第7話「見なくても、分かる」
朝、宿の部屋で目を覚ました蒼太は、しばらく天井を見つめたまま動かなかった。
昨日の遺跡での出来事が、まだ頭に残っている。
読めないはずの古代文字が、当たり前のように読めた。
「対象物があれば」というのが、これまでの前提だった。
けれど、その前提そのものが、本当に正しいのか。
「試すの、ちょっと怖いんだよな」
蒼太は、ぽつりとつぶやいた。
昨日は、そう思って、疑問を後回しにした。
けれど、一晩経っても、その疑問は消えなかった。
むしろ、はっきりと形になって、頭の中に居座っていた。
「……まあ、今日は依頼もないし」
今日は、ガレスたちとの約束もない。
健太たちも、それぞれの仕事に出かけている。
久しぶりに、一人でゆっくりできる日だった。
「じゃあ、ちょっとだけ、試してみるか」
蒼太は、着替えを済ませると、宿を出て、街外れの小さな丘に向かった。
道すがら、市場の前を通りかかると、いつもの露店の老婆が店を開けているのが見えた。
「おはようございます」
「おや、鑑定の兄さん。今日は依頼はないのかい」
「今日はオフです。ちょっと考え事があって」
「珍しいねえ。まあ、たまには休むのも大事さね」
老婆と軽く言葉を交わしてから、蒼太は再び歩き出した。
街の喧騒が、少しずつ遠ざかっていく。
人目のない、静かな場所。
昨日読んだ石板のことを思い出しながら、蒼太はその場に腰を下ろした。
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「よし」
蒼太は、大きく息を吸って、目を閉じた。
何も見ず、何も触れず、ただ頭の中で問いかけてみる。
「王都の地下に、何があるんだろう」
自分でも、こんなことを聞いて意味があるのか、半信半疑だった。
けれど、次の瞬間。
――王都の地下には、旧王朝時代に築かれた地下水路が広がっている。現在は一部が下水として使われ、一部は封鎖されている。かつては避難路としても機能していた。
情報が、頭の中に、すっと浮かんできた。
「……は?」
蒼太は、思わず目を開けた。
心臓が、大きく跳ねる。
何も見ていない。
何も触れていない。
ただ、頭の中で「知りたい」と思っただけだ。
なのに、答えが出た。
「マジかよ」
蒼太は、しばらく呆然と座り込んでいた。
風が、丘の草を揺らしている。
その音だけが、やけにはっきりと耳に届いた。
「いや、待て。もしかして、たまたまか?」
蒼太は、自分に言い聞かせるように、もう一度気持ちを落ち着けた。
昨日、遺跡で古代文字が読めたのも、最初は信じられなかった。
けれど、あれは、目の前に石板という「対象物」があった。
今回は、それすらもない。
「本当に、これで合ってるのか、確かめないと」
蒼太は、深呼吸をしてから、もう一度、目を閉じた。
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「もう一回、試してみるか」
震える手を、なんとか落ち着けながら、蒼太はもう一度目を閉じた。
今度は、もっと別のことを考えてみる。
「この国の歴史、教えてくれ」
思った瞬間、また情報が流れ込んできた。
建国の経緯。
歴代の王の名前。
過去に起きた大きな戦争。
魔王軍との対立が始まった時期。
膨大な情報が、頭の中を駆け巡っていく。
「うわ、うわ……」
蒼太は、思わず声を漏らした。
情報量が多すぎて、頭が追いつかない。
けれど、混乱はしなかった。
まるで、最初から知っていたことを、一気に思い出しているような感覚だった。
「これ、本当に、なんでも分かるのか……?」
蒼太は、恐る恐る、さらに別の問いを頭に浮かべてみた。
「魔法学院の場所」
「隣国の名前」
「この街で一番大きい商会」
そのたびに、答えが、当たり前のように浮かんでくる。
まるで、蒼太自身が、最初からこの世界のすべてを知っていたかのように。
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「……落ち着け、俺」
蒼太は、深呼吸を繰り返しながら、必死に気持ちを整理しようとした。
これまでの前提が、根底からひっくり返った気がした。
「対象物があれば、知識が分かる」
そう思っていた。
けれど、実際は違う。
対象物なんて、なくてもいい。
「知りたい」と思うだけで、答えが出てくる。
「じゃあ、本当に、なんでも分かるのか?」
そこまで考えて、蒼太は、少しだけ怖くなった。
試すのが怖い、というより、確かめるのが怖い。
もし、本当に「なんでも」分かるのだとしたら。
その力の大きさは、蒼太が想像していたものを、はるかに超えている。
「いや、さすがに、そんなことは……」
蒼太は、頭を振って、その考えを一旦脇に置いた。
今すぐ、すべてを確かめる必要はない。
「少なくとも、今分かったのは」
蒼太は、丘の上に座ったまま、指を折って整理してみた。
対象物があってもなくても、知識鑑定は発動する。
しかも、その範囲は、かなり広い。
「これ、確かに、鑑定なんて呼べる代物じゃないよな」
蒼太は、乾いた笑いを漏らした。
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「でも」
蒼太は、ふと、別のことを試してみたくなった。
「他人のことも、分かるのか?」
たとえば、健太の過去とか。
美穂の家族構成とか。
そういう、個人的なことまで、勝手に分かってしまうのだろうか。
試そうとして、蒼太は、手を止めた。
「……いや、これは、やめとこう」
なんとなく、そこには手を出したくなかった。
物や場所についての知識ならともかく、他人の内面や個人的な事情まで、勝手に覗き見るのは、なんだか違う気がした。
「知れることと、知っていいことは、別だよな」
蒼太は、自分の中で、そんな線引きを決めた。
理由は、うまく説明できない。
ただ、なんとなく、それをしてしまったら、自分が自分でなくなるような気がした。
「まあ、そういうのは、今後もやめとくか」
蒼太は、そう決めて、丘から立ち上がった。
ふと、もう一つだけ、気になっていたことを思い出した。
「そういえば、魔王軍って、実際どんな状況なんだろう」
召喚された日、王城で「魔王軍が勢力を拡大している」と説明された。
けれど、具体的にどういう状況なのか、詳しくは教えられていない。
蒼太は、もう一度腰を下ろして、目を閉じた。
「魔王軍の現状について」
思った瞬間、頭の中に、情報が流れ込んできた。
魔王軍と人族の国々が、長年にわたって小競り合いを続けていること。
ここ数年は、大きな戦闘こそないものの、国境付近での緊張状態が続いていること。
そして、魔族の側にも、必ずしも戦争を望んでいない者が多くいること。
「あれ、思ったより、緊迫した感じじゃないな」
蒼太は、少し意外に思った。
王城での説明は、もっと切迫した危機のように聞こえていた。
「まあ、勇者召喚するくらいだから、それなりに深刻なんだろうけど」
蒼太は、そう自分を納得させながら、頭の中の情報を、いったん整理して脇に置いた。
今の自分には、直接関係のない話だ。
魔王討伐は、蓮たちの役目であって、自分の役目ではない。
そう思っていた。
「まあ、俺には関係ない話か」
そのときの蒼太は、まだ知らなかった。
この魔王軍との関係が、いずれ自分の会社を通して、まったく違う形で繋がっていくことになるとは。
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宿へ戻る前に、蒼太は、もう一つだけ試してみたいことがあった。
「せっかくだから、実用的なことも聞いてみるか」
丘の斜面に、もう一度腰を下ろす。
「今日、市場で一番安く仕入れられる食材は?」
思った瞬間、頭の中に、市場の相場感覚が流れ込んできた。
今日は、隣街からの輸送が多く、根菜類が普段より安くなっていること。
逆に、天候の影響で、乾物の値段が上がっていること。
「これ、完全に商売に使えるやつじゃないか……」
蒼太は、思わず声を漏らした。
薬草や魔物素材の価値だけじゃない。
市場全体の動きまで、こうして把握できてしまう。
「試しに、もう一つ」
「この街で、一番人気のある依頼の種類は?」
――採取系の依頼が最も多く受注されているが、達成率は五割程度。討伐系は報酬が高いが、受注者が少なく、慢性的な人手不足。
「なるほど、討伐系はやっぱり人が足りてないのか」
蒼太は、頭の中に浮かんだ情報を、しばらく眺めていた。
これまでは、目の前の依頼をこなすだけで精一杯だった。
けれど、こうして街全体の状況を俯瞰できるなら、もっと効率的な動き方ができるかもしれない。
「これ、使い方次第で、めちゃくちゃ強い力なんじゃないか」
蒼太は、そうつぶやきながら、少しだけ興奮している自分に気づいた。
金を稼ぐためだけじゃない。
何かを、もっと大きく動かせるかもしれない。
そんな予感が、頭の片隅をかすめた。
たとえば、人手が足りない依頼と、仕事を探している人を、うまく結びつけられたら。
そんな考えが、ふと頭に浮かんだ。
けれど、蒼太はすぐに、その考えを自分で打ち消した。
「いや、さすがに、それは大げさか」
今の自分は、ただの一人の冒険者だ。
誰かと誰かを結びつける仕組みなんて、大それたことを考える立場にはない。
そう思いながらも、その小さな思いつきは、なぜか頭の隅から離れなかった。
「まあ、いきなり大きいこと考えるのは、気が早いか」
蒼太は、その考えを、ひとまず頭の隅に置いておくことにした。
今はまだ、ただの、ちょっと便利なスキルを持った冒険者。
けれど、その「ちょっと便利」の中身が、想像していたよりずっと大きいことだけは、はっきりと分かった。
「そういえば」
蒼太は、ふと気になって、自分の体の状態を確かめてみた。
これだけ次から次へと知識を引き出しているのに、疲労感のようなものは、まったくない。
魔力を使う魔法や身体強化とは、明らかに違う感覚だった。
「魔力は使ってない、のか?」
試しに、魔力の残量を意識してみる。
朝起きたときと、ほとんど変わっていないようだった。
「知識鑑定自体は、魔力を消費しない、ってことか」
これも、新しい発見だった。
魔法のように、使いすぎて枯渇する、ということはなさそうだ。
「じゃあ、理論上は、ずっと使い続けられるのか」
その事実に、蒼太は、また少し興奮を覚えた。
制限がほとんどない力。
そう考えると、余計にその大きさが、実感として迫ってくる。
「まあ、だからって、無闇に使いまくるのも、なんか違う気がするけど」
蒼太は、そう自分に釘を刺しながら、丘を降り始めた。
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宿に戻ると、ちょうど健太たちが、夕方の仕事を終えて戻ってきたところだった。
「あ、蒼太。今日、依頼なかったんだっけ」
健太が、気軽に声をかけてくる。
「うん、今日はオフだった」
「珍しいな。じゃあ、ゆっくりできたか?」
「まあ、それなりに」
蒼太は、少し言葉を濁した。
今日分かったことを、どこまで話すべきか、まだ整理がついていない。
けれど、食堂に集まって、みんなの顔を見ているうちに、蒼太は自然と口を開いていた。
「実は、今日、ちょっとやばいこと分かった」
「やばいこと?」
美穂が、心配そうな顔をした。
「いや、悪いことじゃなくて。俺の鑑定、対象物がなくても、発動するみたいなんだ」
「……は?」
隼人が、箸を止めた。
「対象物、いらないってこと?」
「うん。何も見ずに、頭の中で『知りたい』って思うだけで、答えが出てくる」
蒼太は、丘の上で試したことを、一つずつ説明していった。
王都の地下水路。
この国の歴史。
魔法学院の場所。
聞いていた三人は、次第に言葉を失っていった。
「それ……マジで、なんでも分かるってことか?」
健太が、震える声で言った。
「たぶん、そうなんじゃないかと思う。まだ全部は試してないけど」
「試してないって、なんで」
「なんとなく、怖くて」
蒼太は、正直にそう答えた。
「あと、他人の個人的なことは、たぶん分かっても知りたくないから、試してない」
「まあ、そういうもんかね……」
美穂も、複雑そうな表情を浮かべていた。
「でも、蒼太が悪用するようなタイプじゃないの、みんな分かってるから」
「悪用って言葉が出てくるあたり、やっぱりそれだけ大きい力なんだな」
蒼太は、苦笑しながらつぶやいた。
自分では、まだそこまで実感が湧いていない。
けれど、周りの反応を見ていると、この力の大きさが、じわじわと現実味を帯びてくる。
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「でもさ」
美穂が、恐る恐る口を開いた。
「そんな力があるって、王城の人たち、知ってるのかな」
「いや、知らないと思う。俺自身、今日初めて気づいたし」
「もし知られたら、どうなるんだろう」
美穂の言葉に、食卓が一瞬、静まり返った。
「まあ、面倒なことにはなりそうだよな」
健太が、腕を組みながらつぶやいた。
「勇者より使えるスキルだって話になったら、逆に王城に呼び戻されるかもしれない」
「それは、正直勘弁してほしいかな」
蒼太は、思わず苦笑した。
「あそこで、散々役立たず扱いされたのに、今さら都合よく利用されるのは、ちょっと違う気がする」
「だよな」
健太が、あっさりと同意した。
「じゃあ、しばらくは、この話、俺たちだけの秘密ってことで」
「うん、そうしてもらえると助かる」
蒼太は、ほっとしたように頷いた。
四人だけの、小さな秘密。
それが、なんとなく、心強く感じられた。
「にしても」
健太が、少し真面目な顔になって言った。
「これ、俺たちだけの秘密にするにしても、いつまでも隠しきれるもんじゃないと思うぞ」
「まあ、それはそうだよな」
蒼太も、素直にうなずいた。
「これだけ依頼をこなしてれば、いずれ、何かのきっかけで気づかれるかもしれない」
「そのときは、そのとき考えよう」
蒼太は、あっさりとそう言った。
「今から先回りして心配しても、しょうがないし」
「相変わらず、肝が据わってるな、お前」
健太が、感心したように笑った。
「でも、蒼太」
隼人が、ふと真剣な顔で言った。
「その力、これからどう使っていくつもりなんだ?」
「どう、って?」
「対象物なしで、この世界のことがほとんど分かるなら、正直、冒険者の依頼をこなすだけじゃ、もったいない気がする」
隼人の言葉に、蒼太は少し考え込んだ。
「まあ、正直、まだ何も決めてない。今日気づいたばっかりだし」
「そうだよな。急かすつもりはないんだけど」
「ただ」
蒼太は、丘で感じた予感を、思い出しながら続けた。
「街全体の動きとか、依頼の傾向とか、そういうのも分かるみたいなんだ。だから、うまく使えば、みんなの仕事も、もっと効率よくできるかもしれない」
「俺たちの仕事も?」
美穂が、興味深そうに身を乗り出した。
「うん。美穂の薬草採取なら、どこにどんな薬草が多いか、事前に見当をつけられると思うし。隼人の帳簿仕事も、どの商会が今、人手を探してるか、分かるかもしれない」
「それ、めちゃくちゃ助かるやつだ」
隼人が、目を輝かせた。
「健太の荷物運びも、どのルートが今、依頼が多いか分かれば、効率よく回れると思う」
「マジか。それは頼もしいな」
健太も、乗り気な様子でうなずいた。
「じゃあ、明日から、ちょっと試してみるか。俺の力で、みんなの仕事、もう少し楽にできないか」
蒼太がそう言うと、三人とも、それぞれの表情で頷いた。
小さな思いつきだったが、それは後になって、蒼太自身も予想していなかった大きな流れの、最初の一歩になる。
けれど、今の蒼太には、まだそんな未来は見えていなかった。
ただ、目の前の仲間の役に立てることが、単純に嬉しかっただけだった。
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食事の後、蒼太は一人、宿の部屋に戻った。
ベッドに横になりながら、今日一日の出来事を、もう一度振り返る。
対象物がなくても、知識が手に入る。
その事実は、今も、まだ実感として馴染んでいない。
「これ、この世界のこと、ほとんど知れるってことだよな」
歴史。
地理。
魔法。
技術。
政治。
経済。
考えれば考えるほど、その可能性の大きさに、頭がくらくらしてくる。
「でも」
蒼太は、天井を見つめながら、小さくつぶやいた。
「知識があるってだけじゃ、まだ何も変わらないんだよな」
薬草の知識があっても、実際に採取に行かなければ、金にはならない。
魔法理論が分かっても、練習しなければ、まともに使えない。
「知ってる」ことと、「できる」こと、「やる」ことは、それぞれ別の話だ。
「まあ、焦らず、これからも少しずつ試していくか」
蒼太は、そう自分に言い聞かせて、目を閉じた。
自分の力の全貌は、まだ、少しも見えていない。
けれど、それを少しずつ確かめていく過程そのものが、思いのほか、楽しくなっている自分がいた。
「明日は、また依頼、頑張るか」
異世界での日々は、まだまだ、始まったばかりだった。
――第8話へ続く。




