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海の見える街 (11)


「ハルー!」


爽やかに吹く風の中を、茜さんが走っている。

見覚えのある浜辺、辺りに僕たち以外は居ない。

茜さんの屈託のないその笑顔に、僕はなぜか胸を痛めた。

こんなにも幸せそうに笑う茜さんに、僕は薄っすらと苛立ちを感じていることに気づく。

こちらに手を振り、近づいてくる彼女を力一杯突き飛ばすイメージを見る。

やりきれない感情を手に握る。


僕の傍に誰かが立っている感覚を覚えた。それが誰なのか、僕はわからない。

ただ、どこか遠い昔の、自分の感覚なようにも思える。

嬉しそうに僕の手を取った茜さんに僕は反射的に叫んだ。



「僕に触るな!!!」




目を開けて、僕は夢を見ていたと気づく。

僕の視界には、驚いた表情の杏香さんが映った。

「ごめんなさい。今朝はピアノが鳴らなかったから具合でも悪くしたのかと思って。」

枕元に置いた小さな置き時計に目をやると、時刻はもう九時を回っていた。

「すみません、夢を、見ていたみたいで。」

僕が頭を掻きながら起き上がるのを見て、杏香さんは気にしなくていいのよ、と、優しく笑った。

「必要であれば、下に朝食があります。私も家から持ってきたのだけれど、茜さんも作ってくれていたみたいよ。」

学生の頃、母が僕にそうした様に、杏香さんは過剰気味に僕の様子を伺った。

どこも痛まないかとか、気分が悪くないか、とか。

「茜さんと裕くんは?」

「朝食を食べた後、二人でどこか出かけて行きました。私はてっきり、貴方がそう差し向けたのではないのかと思っていたのだけれど。」

違った?と問いながら、杏香さんは僕の部屋のカーテンを窓を開けた。

八月の半ば、日射しのわりに風は乾いていて気持ちよかった。

「朝食をいただきます。すみません、ご心配をおかけして。」

「何も問題はありません。」

杏香さんは笑った顔を少し曇らせて

「茜さんが、貴方を思い悩ませていなければいいのだけれど」

と言った。

「杏香さん、よろしければ、僕の朝食に付き合っていただけませんか?」


僕は彼女が占い師の元で積んだ修行の成果として未来を見透かす力のあるような人だった、ということを思い出す。


「僕が、裕くんと話すための、準備をさせてください。」




鼻緒に白い花のついたサンダルで、麻の薄く青みがかったワンピースの茜さんは、車から降りると嬉しそうに浜を駆け始めた。


ここにくるのはあの、治くんが来た日以来だ。


今朝は目覚めたら、七時半を回っていた。

昨夜、遅くまで作業をしていたわけでも無かったのに、珍しく寝過ごしたな、そう思いながら生ぬるい部屋で身体を起こし、目に見えた携帯を反射的に手に取って、昨日の出来事を思い出す。


脳裏に俺をキッと睨んだ、あの茜さんの表情がフラッシュバックした。


あの後、俺は彼女を追いかけることができなかった。

簡単なことだ。彼女が治くんの元に駆けて行ったとすぐに解ったからだ。

俺は逃げる様に家に帰って、とにかく出来る事をやる事で自分のざわついた気持ちを落ち着かせようとした。

迎えに行こうともした。

花火を見ようと誘おうともした。

けれども、あの、茜さんの表情が俺の全てに突き刺さってくる。

なんとか送ることのできた数通のメッセージも、俺になんて言われたくないだろうなと安易に想像出来る様な、くだらない言葉だけだった。


いつもより遅い時間に潮風に向かうと、ダイニングで茜さんが4人分の朝食を作って座って待っていた。

俺は言葉に詰まった。

安堵を先に出すべきか、謝罪を先に出すべきか。

あの後どこに居ただとか、治くんと何を話したのだとか、俺に問う権利もないことが、次から次へと脳内を巡っていく。

「裕くん!おはよう。」

茜さんは、まるで何も無かったかの様に、いや…昨日の内にまるで何かを剥ぎ取ったかの様に、妙に新鮮にそこに居た。

「今日はみーんなお寝坊なの。ハルも起きてこないから、今日は茜さんが朝ごはんを作りましたー!」

茜さんは俺の後ろに回って、「さぁ、座って」と俺の背中を押して席に座らせた。

「お茶は冷たいのとあったかいの、どっちがいいですかー?」

なんだか苦い味がする。

あの頃…咲生が居た頃の茜さんを見ている様だった。

懸命に、気を遣って、俺に話しかけられない様に、次々に話題を振ってくる。

「茜さん、」

呼んだ俺を振り返って、茜さんは「今は、お茶がどっちがいいか、の答えしか私は聞かないよ?」と言った。

まるで、違う人がそこに立っているみたいだ。どこか、咲生のようだとも思った。

「じゃあ、あったかい方でもええですか?」

茜さんは「はいはーい!」と陽気な声をあげて、キッチンの奥へ消えていく。

ごめん、茜さん。俺がはっきりしないばっかりに、いつも君に無理をさせてしまって…。

すぐ傍で、湯呑みを机に置いた音がして俺は我に帰る。

「いただきまーす!」

妙に子供っぽい声で、茜さんが言った。

彼女が子供っぽくしている時は、決まって何かに甘えたい時だ。

自分の中で整理のつかない気持ちから、逃げ出してしまいたい時だ。

「いただきます。」

俺が感謝を込めて合掌し、箸に手をつけた時だった。

「裕くん、お願いがあるんだけど。」

俺は無意識に身構える。

「私が窓ガラスぶっ叩いた日に連れてってくれた、あの浜に、連れて行ってくれない?」

茜さんは、こっちを見ていなかった。



「ねぇー!裕くん、来て来て!カニがいるよ!カニー!」

遠くの方で手招きしている茜さんを追って、俺は腰掛けていたコンクリートの階段から立ち上がる。

「何がいるって?」

傍に寄って、覗き込むようにしゃがみ込むと、茜さんは反対に立ち上がって、俺の背後から覆い被さってきた。

俺はバランスを崩して、その場に尻餅をつく。

一体何を、と言おうとして、茜さんが後ろから、何か言っていることに気づいた。

目を瞑って、波の音にかき消されてしまわないように、俺は耳に意識を集中させる。


「このまま、私の話を聞いて。」


彼女は、そう言っていた。





まるで赤ん坊のように、ハルはあの後、泣き疲れて眠ってしまった。

私に微熱と求める感触だけを残して。

そのまま、ハルの隣で眠りたかったけれど、朝になって、見つかって、この状況を説明するのも面倒だなと思った。


ハルは記憶を失くしたのではなくて、実は遠い未来からやって来て、あの頃の事は昔のこと過ぎて、単純に忘れてしまっているだけなんじゃないかと思うくらい、全て、先が見えているように私には見えた。

私がどうするべきで、自分がどうするべきで、遠い未来と同じ時間がやってくるように、迷いや間違いを修正している。あるべき方へ導いてくれる。そんな風に思っていた。

だから、ハルが言っていることを信じよう。

自分の気持ちを信じられなくても、ハルの事は私は信じる事ができると思った。


「あかね、さん…」


ベッドを降りて背を向けた私に、小さくハルがそう言うまでは。


彼は私に、殺されてしまった彼女の残像を見ていただけ、だったのでは…?

もしかして、一瞬でも、あの長いキスの間に…私を、私として見てくれていたとしたら。

…もし、そうだとしたら。


ハルを振り返った私を、いくつもの言葉が引き止めた。その多くは眠る前にハルが言った言葉だったけれど、

一つだけ、一際大きな声で私を引き止めたのは、

あの日、浜辺でキスをしようとした私を制した、裕くんの声だった。


大丈夫。

私は、私に正直になれる。今ならきっとなれる。

ハルの気持ちも迷わせてしまうのならば、今度は私が、私の手で、その行先を選んでみせる。


「待ってて、ハル。私はちゃんとやり遂げるから。」


私は静かに部屋を出て自分の部屋に戻り、着て行く服を考えた。

朝が来たら、裕くんを連れ出して、二人で話をしよう。

一番、自分でも可愛いと思える自分で、裕くんと話がしたいと、そう思った。

もしも、裕くんに気持ちが届かなくても、その時の私が、今、最高に素直で、可愛い自分であれば受け止められると思った。

咲生の残像なんかに邪魔はされたくないと思ったけれど、そもそも咲生のような女の子が私の憧れだった。

何処にいても、誰からも、求められて

それに応え続けられる。

そうする事に生きる喜びを感じている。

いつも華のように笑って、皆がその名前を呼ぶ。


本当に私が好きなのは、裕くんでもなく、ハルでもなく、咲生なのかもしれない。

私はそう思った。


まだ薄暗く、部屋の電気が反射する廊下の窓に、私は麻の薄く青みがかったノースリーブのワンピースを着て映り込む。

咲生のようになりたかった。せめて、外見だけでも。

そう思って見ていた通販サイトのページを覗き込んで、咲生が、私に選んでくれた色。


「名前は茜色だけど、私は茜ちゃんを青いイメージで見てるんよね。共感覚、って言うらしいんやけど、私はいろんな物を色のイメージで見とってね。例えば、数字の一は白。二は黄色、とか。で、茜ちゃんは、青。深く綺麗な海の蒼。」

「じゃあ、おばあちゃんは?」

「杏香さんは暖かい、柔らかい橙色かなぁ?」

「じゃあ…、裕くんは?」

「裕の色は秘密。私が、しらん間に、その色で埋め尽くしてやるん!」


思い出して真似た咲生の笑顔は、最近の私にとてもよく似ていた。

華が咲くように、パッと輝くあの、ニカッとした笑顔。


「咲生。私は咲生の気持ちも、無駄にしない。」


時計が朝七時を指した。

ハルは起きてこない。

気がつくまで眠っていてもらおう。

その間に、私は、私になってくるから。



**




波の音が無言の静寂を埋める。

茜の最初の言葉は

「私は、裕くんのことが好き。」

だった。


間髪入れずに茜は話続ける。

「とりあえず、今は何も言わずに話を聞いてほしい。顔を見たら言いたいことがわからなくなってしまうから、このまま聞いてほしい。全部話した後で、裕くんの話、聞くから。」

裕は黙って頷いた。

「裕くんのことが好きだって気づいたのは、咲生がいなくなってしまってからだった。落ち込んだ裕くんを元気にしてあげたいっていう気持ちと一緒に、私は咲生に対してとても怒っているって、気が付いた。逃げた。って、そう思った。自分が負けそうだからって、裕くんのことを考えずに勝手に逃げた、って。咲生がいなくなる前に、私に言ったことがあってね。裕くんを自由にしてあげたい。そう言ってた。」


裕は思わず、茜を振り払って振り返ろうとする。茜に腕の力を強められてハッとし、そのまま最後まで話を聞く事にした。


「私はその時、自分が裕くんのことが好きになっていて、無意識に咲生を真似ていってたことに気づいていなかったけれど、きっと咲生は、それに気づいていたんだと思う。そして、裕くんがそんな私の方を見ているって事にも。」


好きだと口にするよりも、茜の心拍数は上がっていた。

裕が自分を見ていたというそれは、治の予想を借りて来た、いわばただの憶測だった。

治が、自分で気づいている事を信じろと、言ってくれたから。


咲生がどんどん、自分にわざと笑うようになっていった事に茜は気付いていた。

私は可哀相なんかじゃない。私は惨めなんかじゃない。

そうやって、わざと自分の前で、私は今日もこんなに幸せ、と見せつけるように。

それは、幼い頃の自分ととてもよく似ていたから。


「私は裕を縛り付けてしまうから。咲生はそう言ってた。きっと、裕くんの気持ちの変化や揺らぎを許せなかったんじゃないかなって、私は、思ってる。」


だんだん自信の無くなってきた自分に、今朝の決意を蘇らせる。治が自分にしてくれたことも。


「裕くん。私は、裕くんが好きなのと同じくらい、咲生の事も好きだった。憧れだった。咲生みたいな女の子になりたいって思ってた。全部気がつくのが遅かった。でも、私も、一緒に咲生の思い出を持って、裕くんと生きたい!」


茜の腕の束縛はいとも簡単に破られた。裕は力一杯に茜を抱きしめる。

「茜さん…。」

裕の声が震えている。

「本当に今までごめん。俺がはっきりせんばっかりに、茜さんにずっと、苦しい思いをさせて…。」

茜は震える裕の背中を何度も優しく撫でた。


「茜さんとちゃんと向き合うには、咲生をちゃんと忘れないけんと思うてきた。茜さんの気持ちに気付いてからも、俺が、俺の気持ちに気付いてからも。最優先はそれやと思うてきた。治くんがここに来て、俺の気持ちに焦りが出た。のんびりしとったら、治くんが茜さんを持って行ってしまう、そう感じとった。二人きりにしておくのは不安しかなかったけど、俺は今、仕事を頑張って、金を貯めて…。それで最悪、茜さんを攫おうとさえ思っとった。」

「えっ?攫う?」

「びっくりするやろ?それくらい、俺は切羽詰まっとったんよ。治くんは、杏香さんに似とる。きっと茜さんの求めることがすぐにわかるやろう。そうされたら俺に勝ち目はない。」


茜は昨夜、治が「僕が裕くんに勝つことは至って簡単。」と言っていたのを思い出す。


「昨日、気持ちの焦りから茜さんにあんな意地悪を言うて、あぁ、もう茜さんは俺の傍には来てくれんやろうって思った。迎えに行こうともしたし、花火見ようかって誘おうともした。でもあの時、治くんのところへ走っていく茜さんを追いかけられんかった時点で、俺にそんなことする権利ないなぁと思ってしもうてできんかった。あんな、つまらんことしか言えんくてごめん。」


裕の言う、あんなつまらんことが、昨日のメール五通のことだと茜はすぐに解った。

裕から送られて来たのは、五回分の「ごめん」だったからだ。


「私が今日、裕くんに気持ちを話そうと思えたのは、ハルのおかげだよ。ハルが行けって言ってくれた。」


そう言う茜の脳裏に、昨夜の色々が浮かぶ。

嘘じゃない。

澄み切ってはいないけど、嘘はついていない。


「茜さんに、ここに連れてって欲しいって言われた時、邪魔しないでって言われるんかなぁと思っとった。」

「なにそれ⁈」

「茜さんの気持ちは、治くんへいってしもうただろうなと、思うとったから…」

嘘じゃない。嘘は、ついていない。

「咲生は確かにここに居たんだもん。裕くんの中に生きて居て当たり前だよ。私はここに来て、裕くんにいつも助けてもらってばかりで、裕くんの辛い気持ちは知らないままでいた。ごめんね。でも、私、これからは、咲生に負けないくらい、裕くんがしんどくなった時には、力一杯支えられるような、そんな私になりたい!」


ざわざわと風が何度も茜の髪を揺らして、その表情を時折隠すので、裕は両手で優しくその髪を耳に掛け、

頬を包んで真っ直ぐこちらを向かせた。

お互いに、同じだけ曇っている瞳をじっと見つめ合う。

まだ居る。瞳に映る自分の奥に別の人が。

気付いて、互いに見て見ぬ振りをする。

そうしてこの瞬間を「きっとこれで正しい」と自分に言い聞かせる。


「茜さん。俺も、茜さんのことが好きだ。」


引き返せない。二人は同時にそう思った。

大丈夫。きっと、この瞳の曇りもいつか晴れる。


茜は裕にされているのと同じ様に裕の頰を両手で包む。

「前来た時に、裕くんがダメだなんて言わなければ、こんなに時間かかんなかったのに。」

冗談に笑いながら二人は心の中で祈る様に思う。


この【上書き】を、貫き通すと。


目を閉じて、少し磯の香りが移った茜の髪に触れて、裕はそっと茜の唇に誓いと覚悟を重ねた。

茜の体にギュッと力が入る。

緊張を解く様に、裕は何度も茜の頭を撫でてやった。

きっといっぱい悩ませて、いっぱい苦しませた。

茜が選んでくれたこの自分を、信じて絶対に守り抜こう。



咲生との過去に

治との夢に

もう、戻ることはできない。



涙の色を互いに見ることはせず、まるでこの味しか知らない自分を作り上げるように、

二人は何度も必死に互いの暖かさに縋った。


**



「僕は二人に、この島の外で暮らすことを提案したいと思っています。」

朝食を取りながら、僕は杏香さんに告げた。

「きっと茜さんは、自分の決めたことをきっちりやり遂げて帰ってきますから、今晩にでも裕くんと話したいと思っています。」

随分と茜さんへの信頼が厚いのね、と杏香さんは言った。

そりゃそうだ。

今朝、目覚めた時、茜さんが傍で眠っていないことで、僕は彼女の気持ちを察した。

意を決したんだな、と。

そうじゃなければ、僕があれだけ体を張った意味がない。

全ては茜さんの為だと言い聞かせながら、僕は、自分が茜さんをわざと惑わせていると自覚していた。

眠りに落ちる前に、茜さんを引き止めたつもりだったが、彼女がいなかったということは、もはやそれは夢の中だったのだろう。


「正直、茜さんの気持ちをこっちに向けることなんて簡単でした。全然できない事はなかった。」

「だけど、それが本物の想いじゃないからそうする事を阻まれた?」

言い当てられると思っていた。それが杏香さんだもの。

「はい。その通りです。」

「ごめんなさいね。いつだったか、貴方と茜さんが体育館で話しているのを、聞いてしまって。貴方の思い出せない昔のお話を。」

あぁ、そうだったのか。全く気が付かなかった。

「実は、最近少し、記憶を取り戻しまして。」

杏香さんはまぁ、と笑った後、複雑そうな顔をした。

「ありがとうございます。いい記憶じゃあなかったけれど、そのお陰で僕は今回、茜さんを護れたんじゃないかと思っています。」

「護れた、というのは?」


僕は杏香さんに思い出した昔の話をした。

僕は彼女にとっての【代わり】だった事。きっと自分は代わりにされやすいんだと感じた事。そしてだからこそ、人を助けられるかもしれないと思った事。


「杏香さんのご主人の話を、少しだけ茜さんから聞きました。裕くんが茜さんに話した事を又聞きしたと言った方が正確かもしれません。これは僕の憶測なので、失礼かもしれませんが、杏香さんは心の何処かで、この施設に関わる事を、旦那さんへの一種の罪滅ぼしだと思っていたりしませんか?」

杏香さんは一瞬目を見開いた。本人から「私に似ている」と言われた期待に、なんだか応えられたような気持ちになって僕は安堵した。

杏香さんから返答がないので僕は続ける。


「きっと裕くんもそうです。彼も、咲生さんへの気持ちはとっくに薄れてきているのに、その考えのせいで今日の今日まで、茜さんの気持ちに応えられずにいた。それに気付いていたから、杏香さんは茜さんを好きに裕くんに引っ付かせておかなかったんでしょう?いずれこじれるのがわかっていたから。」

「治さんは以前、私を占い師のようだとおっしゃったけれど、貴方はまるで名探偵ね。」

杏香さんは笑って、「あなたの言った通りです」と言った。


「夫も咲生さんも、この平和すぎる世界に慣れ過ぎてしまって、大切な判断を見誤ってしまったのです。」

「井の中の蛙、大海を知らず。」

「まさにその通りに。」

「僕は、正直、茜さんがはっきりと僕を望むのならば、大海を見せてあげるのは僕でもいいと思っていました。

でも彼女には、別に掴まなければならないものがある。」

「己の気持ちを見定めるために?」

「いいえ。己を己とする為に、です。」

僕は空の掌を握り締めた。

「承認欲求、存在意義。」

杏香さんは僕の言葉をゆっくりと復唱した。

「僕には、茜さんでなくちゃいけないと、言ってあげられない。」

「それは、貴方の中に、まだ前の彼女のことが残っているから?」


いいや、それは関係ないんだ。それなら、裕くんにだって、茜さんを受け入れる資格はない。


「違います。僕が、茜さんの事を、相手の気持ちを、信じてあげられないからです。」

杏香さんは僕の答えが予想外だったようで、ゆっくりとその言葉を噛み砕いて飲んでいるように見えた。

「茜さんは、新鮮な感覚が好きな人だ。自分を守る為に、常に居心地のいい場所を探している。僕はその場所作りを手伝うことはできるけど、それは茜さんを囲えない。きっといつかまた誰かの代わりになると思いながら、何処かで怯えてなくちゃならない。だったらここで、初めから誰かの何かの代わりとして、僕を確立させられたら、それは誰かを護れることに繋がるのではないか。茜さんと過ごすうちに、そう感じ始めました。」

「それは、貴方が気持ちになんとか諦めをつけさせるためのものではないの?」

「いいえ。断言します。僕は仮に、茜さんを傍に置いたとしても、同じような人が目の前に表れたら、同じように接します。僕には茜さんがいるから、という理由で、見て見ぬふりはできない。わかっていて、茜さんが傷つくところへ連れて行きたくはない。あれで、茜さんもちゃんとしたい人だから。僕のそういう性に一生癇癪を起こさなくてはならない。そんなの、しんどいでしょう?」

「貴方は、自分のことだけでなく、相手のことも見据えて考えれあげられるのね。素敵だわ。」

杏香さんはニッコリと微笑む。


「それで?私は貴方にどう協力すればいいのかしら?」


本題だ。

僕は杏香さんが言葉で言わない、本心に気づいていた。

彼女は、裕くんを道連れにしたかったのだ。

同じ海に、同じように大切な人を呑まれた者同士、共にここで、生きるという罰を受けて欲しかったのだ。

そうでないと、自分だけを責め続けてしまうから。

僕は裕くんを助けられるのは茜さんだけだと思った。

僕では、茜さん一人しか抱えていくことができない。

裕くんと共に茜さんがこの島から出るのは、僕にとって一石二鳥だった。

裕くんを杏香さんの縛りから助けられる事と、茜さんの取り戻したいものを、裕くんであれば茜さんにきっといつか、あげることができる。


僕がこの島に呼ばれた本当の目的は、茜さんをここから連れ出すナイトにさせること。

僕はそれを知りながら、今度は自ら、裕くんの代わりになるのだ。


きっと、そういう役回りなんだ。僕もそれが死ぬほど嫌いならそんな役お断りだけれど、生憎、思わせぶりな人間のようなので、好都合にも配役は完璧だった。世界は上手く配分されている。


「今夜、茜さんを引き取ってください。一、二時間杏香さんの家に呼んでいただけないでしょうか?僕は、ここで彼と話がしたい。」


杏香さんは大きく一度頷いて引き受けました。と言った。そして続ける。


「治さん、おそらく全て解っている貴方に、私がこんな事を言う資格はないのですけれど…、治さんは、本当にこれで後悔しませんか?」


そんなものはない。後悔するくらいなら、僕はとっくの昔に貴女を見て見ぬ振りをしたさ。


僕は頷いた。僕は僕の意思で、ここで佑香に対して罪滅ぼしをするのだから。



裕くんと連れ立って帰ってきた茜さんを、僕は出迎えた。

「おはよう。」

いつもの様に声をかけると、少し目の赤い茜さんが振り向く。

「よく頑張ったね。茜さんならちゃんとできると僕は信じていたよ。」

裕くんに聞こえないように僕はこっそりと茜さんの耳元で言った。

「治くん、具合が悪かったりはせんの?」

裕くんは僕に初めて治くんと声をかけてくれた。茜さんが、あれ?という顔をしている。

「あぁ、今日は寝すぎてしまっただけ。大丈夫だよ。」

僕は片手を挙げて答えた。


裕くんが車を杏香さんの家へ返しに行くと言うので、僕は裕くんに駆け寄って約束を取付ける。

「今夜、僕と話をしてくれない?体育館でピアノを弾きながら待っているからさ。」

返事は敢えて聞かなかった。


車を見送ると茜さんに腕を引かれた。

僕は引っ張られながら、茜さんへ今夜は杏香さんのところへ行っててほしいとお願いをする。

僕を体育館の前まで引っ張ってきて、茜さんはやっと口を開いた。


「ハルのお願いをきくための、交換条件への返答を要求する。」

ほぉ。なんだろう。

「いいよ、吞もう。」


「昨日、私のキスに応えた時に、ハルは一瞬でも、私のことを見てくれていた?」


とんでもなく今更な質問だった。

もういいじゃない。そっちの話は上手く纏まったんでしょう?


「それ聞いてどうするの?僕が本当のことを言うと、茜さん思ってる?」


そうだとしたら買いかぶり過ぎだと思った。

僕はそんなに、真面目でも優しくもない。これで僕にまた引っかき回したい変な欲求でも生まれたらどうしてくれる。


「言ってくれる。私はそういうハルが好き。」

「あ?」

「私は、もうふらつかない。でも、ハルのことも好きだったことは事実だから。ただ押し殺してなかったことにするんじゃなくて、私の中でそう想っていた自分のことも、大切に持って生きたい。だから聞いてる。」

「僕に聞かなくても、そういう自分を持って生きたいんなら、それで話は完結じゃないの?」


「ハルの気持ちも、持っていたい。御守りとして。」


僕はため息をついた。

こいつ、確信犯じゃんか。

ただ僕の口から言わせることで、承認欲求満たそうとしてるだけじゃないか。くっそ。


「いいかい、茜さん。前にも言ったよね。僕らの気持ちは【代わり】なんだよって。」


茜さんの目が、そう言うのはいいから早く言えと言っている。

本当に、諦めの悪い…


「そう思ってるなら、信じて黙って持っていけばいいじゃん。」

「ハルの口から聞きたい。」

「そうやって承認欲求満たしたいだけでしょう?私のことを好きだと思ってくれたって。」


このままだと喧嘩みたいになるな…

僕もそれは後味が悪くて嫌だなと思った。

茜さんのもうふらつかないを、僕は信用していなかった。逆に二秒で戻ってくる方にはなぜか自信があった。


僕は考える。こうなったら、一生その脳裏に僕を焼き付けさせてやる。


「僕の努力を、無駄にするなよ。」

茜さんは首を傾げた。

「あの時、佑香の名前を呼んだのはわざとだ。茜さんに踏ん切りつけさす為に。」

真っ黒な嘘だった。罪悪感という形で、僕のことを残してやるよ。君が望んだんだからな。


「じゃあなんで落ち際に、私を呼んだの。」


え?あれ?

あれは、届いていなかったんじゃ…。


「それが腑に落ちないから聞いてる。」


あっそう。

なんだよ……、最初から僕の負けじゃないか。

僕はもう一度ため息をついた。

全身に爽やかな青を纏った茜さんを、僕は逆に自分の中に焼き付ける。


「茜さんは、本当に自分の事しか見えていないな。君には御守りになって残るのかもしれないけれど、僕には何を残していってくれるの。」


茜さんは僕の言葉を噛み砕いてる。

本当はそんなもの要らなかった。ただ、茜さんがどう答えるのかを知りたくなった。


呑気に返事を待っていると急に胸ぐらを掴まれた。服を引き千切るくらいの勢いで、僕の体は茜さんに引っ張られる。


こいつ……、僕のこと好きすぎじゃん。


やがて僕は、茜さんの思い通りの位置まで引き寄せられて、夢現で味わった味を再び喰らった。


「早速、裕くんを裏切った私をあげる。鼻でも高くしたら?」


余裕綽々な言い方に、僕は大きな声で笑った。


とんでもなく、嬉しかった。

それでも自分を持ってしっかり立っている茜さんの姿が、僕は、嬉しくて、嬉しくて、信じてあげられもしないくせにすごく、愛おしかった。


「君を呼んだよ。あれが、僕の最後の我儘だ。目覚めて隣に君がいなかったことで、僕は夢から覚めたよ。」



茜さんは泣きそうな顔をしている。


ハルは泣きそうな顔をしている。

きっとこの先、生きていく間、私は、この人の心を少しでも惹く事ができたことを自信にしていけるだろう。


自然と指を繋いだ。

泣かないでと自分に言い聞かせた。

まだ、諦められていないみたいじゃないか。


瞼の裏に蘇る甘い安心感を、二人は思い出して声を振り絞る。



「「さよなら」」



この言葉の冷たさが、

二人には丁度いい痛みと傷だった。




***




− 

陽が落ちて、僕は体育館で裕くんを待つ為にピアノの前に座った。

僕の勧めでドビュッシーを聞いていた茜さんに、この”夢”は届くだろうか。


曲の途中で、裕くんがやって来たことに僕は気付く。

彼はジェスチャーで「そのまま」と伝えて来た。

僕は最後まで、夢を奏で続ける。

オーロラ色のようなこの曲は、少しの傾きで目まぐるしく色を変える。

茜さんによく似合う曲だなぁと、僕は思った。


鍵盤から指を離すと、裕くんの拍手が体育館いっぱいに響いた。


「改めてよぉ聴いたら、やっぱりすごいね。」

彼は「よっ、昼間ぶり。」と拍手をやめると片手を挙げた。

「夢か…繊細な曲よなぁ。」

驚いた。裕くんはピアノなんて知ってそうに無いのに。

「よく知ってたね。好きなの?ピアノ?ドビュッシー?」

僕の問いに彼は困ったような顔をして、「咲生が幼いころピアノを習っていたから。」と言った。

多分、この空間で、その名前はタブーだと思ったんだろう。

彼は、僕に呼び出された理由がなんとなく、わかっていそうだった。


「場所、変えようか?」

「いいや、俺はここでええよ。」

「裕くんって、一人称、俺なんだね。なんかちょっと嬉しいわ。僕も受け入れてもらえた気がして。」

なんだよ、そりゃ。と言って裕くんはぎこちなく笑った。


さぁ、本題を切り出そうか。


僕が彼を呼びつけて話したかったことは、ただ一つ。

負け犬の忠告だった。

そんな余計なお世話をして、下手すると彼を怒らせかねない。

でもどうしても、あの二秒で人を裏切る甘えん坊の為に、否、二秒で人を裏切る甘えん坊から僕の決心を守る為に、僕は彼に釘を刺しておかねばならなかったのだ。

きっと、島を出て暮らそうなんて話は、わざわざ僕が言わなくても、あっちで二人も考えているだろう。

裕くんがある時から昼間自宅で仕事ばかりし始めたのとも繋がる。


僕が息を吸った時だった。


「昨日、茜さん、君のところに居た?」


裕くんが、先に口火を切った。

あー、へぇ…。

腹割って話そうぜ、って事ね。

オーケー。

僕はもう一度ゆっくりと息を吸い直した。


「あぁ、居たよ。」

「茜さんに、なんがあったって聞いとる?」

「先に確認しておくけど、これって、男同士の腹割り、って事でいいんだよね?」

「ごめん、どういう事?」

「僕の話を聞いて、君が後から茜さんを追い詰めたりしないかどうか、って聞いてる。」

「あぁ、そういう事ね。もちろん、せんせん。そのつもりだから、君も茜さんを杏香さんのとこへやったんやろ?」


あぁそうだ。この場を設けたことは知られたっていいけど、何を話したのかは、絶対に聞かれたくなかったから、杏香さんという見張りをつけて、あんな条件呑んで、彼女にも直接、杏香さんの所にいろって頼んだんだから。


僕は問いに頷き、先の問いに答えを出す。

「何があったとは特に聞いていないよ。裕くんに、僕が来た方がよかったか?って聞かれて、自分の気持ちもはっきりしねぇくせに、イライラしたから、僕を裕くんの代わりにしに来た。と、僕は認識してる。」


喧嘩になってもいいかなって、僕は思った。

撫で合ってても始まらないし、釘も立たない。


「あぁ、今の言い方は、僕の私情が挟まってるから気にしないで。」

僕は放り投げるようにして彼に言った。


「代わりっていうのは、俺の代わりに治くんに甘えに行ったって解釈でええか?」

「そうそう、その通り。」


ここらで僕は一発、ボディを狙ってみる。


「ちなみに、明け方まで、茜さんは僕と一緒に居たよ。」


さぁ、どう出てくる。


「それで、茜さんはよく俺の方に来たなぁ…。」


わざと僕を煽っているのではなくて、本当に不思議で納得いかなさそうな言い方だった。


「僕に、寝取られてるとでも思ってた?」

「寝取られる、やなんて。俺は茜さんとそんな事した事ないけん。」


裕くんは笑う。

治くんは、と言いかけて、あー、もう、なんかめんどくせぇなぁと言いながら、彼は僕を呼び直した。


「治は?昨夜は茜さんにさぞ優しくしてあげたんやろ?」

「わざわざ裕の気持ちも知ってて、手を出すほど、僕も馬鹿じゃないわ。」

僕も笑った。

「ただ、あの人なんも考えて無さすぎるから、くそ程我慢はした。」

裕は腹を抱えて軽快に笑った。

「わかる!俺も今までくそ程我慢して来た!」


あー。変に僕が意地なんて張らなければ、僕が僕の役割を、もっと早く理解していたら、

亮司ともこうやって、佑香の話ができたのかもしれない。

そんな風に僕は思った。


「これで、いいと思うか?治。」

裕は急にトーンを切り替える。

「もうここまで話したから、嫌味も何も無しだ。僕が君に伝えたいことはたった一つだけ。」


僕らは互いに唾を飲む。


「どんだけ暴れ回ろうが、あの人を君の中で引き止めていてくれ。」


それは彼女のためでもあり、

僕のためでもあった。

僕らの交わした「さよなら」を、茜さんに裏切らせないでくれ。


「彼女の為にも、僕の為にも君に頼みたかった。」

裕は黙って頷いた後に、ごめんと一言断って話し始める。


「治の気持ちも知っておいて、こんなことを言うんは悪いと思うとるんやけど…。俺が、ここに来た理由も一つある。俺は、杏香さんやハルのように、彼女が笑って誤魔化す本心を読めない。二人の気持ちは、そっちでどう話がついたのか、俺に教えとってくれんか。」


そんなに気にするなら、昨日僕の部屋のドアを蹴破ってでも来ればよかったのに。

多少跨ったりはしてたけど、話せばわかる事しかしてなかったし。


「別に、僕のことは気にしなくていいよ。あの二秒でふらつく人と僕は違うから。」


僕はいつかこれが彼女の為になると思って、裕に話した。


「茜さんは、裕がずっと過去から抜け出せないもんなんだと暗示をかけてしまっていて、裕の気持ちに気付いていても、それを自分で信じられなかったみたい。あんまりにもウダウダ言うから僕もちょっと腹立って来て、腹いせに煽って馬乗りになったら、満更でもない顔してきたから叱っといた。」

「あー。それは俺のせいだな。俺がハッキリしないから。」

「すごい正直なこと言うけど、あの時、茜さんがなんの躊躇いもなく僕を受け入れたら、僕は、裕のことは見なかったことにしようって思ってたんだ。」

「ひっど。」

「それくらい、僕も君の代わりでいいや。って気持ちに持ってかれてた。僕で彼女が満足するんなら、また痛い目みるかぁ。って。」

「また?」

「あぁ、僕の思い出した記憶の話、茜さんから聞いてない?」

「まじで⁈思い出したんか?!」

「全部じゃないけど。なんか、思い出さなくてもよかったような部分だけね。」


僕は過去にも【代わり】だった話をした。

僕のくだらない意地のせいで、彼女は殺されて、僕は彼女に刺されたという話。

一番の親友を、人殺しにしてしまった話。


亮司は、自分の想いが通らなくて激昂したわけじゃなかった。僕が邪魔すぎてヒスになった佑香が僕を刺したのを見て、僕の為に怒ったんだ。

僕の為に、衝動的とはいえ手を汚してしまった。

あの日の集まりは、妹を含めた僕ら四人の想い想われをはっきりさせるために設けられたリングだった。

多分セッティングしたのは佑香だろう。

佑香の殺意は元々妹に向いていたんではないかと僕は思った。

僕ら兄妹には、初めから負けが決まっている出来レースだった。

妹は、流血騒ぎになって、すぐに人を呼びに走ったから無事だった。

あいつを護れたならあの時のことは、僕はそれでいい。


「茜さんはにね、取り戻したいものがあるんだ。」


僕は話を戻す。


「誰かに自分を必要だと言って欲しい。自分が生きている意味を彼女はずっと探している。それを、他人の中に、探している。

だから、たらし込むのは簡単だった。」

「じゃあ、治はなんでそうしなかった。」

「僕は、いつ、茜さんの心移りに裏切られるんだろう。っていう、恐怖へのカウンドダウンと一緒にじゃないと生きられない。適当にその気にさせることは簡単だけど、僕はそのカウントダウンを止めて、茜さんの取り戻したいものをあげられないと思った。」


君が一緒にいてくれてよかった。

僕には君しかいないから。

そんなことを上辺で言えたって、

僕の嘘は簡単に剥がれる。

そう言ったくせにハルは他の人にも優しくすると、僕も二秒で言わせてしまう。


「だから、僕は代わりでいる方を選んだんだ。」


これは嘘ではない。

僕が彼女に初めに申し出たのも、取り戻したいものを探す手伝い、だ。


「逆に言うたら、俺はそれを託された、と。」

「そうだね。茜さんには昨日、裕に断られたら、僕を保険にしておいて戻ってこいって言っておいた。そうする事で、多分、自分に甘えずにちゃんとやりきる思ったんだ。茜さん意外とちゃんとしてるから。保険とか、キープとか、セフレとか、そういうの嫌いだと思ったんだよ。」


裕はよくわかるなぁ、なんて他人事みたいに言っている。


「裕がここに来る前に、僕らはさよならをした。僕らの中でもうお互いに、自分のことを好きになってくれた人、だ。」


僕は、僕の気持ちを御守りにすると彼女が言った話はしなかった。

御守りは、中を開いて見ると、効果がなくなるっていうでしょ。

一つだけ、僕の優越感の為に、言わなかった。


「裕、何か足りなければサポートする。きっとそっちでも話になってると思うけど、君たち二人、お互いのために、この島を出な。」

裕は驚いたように僕を見た。

「出るって、ここはどうする?」

「ここには、僕が残る。僕がここを杏香さんと一緒に守っていく。」

裕は言葉が見つからないようだ。

どうやら二人の間にこの話は出ていなかったらしい。

「僕は、君の代わりだ。遠慮なく使ってくれ。それが僕の為にもなる。」

僕は付け加えた。

「罪滅ぼしの念から、僕は君の事も助け出したい。」

裕は徐に笑うと、

「これはたらし込まれてもしゃーないの。」

と呟いた。


「治、ありがとう。俺のことも、茜さんのことも…杏香さんの事も、理解してくれてありがとう。」


なんだ、裕は気付いてたのか。

杏香さんの事。

わかっていて、道連れになろうとしていたのか。

だからずっと、茜さんを拒んできたのか。


「ここは任せろ。」


僕は拳を裕の目の前に突き出した。

男の約束だ。

僕らの、捻り潰された過去の臓物の痛みをもって、今度は必ず彼女を護り抜こう。

彼も僕の拳に拳を合わせた。

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