第10話「会社を作ろう」
「なあ、蒼太」
翌朝の食堂で、隼人が、改まった様子で切り出した。
「昨日の話、もう少し真面目に考えてみないか」
「昨日の話、って」
「会社にする話だよ」
蒼太は、パンをちぎる手を止めた。
「今の俺たちのやってること、整理すると、もう十分に事業になってると思うんだ」
隼人は、指を折りながら続けた。
「蒼太が適性を鑑定する。ロイドさんが調整する。俺が帳簿を見る。美穂さんが薬草関係の知見で協力する。健太さんが力仕事や運搬を担当する。役割は、もうほとんど出来上がってる」
「言われてみれば、そうだよな」
健太も、頷きながら同意した。
「これ、名前つけて、ちゃんと看板出した方が、いろいろ都合いいんじゃないか。信用の面でも」
「信用、か」
蒼太は、その言葉に、少し考え込んだ。
これまでは、あくまで個人としての鑑定と、口伝えの紹介でやってきた。
けれど、ちゃんとした組織として動けば、もっと大きな依頼も受けられるかもしれない。
「実は、俺も昨日、寝る前にちょっと考えてたんだ」
美穂が、少し照れくさそうに言った。
「今のままだと、蒼太くんが体調崩したり、何かあったりしたら、全部止まっちゃいますよね。ちゃんとした形にしておいた方が、みんなにとっても安心かなって」
「確かに、それは大事な視点だな」
蒼太は、素直に頷いた。
自分一人に頼りきりの仕組みでは、いずれどこかで無理が来る。
「あと、正直に言うと」
隼人が、少し言いにくそうに続けた。
「事業としてちゃんと届け出とかしておかないと、後々、税金とか権利関係で揉める可能性もあると思うんだ。俺、元々そういうの気になる性格で」
「隼人らしいな、それ」
健太が、笑いながら言った。
「まあ、やってみるか」
蒼太は、そう言って、小さく笑った。
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「じゃあ、まず何をすればいいんだ」
健太が、腕を組みながら聞いてきた。
「会社作るって言っても、俺、そもそも異世界で会社ってどうやって作るのか、知らないんだけど」
「それなら、俺が調べてみる」
蒼太は、そう言って目を閉じた。
対象物なしで知識を得られることは、この四人の間ではすでに周知の事実になっている。
「この国で、商会や事業所を作るための手続きについて」
思った瞬間、頭の中に情報が流れ込んできた。
商業ギルドへの登録が必要なこと。
登録料として、金貨一枚が必要なこと。
事業の種類によって、追加の許可が必要な場合があること。
人材紹介や仲介業は、比較的緩やかな規制で始められること。
そして、この国では、大がかりな法人設立の手続きを踏まなくても、商業ギルドに事業者登録さえすれば、小さな会社や商会として、正式に営業を始められるらしい。
「へえ、思ったよりシンプルな仕組みなんだな」
さらに、王国の法律では、事業者は雇用する人間に対して、最低限の労働環境を保証する義務があることも分かった。
過酷な労働を強いた場合、商業ギルドから指導や処罰を受けることもあるらしい。
「へえ、そのあたりも、ちゃんとルールがあるんだな」
蒼太は、少し感心した。
てっきり、こういう世界だから、労働環境なんて曖昧なものだと思っていた。
「なるほど、商業ギルドに登録すればいいのか」
蒼太は、頭の中の情報を、順番に整理しながら説明した。
「登録料は金貨一枚。人材紹介系の事業なら、そこまで厳しい審査もないみたいだ」
「金貨一枚か。今の稼ぎなら、余裕で払えるな」
隼人が、頷きながら言った。
「あと、これも分かったんだけど」
蒼太は、続けて頭の中の知識を辿った。
「事業として登録すると、収益に応じた税を、年に一度、商業ギルドに納める必要があるらしい。逆に言えば、それさえ払えば、あとは基本的に自由に事業を広げられるってことみたいだ」
「税金かあ」
健太が、少し嫌そうな顔をした。
「まあ、当然っちゃ当然か」
「今の規模なら、税額もそこまで大きくないはずだよ。これから稼ぎが増えたら、その分ちゃんと払えばいい話だし」
「隼人が帳簿担当なんだから、その辺、任せた」
「はい、任せてください」
隼人は、少し誇らしげに胸を張った。
「じゃあ、さっそく行ってみるか」
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商業ギルドは、冒険者ギルドとは別の場所にあった。
落ち着いた雰囲気の、石造りの建物。
受付にいたのは、きっちりとした身なりの中年女性だった。
「事業登録をお願いしたいんですけど」
蒼太が切り出すと、女性職員は、丁寧な様子で書類を用意し始めた。
「事業の種類は、どのようなものでしょうか」
「人材の適性を見て、合う仕事を紹介する事業です」
「なるほど、人材紹介業ですね」
職員は、慣れた手つきで書類にペンを走らせた。
「代表者のお名前は」
「鈴木蒼太です」
「では、こちらに署名を。それから、登録料として金貨一枚をお願いします」
蒼太は、革袋から金貨を取り出して、カウンターに置いた。
金貨を渡すとき、少しだけ、緊張で手が震えた。
これまでの依頼料や鑑定料とは、意味合いが違うお金だった。
自分の意思で、何かを始めるために払う金額。
そう考えると、たった金貨一枚が、やけに重く感じられた。
「事業所の所在地は、決まっていますか」
「まだ、正式な場所は」
「では、仮の所在地として、現在の宿の住所を記載しておきますね。追って正式な事業所が決まりましたら、ご連絡ください」
「事業所って、そんなにすぐ用意できるものなんですか」
蒼太が尋ねると、職員は、にこやかに答えた。
「商業地区に、空き店舗や空き事務所は結構ありますよ。ご予算に応じて、いくつかご紹介もできますが」
「あ、それ、ぜひお願いします」
「では、後ほど、いくつか物件の資料をお渡ししますね」
「ありがとうございます」
蒼太は、思いがけず話が進んでいくのを、少し嬉しく感じながら聞いていた。
てきぱきと進む手続きに、蒼太は少し圧倒されながらも、書類に署名を続けた。
「あと、事業の名称は、どうされますか」
職員のその一言で、蒼太は、はたと手を止めた。
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「名前、まだ決めてなかった……」
蒼太は、思わず後ろを振り返った。
健太たちも、揃って、しまったという顔をしている。
「ちょっと、少し時間もらえますか」
蒼太は、職員にそう頼んで、四人で少し離れた場所に集まった。
「名前、どうする」
「蒼太が代表なんだから、蒼太が決めればいいんじゃないか」
健太が、あっさりと丸投げしてきた。
「いや、みんなで考えようよ」
「じゃあ、シンプルに『鈴木商会』とか」
隼人が、思いつきで提案する。
「なんか、地味じゃないですか」
美穂が、苦笑しながら言った。
「異世界で始める会社なんですから、もっと、こう、印象に残る感じの名前がいいと思います」
「じゃあ、『異世界人材紹介所』とか」
「それも、まんますぎる」
健太が、苦笑した。
しばらく、みんなで思いつく限りの候補を出し合ったが、どれもしっくりこなかった。
「『鑑定屋そうた』とか、いっそシンプルに個人名推しは」
健太が、投げやりに提案する。
「それ、俺が前に出すぎじゃないか」
蒼太は、苦笑しながら却下した。
「みんなでやってることなのに、俺の名前だけ看板に出すのは、なんか違う気がする」
「じゃあ、『適材適所商会』とか」
隼人が、真面目な顔で言った。
「意味は分かりやすいですけど、ちょっと硬いですよね」
美穂が、首をかしげた。
「『しあわせ人材紹介所』は」
「それは、それでちょっと恥ずかしい」
健太が、思わず吹き出した。
「うーん」
蒼太は、腕を組んで考え込んだ。
自分たちが、これからやろうとしていること。
人と仕事を繋げる。
その人が持つ、本当の価値に気づかせる。
それを、少しずつ、いろんな場所に広げていく。
「なんか、こう……いい香りが、少しずつ広がっていくような、そんなイメージなんだよな」
蒼太は、ぽつりと呟いた。
「香り?」
隼人が、聞き返してくる。
「うん。誰かの才能とか、価値とか、今まで気づかれてなかったものが、少しずつ、いろんな人に伝わっていく感じ。押し付けるんじゃなくて、自然と広がっていくような」
「なんか、詩的だな、蒼太」
健太が、からかうように言った。
「いや待って、それ、いいかもしれない」
美穂が、目を輝かせた。
「香り、インセンス……World Incense、とか」
「ワールドインセンス」
蒼太は、その響きを、口の中で繰り返してみた。
世界へと、香りのように広がっていく。
そんなイメージが、すとんと胸に落ちてきた。
「これ、いいな」
「私も、いいと思います」
美穂が、笑顔で頷いた。
「悪くないですね」
隼人も、納得したように言った。
「まあ、蒼太が気に入ったなら、それでいいんじゃないか」
健太も、あっさりと賛成した。
「じゃあ、これで決まりだな」
蒼太は、四人の顔を見回しながら、改めて確認した。
「ワールドインセンス、か」
口に出してみると、なんだか、少しくすぐったいような、それでいて誇らしいような、不思議な気持ちになった。
異世界に来て、まだひと月にも満たない。
そんな自分が、自分たちの名前を掲げて、事業を始めようとしている。
その事実が、じわじわと実感として押し寄せてきた。
「よし、決まったところで、続き行くか」
蒼太は、そう言って、職員のもとへ戻っていった。
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「決まりました。事業名は『ワールドインセンス』でお願いします」
蒼太は、職員のもとへ戻って、そう告げた。
「ワールドインセンス、ですね。素敵な響きです」
職員は、丁寧にその名前を書類に書き記した。
「では、こちらで登録完了です。正式に、商業ギルドに登録された事業者となります」
職員は、書類の写しと、小さな金属製の認証プレートを手渡してきた。
「それと、先ほどお話しした物件の資料です。商業地区にある、こちらの三件が、今の予算感でしたら、ちょうど良いかと思います」
職員は、三枚の資料を、テーブルに並べた。
一つは、広めの元商店。
一つは、こぢんまりとした事務所向けの部屋。
もう一つは、少し郊外だが、家賃の安い倉庫つきの物件だった。
「これ、後でゆっくり見せてもらってもいいですか」
「もちろんです。内見のご希望があれば、いつでもお申し付けください」
蒼太は、資料を丁寧に受け取って、鞄にしまった。
「事業所探しは、また明日以降、みんなで相談だな」
「楽しみですね」
美穂が、嬉しそうに資料を覗き込んだ。
「私、個人的には、この商業地区の物件、気になります。表通りに面してて、人目にもつきやすそうですし」
「俺は、値段的にはこっちの倉庫つきの方が気になるかな。荷物とか置くスペース、あった方が便利そうだし」
健太が、別の資料を指差しながら言った。
「二人とも、もう物件選びの話になってるんですね」
隼人が、苦笑しながら言った。
「まあ、それだけ、みんな乗り気ってことだよな」
蒼太は、そう言って笑った。
会社の名前だけじゃなく、これから拠点になる場所まで、少しずつ形になっていく。
その過程そのものが、なんだか楽しくて仕方なかった。
【ワールドインセンス 代表:鈴木蒼太】
そう刻まれたプレートを、蒼太はしばらく見つめていた。
「これ、俺の会社なんだな……」
実感が、じわじわと湧いてくる。
異世界に来て、まだひと月も経っていない。
なのに、追い出された王城とは別の場所で、自分の名前が刻まれた事業者証を、手にしている。
「おめでとう、蒼太」
健太が、肩を軽く叩いてきた。
「これからだな」
隼人が、笑いながら言った。
「私、なんだか、すごくわくわくしてます」
美穂も、嬉しそうに笑っていた。
「そういえば、みんなの肩書きは、どうする?」
蒼太が、ふと思いついて聞いた。
「肩書き?」
「うん。隼人は、経理担当ってことでいいのかな」
「あ、それ、しっくりきます」
隼人が、頷いた。
「美穂は、薬草関係の顧問、みたいな感じで」
「顧問、ちょっと偉そうですけど、悪くないですね」
美穂が、くすくすと笑った。
「俺は、何にすればいいんだ」
健太が、少し困ったように言った。
「運搬とか力仕事、いろいろやってくれてるから、物流担当、とかどうかな」
「物流担当、か。それっぽくていいな」
健太も、満更でもなさそうな顔をした。
「こうやって、肩書き決めていくと、なんか、本当に会社って感じがしてきますね」
美穂が、しみじみと呟いた。
蒼太は、みんなの顔を見回しながら、静かに、けれど確かな喜びを感じていた。
「これ、お祝いしないとですね」
美穂が、明るい声で言った。
「今夜は、ちょっと奮発して、いい店で食べません?」
「賛成」
健太が、すぐに乗ってきた。
「せっかくだしな。会社設立記念、ってやつだ」
「じゃあ、決まりだな」
蒼太も、笑いながら頷いた。
「ロイドさんも誘いたいところだけど、まだギルドでの引き継ぎ仕事が残ってるみたいで」
「じゃあ、今度、改めてお祝いしような」
「うん、そうしよう」
普段は、宿の食堂で済ませることが多かったが、今日ばかりは特別だ。
四人は、少し奮発して、街で評判のいい食堂に足を運んだ。
料理を待つ間、隼人が、ふと真面目な顔で言った。
「これから、いろいろ大変なこともあると思うけど」
「まあ、そうだろうな」
「でも、なんか、ワクワクしてます、俺」
隼人の言葉に、みんなが頷いた。
異世界に来て、右も左も分からなかった頃とは、明らかに違う空気が、四人の間に流れていた。
やがて料理が運ばれてくると、四人は、それぞれのグラスを軽く掲げた。
「ワールドインセンスに、乾杯」
蒼太の音頭に合わせて、三人も、それぞれのグラスを合わせた。
小さな音が、四つ重なって響いた。
まだ、社員はロイド一人。
事業所も、正式には決まっていない。
けれど、確かに、何かが始まった夜だった。
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その日の夜、ギルドの一角で待っていたロイドに、蒼太は登録完了の報告をした。
「ワールドインセンス、ですか。良い名前だと思います」
ロイドは、認証プレートを見せてもらいながら、嬉しそうに笑った。
「これで、俺も、正式に登録された会社の一員ってことになるんですね」
「はい。ロイドさんには、これからも調整役として、よろしくお願いします」
蒼太が頭を下げると、ロイドも、深々と頭を下げ返してきた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「あの、一つ聞いてもいいですか」
ロイドが、少し遠慮がちに口を開いた。
「はい、何でしょう」
「俺の肩書きって、これから、どうなるんでしょうか」
「肩書き、ですか」
「ただの手伝い、じゃなくて、ちゃんとした会社の一員になるなら、何か、役職みたいなものがあった方がいいのかなって」
蒼太は、少し考えてから答えた。
「じゃあ、業務統括、とかどうですか。ロイドさんが、実質、現場をまとめてくれてるので」
「業務統括……俺が、ですか」
ロイドは、驚いた顔をしたが、すぐに、じわじわと嬉しそうな表情に変わっていった。
「光栄です。頑張ります」
「よろしくお願いします、ロイドさん」
蒼太は、改めて、ロイドと握手を交わした。
小さな、けれど確かな一歩だった。
「これから、忙しくなりそうですね」
ロイドが、少し高揚した様子で言った。
「はい。人も増えていくと思いますし、やることも、どんどん増えていくと思います」
「望むところです。俺、忙しくしてる方が、性に合ってるみたいなので」
ロイドの言葉に、蒼太は、思わず笑った。
「頼りにしてます」
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宿に戻った蒼太は、部屋のベッドに横になりながら、今日一日の出来事を振り返っていた。
商業ギルドへの登録。
「ワールドインセンス」という名前。
そして、認証プレート。
「まさか、王城から追い出されて一ヶ月足らずで、こんなことになるとはな」
蒼太は、天井を見上げながら、小さく笑った。
「知識鑑定なんて、必要ない」
そう言われて、王城を追い出された日のことを、まだよく覚えている。
あのときは、これからどうなるのか、まったく想像できなかった。
不安と、少しの開き直りだけを抱えて、知らない街を歩いていた。
「あのとき、追い出されてなかったら、今頃どうなってたんだろうな」
きっと、王城の片隅で、地味な鑑定士として、目立たず働いていたのかもしれない。
そう考えると、なんだか不思議な気分になる。
「まあ、まだ始まったばかりだけどな」
蒼太は、そう自分に言い聞かせながら、目を閉じた。
事業所も、まだ決まっていない。
社員も、実質ロイド一人だけだ。
けれど、確かに、何かが始まった。
そんな実感が、胸の奥に、静かに広がっていた。
明日は、物件を見て回る。
その次は、きっと、また別の課題が出てくるだろう。
けれど、今はただ、この小さな一歩を、素直に喜んでいたかった。
「明日から、ちゃんと物件、見に行かないとな」
異世界での日々は、また新しい段階へと、動き出していた。
――第11話へ続く。




