殺し屋はヒーロー 1
少女は誘拐された。
「テスト勉強しなくちゃな」とか「夜なにしようかな」とか、女子高校生然とした日常的で退屈な思索を巡らせながら歩いていると、車で攫われて、見知らぬ建物に押し込められた。
目隠しが取られたとき、場所は暗がりだった。小さな部屋に閉じ込められているようだ。
少女は後ろ手に手錠をかけられ、肩が凝ってきたな、と思いながらもどうしようもない状況に辟易していた。なんでこんな目に遭わなければならないのかという苛立ちと怯え、それから非日常な展開への高揚もあった。
運良く、と言っていいのか、少女には仲間がいた。少女の仲間は、また少女だ。
仲間の少女は疲弊した顔で言った。
「ねえ、あなた。たぶんあたしの巻き添えだよ」
「巻き添え?」
少女は怪訝な顔をして訊ね返す。
「あたしの家ってお金持ってるから」
嫌味? と思ったが、その表情は純粋だった。
「どうりでおかしいと思った。なんの取り柄もない女子高校生が誘拐されるいわれなんてないから」
「なにかしら取り柄はあるんじゃない?」
「デジタルに明るいくらい」
仲間は小さく肩をすくめる。
誘拐犯は金銭目的のようだ。だとしたら人質にされたということ。相手側が応じなかったら殺されるかも。とはいえ死の恐怖を感じるには唐突すぎて、実感が湧かない。
小部屋の隅々まで目を凝らす。けれど脱出の鍵もないし、気を紛らわせるなにかもない。現状、どうしようもない。諦めるしかないのかもしれない。
少女は誘拐された。
不運にも巻き添えで。
○○○
柴は明瞭に、力強く、簡潔に言った。
「承らない」
それから空を見上げる。名も知らない鳥が飛んでいた。彼らは風を掴み、羽で浮き上がり、推進力を作って空を飛ぶ。理解できる。
しかし、飛行機とはなんだ。あれだけ巨大な鉄の塊が、鳥と違って軽くもなく巨大な体躯が、どうして空を飛んでいるのだ。理解できない。
春姫は拝むようなジェスチャーを片手で行う。
「君しかいないんだよ。殺し屋業も人手不足なわけ。お願い!」
「断る。どうして、よりにもよって──」
もう一度空を見た。恐ろしいものからは、逆に目を逸らせないということだ。
「飛行機内での殺しなど、俺は絶対に嫌だ」
この世のなによりも、飛行機が怖い。
柴はなにがなんでも依頼を断る気でいた。だが依頼の内容と、春姫の油汚れよりもしつこい懇願によって、結局は受けることになる。受けることになる──のだろうな、という予感はこの時点でしていたのだが、諦めずに抵抗を続けていた。
「かっきりきっちり、依頼内容を整理するよ。依頼は……」
「依頼主には興味がないのだが」
「いいから聞く。ターゲットはテロリスト。ウイルスをばらまいての大量殺人を企てている」
「風邪をひいて、くしゃみをしまくるとか?」
「ターゲットは飛行機に乗り、ハワイに向かう予定。ハワイには現地住民だけじゃなくて観光客も多いから、ウイルスがばらまかれたときの被害は国の問題にも発展する」
柴はややあってから、疑念を口にする。
「ハワイってどこにあるんだ?」
「冗談でしょ?」
「俺は国内のことしか知らない。なんせ海外に行くことなどないのだからな。オーストラリアとかのあたりか」
「アメリカ。なんでちょっと得意気なの。そんなことより問題なのが、ターゲットの動向。予測より素早くて、今日中に日本を発つらしいの。彼が乗る飛行機に乗り遅れると、彼のテロを許すことになる。なにがなんでも飛行機に乗ってぶっ殺すしかない」
「予測って誰がしてるんだ。外すなよ」
「知らないようなら教えてあげるけど、予測は外れるから予測なんだよ」
「ハワイとやらに着いてから、テロを起こす前に殺すのでは駄目か?」
「それが厄介な条件なんだけど、日本の法の中で死んで欲しいらしいの」
「どういう意味だ」
「飛行機の中の法律って気にしたこと……ないだろうね。飛行中の機内で事件が起きた場合、飛行機が属してる国の法律が適応されるんだよ。日本から発つ飛行機では日本の法律が。まあケースバイケースでもあるんだけどさ。だから飛行機内でぶっ殺せば、日本の法律で処理される」
「ケースバイケースなんだろ?」
「まあそこは、あたしが上手いことやるよ」
柴は苛立たしげに腕を組み、人差し指で腕を叩く。
「思ったんだが、言っていいか」
「許可しまーす」
「飛行機の中に入る前に、空港で殺せばいいだろ」
「そうなんだよね」
春姫は微笑して頷く。
「問題はね」と、春姫はハンドルを切った。柴の身体が慣性に負ける。
車は高速道路に入っていく。空港に向けて、タイヤを速めた。
「空港でやろうにも、時間的にキツいってことなんだよね」
「予測した奴、クビにしろ」
「予測は外れるものだから」
***
空港に着くと、2人はとにかく急いで手続きを済ませた。
柴はポケットの中で注射器を弄ぶ。機内で首の折られた遺体が見つかれば、まず騒動になり、降りることすらままならない。使う手段は毒だ。頸動脈に突き立て、病死に見せかける。
「保安検査場、突破できる?」春姫は訊ねる。
「検査員もプロだ。簡単じゃない」
「じゃあ無理?」
「残念ながら、俺もプロだ。突破できる」
「頼もしい」
そしてさらに残念なことに、テロリストもプロだ。彼が持ち込むウイルスも、保安検査場を突破する。検査員を責めるのは流石に酷だ。
「あ」
春姫は周りを憚って、小さく指を差した。差された先を見れば、インド風の顔立ちをした男が歩いていた。漆塗りを思わせる髭が口周りを覆っている。目は妙に輝いており、明日への希望を夢見ている、そんな様子だ。
「テロリスト」
「将軍って感じ。そう呼ぼうか」
将軍は保安検査場に向かっているようだ。
柴はすぐに立ち上がる。
「ちょっと。なにしてんの」
「ここで殺せば飛行機に乗らなくて済む」
「そりゃそうだけど」
柴は将軍の後を追い始める。追い越しがてら首に注射針を刺す。それで飛行機に乗らずすべてが丸く収まる。大団円だ。
柴は早足で歩む。将軍の背中は緩慢で、すぐに距離は詰まる。あと数メートルの距離。腕を伸ばせば届く距離。
そこで、柴は警備員に止められる。
「あの、大丈夫ですか」
警備員の1人が柴と将軍の間に立つ。大丈夫ですか、という言葉と裏腹に、心配ではなく疑念が声色に乗っていた。警備員は2人いて、片方が柴の頭から足先までじろじろと観察する。
「大丈夫だ」とやり過ごそうとするが、そうもいかない。「大丈夫だから」
「検査は時間通り進みます。急ぐ必要はありませんよ」
「ここで急がないと、飛行機に乗らなくちゃいけなくなるんだ」
「え、乗るために来てるんですよね?」
「乗らないに越したことはないんだ」
「えっ」
すると柴の服の裾が掴まれる。
素早く引き離そうとするが、その手が春姫のものだと分かると、観念して力を緩めた。
「すみませーん。連れはちょっと、飛行機が怖くて」
「なのに、乗るんですね」
そういう人もいるだろ、と柴は鼻白む。
「興奮しちゃってるみたいです。落ち着かせますね」
「はは。楽しめるといいですね」
警備員はにこやかに言うが、視線は去る2人の背中を追い続けていた。
「勘弁してよ。君の顔は忘れられても、あたしは覚えられちゃうんだから」
「仕事熱心なのも考え物だ」
春姫は重々しいため息を吐く。
「諦めて覚悟を決めて。君はテロを防ぐヒーローなんだから」
「殺し屋がヒーロー?」
柴は鼻で笑った。
窓の外で飛行機が離陸する。あれに乗るんだ、と思うと、今まさに空中にいるような感覚に襲われる。足下になにもなく、風と重力によって身体の向きがめちゃくちゃになる。地面に向けて真っ逆さま、というところで、春姫に背中を叩かれて、はっとする。
「君はヒーローだよ」




