第12話「その契約、おかしくないですか」
事業所を構えてから、半月ほどが経った。
「おはようございます、鈴木さん」
朝一番、蒼太が事業所に顔を出すと、ロイドがすでに机に向かって、書類を整理していた。
「おはようございます。今日は何件くらい入ってますか」
「適性相談が三件、人材紹介の面談が二件、それと――」
ロイドは、少し言いにくそうに言葉を止めた。
「あと一件、ちょっと変わったご依頼が」
「変わった依頼?」
「はい。商業ギルドで知り合いになった、雑貨商のおじさんなんですけど。人の適性じゃなくて、契約書を見てほしい、と」
「契約書、ですか」
蒼太は、少し首をかしげた。
これまでの依頼は、基本的に「人」に関するものばかりだった。
「うちの事業、人材紹介がメインですけど、まあ、話くらいは聞いてみますか」
「はい、そう伝えておきます」
ロイドは、そう言うと、手元の予定表に、今日の面談内容を書き加えていった。
几帳面な文字で、時間と依頼内容が、隙間なく並んでいく。
「隼人さんに聞いたんですけど、来月の収支、今のところ、先月よりだいぶ良さそうです」
「そうなんですか」
「契約書の確認なんて、正式な料金設定もまだないですけど、これも新しい柱になるかもしれませんね」
ロイドは、少し楽しそうに言った。
蒼太は、その様子を見ながら、なんとなく頼もしさを感じていた。
自分が思いつきもしなかった収支の視点を、ロイドがいつも先回りして見てくれている。
一人ではできないことが、当たり前のようにできるようになっている。
その感覚に、蒼太はまだ、時々驚かされていた。
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その日の昼過ぎ、事業所を訪れたのは、恰幅のいい、五十代くらいの男だった。
「ギルドで話を聞いてね。ここなら、頼りになる目利きがいるって」
「雑貨商のグレンさんですね。ロイドから伺っています」
蒼太が応接スペースへ案内すると、グレンは、少し疲れた表情で腰を下ろした。
「実は、新しい取引先から、こんな契約書を渡されてね」
グレンは、丸めた羊皮紙を、テーブルに広げた。
びっしりと、細かい文字で書き込まれた契約条項。
蒼太が見ても、正直、どこがどう普通と違うのか、パッと見ただけでは分からない。
「これ、商品の卸契約なんだが。相手は、最近急に取引を広げてる商会でね。条件は悪くなさそうなんだが……なんとなく、嫌な予感がして」
「嫌な予感、ですか」
「長年商売やってると、そういう勘が働くことがあってな。でも、はっきりどこが問題か、指摘できるほどの知識はなくて」
グレンは、そう言って、少し情けなさそうに笑った。
「若い頃、似たような契約で、痛い目を見たことがあってな。あのときは、結局、店を畳む一歩手前まで追い込まれた」
「それは、大変でしたね」
「だから、今回は、慎重になりすぎってくらい慎重になりたいんだ。見てもらえるかね」
「はい、少々お待ちください」
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蒼太は、契約書に向かって、丁寧に手をかざした。
「知識鑑定」
小さくつぶやいた瞬間。
頭の中に、これまでとは違う種類の情報が、堰を切ったように流れ込んできた。
商業契約に関する法体系。
この国で一般的な卸契約の条項構成。
過去に起きた、契約トラブルの判例。
そして、目の前の契約書に書かれた、一条一条の内容が、まるで最初から暗記していたかのように、頭の中に整然と並んでいく。
「専門書を、何十冊も一気に頭に叩き込まれたみたいだ……」
蒼太は、思わず小さくつぶやいた。
条文一つ一つが、単独の意味だけでなく、他の条文との関係性まで含めて、次々と浮かび上がってくる。
まるで、契約書全体が、一枚の透明な地図として、頭の中に広がっているような感覚だった。
そして。
その中の、ある一条に、蒼太の意識が引っかかった。
「――これ、かなり際どいですね」
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「際どい、と言うと?」
グレンが、身を乗り出した。
「第七条に、『不可抗力による納品遅延の場合、双方協議のうえ対応を決定する』と書いてありますよね」
「ああ、それなら普通の条文じゃないのかね」
「普通なら、そうなんです。でも、その二つ下、第九条を見てください」
蒼太は、契約書の該当箇所を指し示した。
「『協議が三日以内にまとまらない場合、本契約における損害賠償責任は、すべて卸元――つまり、グレンさんの側に帰属する』」
「――は?」
グレンの顔が、みるみる強張っていった。
「そんな条文、あったか……?」
グレンは、慌てて自分でも契約書を読み返したが、すぐには見つけられない様子だった。
「かなり離れた場所に、しかも別の言い回しで分散して書かれてます。単独で読むと、それぞれは普通の条文に見えるんですけど、組み合わせると、実質的に、相手側は不可抗力の責任すら、こちらに押し付けられる形になってます」
蒼太は、頭の中の知識を辿りながら、淡々と説明を続けた。
「しかも、『協議』の定義が曖昧なので、相手が意図的に協議を長引かせれば、自動的にグレンさんの負けになる仕組みです」
「そんな、悪質な……」
グレンは、契約書を睨みつけながら、絶句していた。
「これ、普通に読んだだけじゃ、絶対に気づけないやつですよね」
蒼太は、少し驚きながらそう言った。
条文同士の組み合わせで初めて意味を持つ罠。
これを見抜くには、契約書全体を同時に、正確に記憶しながら読み解く必要がある。
普通の人間には、まず不可能な芸当だった。
しかも、蒼太自身、この国の商法をきちんと学んだことなど、一度もない。
にもかかわらず、まるで長年契約書を扱ってきた辣腕の弁護士のように、条文の穴を言い当てている。
その事実に、蒼太は、少し薄気味悪ささえ覚えていた。
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「鈴木さん、あんた、本当に何者なんだ」
グレンが、震える声で聞いてきた。
「元々は、鑑定持ちの冒険者ですよ。ただ、それだけです」
蒼太は、あっさりと答えた。
「鑑定持ちって、そんな、法律の条文まで見抜けるものなのか?」
「まあ、普通の鑑定士には、たぶん無理だと思います」
蒼太は、苦笑しながら言った。
自分でも、この能力の底が、いまだによく分からない。
薬草の効能から始まり、魔法の理論、人の隠れた才能、古代の失われた言語。
そして今度は、契約書に仕込まれた罠まで。
対象が変わるたびに、これまでの常識を軽々と超えてくる。
正直、自分自身が一番、その規模に追いついていない気がしていた。
「危ないところだった……。この契約、サインしてたら、ちょっとした不運が重なるだけで、うちが潰れてたかもしれん」
グレンは、深く息を吐きながら、椅子の背にもたれかかった。
「本当に、ありがとう。助かった」
「お役に立てたなら、良かったです」
「これ、正式に依頼したい。うちが今後結ぶ契約、全部とは言わないが、大きなものだけでも、事前に見てもらえないだろうか」
「それは、こちらとしても、ありがたい話です」
蒼太は、少し考えてから、そう答えた。
「料金については、後ほどロイドと相談させてください。一件ごとの契約書の分量にもよると思うので」
「もちろんだ。むしろ、命拾いした身としては、多少色をつけてもらっても構わんくらいだよ」
グレンは、そう言って、ようやく肩の力を抜いたように笑った。
「それにしても、鈴木さん。この商会との取引、断った方がいいと思うかね」
「そこは、俺が決めることじゃないと思います」
蒼太は、慎重に言葉を選んだ。
「ただ、少なくとも、この条文のまま契約するのは、危険です。相手に修正を求めるか、それが無理なら、他の取引先を探すのも、一つの手だと思います」
「そうだな……。もう一度、向こうと話してみるよ」
グレンは、契約書を丁寧に丸めながら、頷いた。
「本当に、世話になった。今度、うちの店にも顔を出してくれ。いいものを揃えとくから」
「ありがとうございます。ぜひ」
蒼太は、そう答えながら、グレンを見送った。
グレンの後ろ姿が、扉の向こうに消えていく。
その姿を見送りながら、蒼太は、なんとも言えない充実感を覚えていた。
契約書の確認という、新しい仕事の形が、また一つ生まれた瞬間だった。
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「鈴木さん、これ、めちゃくちゃすごいことになりましたね」
グレンが帰ったあと、ロイドが、興奮した様子で言った。
「契約書の鑑定なんて、俺、思いつきもしませんでした」
「俺も、正直、今日試すまで、できるかどうか分からなかったです」
蒼太は、素直にそう答えた。
薬草。
魔法理論。
人物適性。
古代文字。
そして、今度は契約書。
自分の能力が広がっていくたびに、その規模の大きさに、蒼太自身が一番驚かされている気がした。
「これ、噂になったら、また依頼増えそうですね」
「まあ、増えたら増えたで、対応していくしかないですね」
蒼太は、少し苦笑しながら言った。
最近、この手のセリフを、何度も口にしている気がする。
「でも、鈴木さん」
ロイドが、少し真剣な顔で続けた。
「今日みたいなこと、正直、俺には想像もつかないです。契約書の条文を、組み合わせで見抜くなんて」
「まあ、俺も、自分でびっくりしてます」
「普通の鑑定士なら、そもそも契約書を鑑定しようなんて、発想自体が出てこないと思います。鈴木さんの鑑定は、たぶん、根本的に何かが違うんですよね」
ロイドの言葉に、蒼太は少し考え込んだ。
「そうかもな。俺自身、まだ、どこまで広がるのか、全然分かってないし」
「末恐ろしいですね、それ」
ロイドは、そう言って、少し楽しそうに笑った。
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その日の夕方、ギルドから、別件の相談が入った。
「鈴木さん、少しいいですか」
顔を出したのは、いつもの受付職員だった。
「実は、鍛冶屋に弟子入りしたいという子がいて、適性を見てほしいんです」
「はい、大丈夫です」
「本人、体力にすごく自信なさそうで、なんとか背中を押してあげたいなと思って」
職員は、少し心配そうな顔で言った。
「分かりました。とりあえず、会ってみますね」
紹介されたのは、十四、五歳くらいの、痩せた少年だった。
「トールといいます」
「鈴木蒼太です。よろしく」
トールは、緊張した面持ちで、蒼太の前に立った。
「鍛冶屋に弟子入りしたいんですけど、体力に自信なくて。師匠になる人からも、『体、大丈夫か』って心配されてて」
「今までは、どんなことをしてたんですか」
「家の手伝いで、鍋とか、金物の修理を、少しやってました。あと、暇なときに、拾った金属の欠片を、なんとなく眺めてたり」
「眺めてた、ですか。それ、どんな感じで眺めてたんですか」
蒼太が尋ねると、トールは、少し戸惑ったように答えた。
「なんていうか……その金属が、どういう風にできてるのか、知りたくなるっていうか。触ってると、なんとなく、落ち着くんです」
「見せてもらいますね」
蒼太は、トールに手をかざした。
「知識鑑定」
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情報が、頭の中に流れ込んでくる。
筋力は、確かに平均以下。
けれど、それとは別に、驚くほど高い数値が、一つあった。
魔力感知――特に、金属に宿る魔力の流れを読み取る感覚。
さらに、集中力の持続性や、細かい力加減の調整能力も、平均を大きく上回っていた。
「トールくん、もしかして、金属を触ると、なんとなく、流れみたいなものを感じたりしませんか」
「え……」
トールが、目を丸くした。
「はい。剣とか、鍋とか、触ると、なんか、中に川みたいなものが流れてる感じがして。でも、それ、変な話だから、誰にも言ったことなくて」
「それ、変な話どころか、めちゃくちゃ貴重な才能ですよ」
蒼太は、思わず声を大きくした。
「金属に宿る魔力の流れを感じ取れるのは、鍛冶の中でも、特に魔導具作りに向いてる資質です。普通の武器や防具を打つ職人と、魔導具を打てる職人は、この感覚があるかないかで、大きく分かれるんです」
「魔導具、ですか」
トールの声が、震えていた。
「体力がなくても、そっちの分野なら、十分やっていけると思います。師匠には、俺からも、そう伝えてみましょうか」
「お願いします!」
トールは、勢いよく頭を下げた。
「実は、俺、ずっと悩んでたんです。体力ないから、鍛冶屋には向いてないんじゃないかって。でも、それでも金属を触るのが好きで、諦めきれなくて」
「その『好き』が、ちゃんと才能と繋がってたってことですね」
蒼太は、そう言って、笑いかけた。
「向いてないと思ってた場所に、実は、ちゃんと居場所があったんです」
「俺、頑張ります」
トールは、拳を握りしめながら、力強くそう言った。
その顔つきは、最初に会ったときとは、まるで違う人間のようだった。
その様子を見ながら、蒼太は、改めて実感していた。
一つの物差しだけじゃ見えないものが、この能力を使えば、はっきりと見える。
それを、必要としている人に渡してあげることが、自分にできる、一番の仕事なのかもしれない。
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その夜、宿――というより、今ではほとんど事業所の二階が生活の中心になっていたが――に戻った蒼太は、健太たちと夕食を囲んでいた。
「今日、契約書の鑑定までやったって?」
健太が、驚いた顔で聞いてきた。
「噂、もう届いてるのか」
「グレンさん、あちこちで喋りまくってるみたいだぞ。ワールドインセンスの鑑定士は、契約書の罠まで見抜くって」
「大袈裟だな……」
蒼太は、苦笑しながら答えた。
「でも、実際、命拾いしたって話じゃないか」
隼人が、興味深そうに口を挟んだ。
「これ、うちの事業の幅、また一つ広がったってことですよね」
「まあ、そうなるのかな」
「契約書の鑑定料って、これから、どうするんです?」
隼人が、さっそく事務的な顔になって聞いてきた。
「まだ決めてない。ロイドさんと相談してからだな」
「量にもよりますけど、時間がかかる分、鑑定料としては、人物鑑定より高めに設定した方がいいと思います」
隼人は、頭の中ですでに、収支の計算を始めているようだった。
「相変わらず、仕事が早いな、お前」
健太が、感心したように言った。
「これ、正式に登録された事業所として、社会的にも信用がついてきてる証拠かもな」
「最初は、鑑定持ちの冒険者が四人で始めた、小さな集まりだったのにな」
「まだ半月だぞ、それ」
蒼太は、思わず笑った。
「半月で、これだけ変わったんだから、たいしたもんだろ」
健太も、釣られて笑った。
蒼太は、頭の中で、今日一日の出来事を振り返った。
契約書の罠を見抜いたこと。
トールの隠れた才能を見つけたこと。
「知識鑑定、本当に、どこまで広がっていくんだろうな」
薬草に始まり、魔法、人の適性、古代の言語、そして契約書。
対象が広がるたびに、その奥にある可能性の大きさに、蒼太自身、まだ全容を掴みきれていない。
「まあ、それも含めて、楽しんでいくしかないか」
蒼太は、そう独り言をこぼしながら、スープを口に運んだ。
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「そういえば」
美穂が、ふと思い出したように言った。
「この間紹介した、商会の検品の仕事の方々、順調ですか」
「ナナさんは、すごく順調みたいです。先週も、商会の主人から、追加の感謝の手紙が届きました」
蒼太は、そう答えながら、ふと、別のことが頭をよぎった。
これまで紹介してきた人々は、みんな、それぞれの紹介先で、うまくやっている。
けれど、もし。
もし、その紹介先自体が、何らかの事情で立ち行かなくなったら。
「蒼太?」
美穂が、少し不思議そうに、蒼太の顔を覗き込んだ。
「あ、いや、なんでもない」
蒼太は、頭に浮かんだ小さな不安を、一旦脇に置いた。
今はまだ、そんな心配をするような兆候は、どこにもない。
けれど、その小さな引っかかりは、なぜか、頭の片隅から完全には消えなかった。
紹介した先で、その人が幸せに働いている。
その光景は、何度見ても嬉しい。
けれど、自分たちが用意できるのは、あくまで「紹介」までだ。
その先で何が起きるかまでは、今のワールドインセンスには、コントロールできない。
いつか、その限界が、誰かを傷つける形で現れるかもしれない。
そんな漠然とした予感が、頭の隅に、小さな影を落としていた。
「まあ、今考えても、しょうがないか」
蒼太は、そう自分に言い聞かせて、話題を切り替えた。
「明日も、いろいろありそうだな」
蒼太は、そうつぶやいて、残りのスープを飲み干した。
異世界での日々は、少しずつ、より大きな規模へと広がり始めていた。
――第13話へ続く。




