岡崎と殺し屋 2
岡崎が通っていた大学では、入学式に何故かエコバッグが配られた。入学祝いのつもりなのだろうが、とてもしょぼくれていて、大学の程度にふさわしい贈り物だな、と岡崎は感じた。
そのエコバッグには大学のロゴとマスコットが描かれており、はっきり言って、ダサかった。いったい誰が持ち歩いて使うのかと訝しんだものだが。
それが、いた。持ち運ぶ人。
「一円を笑う者は一円に泣くんだよ」
「いや、エコバッグを持つ理由はいいんだけど」
由乃との出会いは岡崎の実家近くにあるスーパーだった。例のエコバッグを手から提げていたのを見て、思わず「あっ」と声を出してしまった。歳も近いように見えたため、同じ大学の学生だという驚きと、それを使う人いたんだという驚き、2種の驚きが同居した。
「使わないのももったいないでしょ」
「でも、ダサいよ」
「ダサさに負けて無駄金を使うのは馬鹿げてる。わたしはそう思うな」
「なるほど……」
真面目に言われると、反論のしようもなく、頷くしかない。
「でもその割にはここで卵を買うんだな」
岡崎は由乃のエコバッグに入った卵を覗いて言った。
「え?」
「ちょっと遠いけど、駅の向こう側にあるドラッグストアに行くと安いんだよ」
「嘘、マジ? ねぇなんで今更そんなこと言うのさ?」
「今初めて会ったんだからしょうがない」
「早く言ってよ!」
二度あることは三度ある。逆に言えば、一度あることは当然のように二度あるものだ。また別の日、岡崎は駅の向こうに行ってみた。なんとなく、予感があった。
その予感は大当たりし、由乃が卵を買っていた。あのダサいエコバッグを持って。
「あ」
「また会ったね」
「もしかしてストーカーしてる?」
「だったら大学で話しかけてるだろ。同じ大学なんだから」
「あ そっか」
物事とはどう転ぶか分からないもので、そのダサいバッグがきっかけとなり、由乃との交流が始まった。家も近く、大学でもお互いを見つけ、楽しい時間を過ごした。卵が焼かれて固まっていくように、2人の恋心は徐々に形になっていった。
「後悔なんてしないで生きていたいの」
由乃がその言葉を呟いたのは、自転車で海まで行こう、と果てしなく感じるほど長い道を走っている最中だった。海のない県からペダルを漕ぐには、後悔を覚えずにはいられなかったのだ。
けれど由乃は言い放つ。
「後悔したくないから、海まで自転車で行く。やりたいことだらけの人生、後悔なんてエネルギーの無駄!」
「エネルギー?」
「だって、後悔って凄いエネルギー使うんだよ。だったらしない生き方を選ぶ方が、結果的にお得」
「君って……無駄とかエコとか、そういうのばっかりだ」
でも、そこが良いと感じた。確かに、そうなのかもなと納得させられたりもした。
岡崎は疲弊した脚に力を込め、ペダルを強く踏み込んだ。風の音が鼓膜を揺らし、汗が額から後方に流れる。由乃の自転車を追い越して、さらに先へ進んだ。
「早く行こう!」
言ってから、これは全然エコじゃない行為だな、と思った。
***
そして復讐もまた、エコではない。
由乃を殺したのは結果だけ見れば、加美屋に煽動された群衆ということになる。だからといって、復讐の怨嗟を彼らに向けてもどうにもならない。なにより、きっかけの加美屋は反省してない。元凶を根絶しないと意味がないのだ。
岡崎は腕時計を見下ろす。18時45分。あと15分ですべてが終わる。
「それ、良い時計だね」
「ああ……」
草薙はまだ近くにいた。できれば別のところに行って欲しい。死に様を見るため、時間には加美屋の近くにいたいのだ。
「誰かからの贈り物?」
「……どうして?」
「なんか、そんな気がしてってだけだけど」
「うん……恋人からの贈り物」
由乃がくれた腕時計だ。節約家の由乃が誕生日に買ってくれた。
「浮かない顔だね」
「もう、いない恋人だ」
「それは、悪いことを聞いちゃったか」
そう言うと、草薙はしばらく佇んでいたが、気まずさを感じたらしく、どこかに去って行った。都合がいい。
周りを見渡す。殺し屋、柴らしき男は見つからない。一般人が探して見つかるようでは殺し屋とは言えないだろうが、彼の言うとおり顔が覚えられないとすれば、もしすれ違っていたとしても分からないのだろう。
いったいどんな殺し方をするのか。毒殺か、すれ違いざまに刺殺するのか。はたまた、どこからか射殺するのか。
──そこまで考えてから、ぞっとする。そして思わず笑い出しそうになった。
自分がこれから行うのは、殺人だ。殺し屋という凶器を使う殺人。契約の際に、女性の方が言っていたことを、改めて実感する。
分かっている。加美屋は邪悪だ。直接手を下していないだけで、人を殺す悪人だ。必ず罰せられなければならない。罰せられなければ──。
我知らず、加美屋の近くに来ていた。慌てて時計を見ると、50分。残り10分だ。そうだ、どっちにしてもあと10分だ。今更悩んだところで仕方ない。
近くにいたウェイターが、加美屋の空いたグラスにワインを注いだ。まさかあれに毒が混入させられているのではないか? まるで悪戯を仕組んだ子供のような心地だが、洒落になっていない。
すると、眼の前に神谷の顔があった。
突然のことで、わけが分からずのけぞった。
「岡崎さん」
加美屋はうやうやしく声をかけてきた。相変わらず、気味の悪い笑顔を貼り付けて。
「ど、どうかしましたか」
「いや、パーティを楽しんでくれているかな、と思って」
「楽しんでますよ」
「ちょうどいい。岡崎さんに見てもらいたいものがあって」
嫌な予感がした。初めてパーティに参加した自分なんかに、そんなものあるはずがない。
「ついてきてよ」
しかし、逆らえなかった。周囲の目もあったが、それ以上に加美屋の冷たい眼が、有無を言わさぬ迫力を秘めていたからだ。
「いったい、なんですか」岡崎の背中を追いかける。広間を出て、廊下に出た。「僕なんかより、他の方々が話したがっているでしょう」
「後でいくらでも話せるさ」
「どこに連れて行くつもりなんですか」
「岡崎さんって、どこかで見た気がしたんだ」
「え」
どこかって、どこですか。街中とかですか。
「俺、結構記憶力に自信があってね。まあこういう仕事してると役立つんだけど」
加美屋は立ち止まる。人の気配がしない廊下の真ん中で。誰にも聞かれたくない秘密の取引でもしようというのか。いや、それすらも希望的観測だ。これから起こることは、おそらく、もっと。
「岡崎さん、あんた、恋人がいたんだって?」
「あ……」
何故、知っている。いや、そんなの分かりきっているじゃないか。
草薙だ。あいつが、喋ったんだ。自分から喋るとは思えないし、加美屋が事前に訊ねろと指示していたのかもしれない。腹の内では探り合って、利益を得ようとする草薙は、喜んで協力する。
「あんたは俺が成り上がるきっかけを作ってくれた、あの女の復讐に来たんだ」
違う、と言わせてくれなかった。後頭部を強く殴られた。気配はなかったはずなのに、いつの間にやら忍び寄られていたらしい。開きかけた口から、唾液と掠れた息が漏れた。「違う」よりも「なるほど」と言いたい気分だった。
かろうじて残っていた意識で、伸びた腕についた時計を見た。
18時53分。
加美屋はぴんぴんしている。これから死ぬ男には見えない。
生き生きとした心からの笑顔で、岡崎を見下ろしていた。




