もしかしたら助けが来るかも」
「助け。たとえば?」
と言うと、霧生の歯切れは悪くなる。思いつきで口にしただけのようだ。イメージとしては、お金持ちの家に仕えるボディガードたちが結集して自分たちを助けにやってくる。けれど、霧生の反応からして、そんな期待はできなさそうだ。
「助けか。誰も来ないかもな」
少女は遠くを見つめ、呟く。
「誰か、いないの」霧生は訊ねる。
「こんな状況を打破してくれる人はもちろん、親もいないし」
気まずさがこの場をさらに暗くする。一年前に死んだ両親のことを考えるが、浸る感傷も特に見当たらず、思考をすぐに元に戻した。
残る期待は、霧生の身内が取引に応じ、素直に身代金を渡すことだ。霧生の身柄は無事に保護される。そのついでに、自分も助かる。
──はたして、本当に助かるのだろうか?
少女は薄暗がりに目を凝らす。
小部屋に誰かがやって来る。それが助けであるとは、到底思えなかった。
○○○
搭乗口がある。だが柴には地獄の口にしか見えていない。十数分後、自分はあの口をくぐって飛行機に乗り込む。その先はまさに地獄で、遥か上空に身体は飛んでいく。絶対に乗るまいと決めていた飛行機に乗る。乗るというより、連れ去られるような気持ちだ。
「どうしたの。地獄の口でも見たような顔しちゃって」
「まさに、だな」
「顔が白いよ。そんな怖いってさ、過去に乗ったことあるの? そうじゃなきゃ変でしょ」
柴は小さな唸り声を上げる。
「幼い頃、両親に海外へ連れて行って貰った。そのときの飛行機が、原因は分からないが、不時着寸前になったんだ。激しい揺れ、乗客の悲鳴、軋む音に酸っぱい臭い……最悪だった。幸いにして立て直し、近くの滑走路に緊急着陸したわけだが、あれ以来俺は飛行機との縁を切った」
「最初から縁はないでしょ」
柴は苦々しい記憶を噛みしめ、眉間に皺を寄せた。
「そして両親はトラウマを克服させようと、俺に飛行機の事故映像をたくさん見せるという暴挙に出た。わざとトラウマになった状況を再現して慣れさせようという心理療法も存在するが、素人がやるものじゃない。結果として俺は飛行機が完全に駄目になった」
春姫は乾ききった声で笑う。
「可愛いエピソードだね。他の人にはしないでよ。殺し屋としてはマイナスイメージだから。
でもさ、もしかしたらこの仕事が終わる頃には、トラウマを克服できたりして。最終的に、国内国外問わず殺しを行う最強殺し屋誕生! どう、このオチ?」
「いいか。物事に必ずドラマチックなオチがあると思うな。あっさりでいいんだ。何事も、あっさりが」
布の擦れる音と、小さく物を叩く音がする。ふと真下を見れば、気がつかないうちに酷く貧乏揺すりをしていたようだ。意識していなかったが、脈拍も早くなっている。
なるべく逸らしていたいが、搭乗口に目をやる。男が1人、恐ろしい口に飲まれていくところだった。その男は脚が悪いのか、右脚をかばいながら歩いていく。どこかで見たような顔だが、記憶を辿っている場合ではない。
「面白いなあ」
「なにが」
人の恐怖を面白がられては不快だ。
「柴が飛行機を怖がるのって、落ちるかもしれないって思うからでしょ? それって突き詰めると、死を怖がってることにならない? 君は殺し屋なのに、死が怖いの?」
考えたこともなかった。怖いものは怖い。そこに理由の有無は関係なく、心に強く刻まれた恐怖は、思考を超越して身体を震わせる。
「死は、誰だって怖いだろ」
「意外。書いて残しておきたいな。殺し屋の声って見出し付きで」
「爆弾処理班だってそうだ。爆弾は誰だって怖いが、彼らは責任を持って爆弾を解除する。俺も同じだよ。責任を持って人を殺す。恐怖は関係ない」
「郵便配達員の次は爆弾処理班か」
責任。殺人鬼と殺し屋の違いだ。主義思想があるわけではない。できるから、やる。爆弾処理班は爆弾を処理できるから、やる。責任だからやる。人を殺すことができるからやる。
「じゃあ、責任を持ってやってよね。飛行機内での殺しをさ」
「責任だけで仕事はできない、と俺は思うんだ」
「だからあたしが来てるんでしょ。サポートのために」
親子連れが搭乗口に向かう。母親の手に連れられ、子供がはしゃいでいる。飛行機に興奮していながらも、緊張している様子が見て取れた。
今、あれと同じなんじゃないか。柴は別の意味での恐怖を覚えた。
***
搭乗したばかりだと人が詰まっている。事を実行に移すには、飛行機が離陸してからだ。少ない荷物を上の収納に入れて、席に着く。次々に席に着く乗客を見送りながら、呼吸を整える。仕事をしやすいように通路側に座ったのだが、これで良かったのかと不安になってきた。あらゆる選択が不安材料だ。
酸素が薄い気がする。息苦しい。まだ空を飛んでいないというのに、機内の後ろでエンジンのような音がする。それだけで気が急いてきた。
「そわそわしすぎ」
隣で春姫がたしなめる。どうして彼女は落ちついていられるのかと疑問に思う。
「シートベルト付けるの早すぎじゃない?」
「……」
「将軍の座席、確認した?」
「……ああ」
近くだったらまだ良かったのだが、中央列の座席を挟んだ反対側の位置だ。
座席のランクはエコノミー。目立たないようにしているのだろう、と推測する。ランクが高くなればなるほど不審な行動が目立ちやすい。エコノミーなのは都合がよかった。
「それで、どうやるつもり?」
「首に注射を」
「それは分かってるけど、具体的にはどういう手順を踏むのさ」
どういう手順? 決まっている。ターゲットが座って、油断している隙を伺い、近くの席に移動する。そして──。
移動。離陸して、雲の上を跳んでいる最中に?
イメージできなかった。夢物語を空想している気分だ。振動する床、騒ぐ乗客、降下する機体……。
「着陸したらもう、アメリカだから。条件に反しちゃう。タイムリミットは空を飛んでいる間。オーケー?」
「……」
いっそのこと離陸前になんらかのトラブルで欠航してしまえばいいと柴は願った。なにか起こるとしたら、このタイミングでいい。
だが願いも虚しく、離陸のときはやって来る。独特の緊張感が機内に充満し、鳴動するように飛行機が震え出す。振動は徐々に激しさを増し、やがて滑走路を動き出したのだと分かった。シートベルト着用を促すアナウンスが流れているが、柴には聞こえていない。
柴は平静を装おうとしていた。それを必死にやっているため、平静になりようがない。腿のあたりで握り拳を作っているが、手汗が酷い。全身が筋張っている感覚だ。
「離陸するよ」
「いらないことを言うな」
ふわり、とは遠いが、身体が浮いていく。ああ、もう助からないのだな、と頭が冷えていく。貧血を起こしているのかもしれない。
「う……」
「え、吐く? エチケット袋あるよ」
意識が頭の先から飛んでいき、自分の制御から離れて彷徨っている。目が回る。足が震える。
「春姫」
「なに」
「少し眠る。安定したら起こしてくれ」
「は?」
柴は目を瞑る。浅い息を整える。
「ちょっと……」
春姫が苦言を呈そうとするが、柴はすべての音をシャットアウトする。次に目を開けたときはきっと飛行中だ。安定すれば殺しもやりやすくなると、希望を抱いた。
だが、希望とは打ち砕かれるものだ。予測が裏切られるように、それは決まり事なのかもしれない。




