1-4 チャーミングデビル
ぶつぶつ……。
「ん? 何やら悩んでいるのでしょうか」
地上に降り立ち、京の歩調に合わせる。
「よく聞こえませんが、悩んでいるならちょうどいいですね」
再びふわふわと宙に浮き、京の容姿を確認すべく前面に回りこむ。顔を近づけること、距離にして約30cm。これだけ近くにいても気付く気配はない。
「近くで見るとなおさらお金持ってそうなオーラを放っています。品があるのでしょうか。お金の悩みだけは心配なさそうですし、悩みを解決する道標となるよう力を授けましょう!」
先ほどまでの明るい表情を一変させて、真剣な面持ちで呪文詠唱を始める。それは、既に地球上に話す民族はいない中世の言語に似ていた。
「Egoum, terrauo voxia exsistor(御身、箱庭にありて 声よ発現せよ)」
詠唱を終え、呼吸を整える。そして、出来るだけ厳粛に、重々しい声色で問うた――。
「――汝、闇の力を欲するか」
「へっ?」
突如頭の中に語りかけてくる、アクション洋画でタフガイを演じていそうな男らしい声に驚愕し、思わず間抜けな声が漏れる。周囲を見渡すが、京の目にはいつも通りの景色だけ。近くにコンビニがあるため誰かが何か言っているのか、と一瞬考えたものの、誰も見当たらないため、その疑念を即座に否定した。
テレパシー、はたまた特殊な力に目覚めた、様々な思案で交錯する中、時々は暴走するものの常識的な思考を持ち合わせている京。結局は考えすぎで頭がおかしくなったものだと結論付けた。
「疲れてるのかな。今日は日常系アニメで癒されよう」
スタスタと歩き始め、徐々に離れていく背中を見て少女は慌てて声を掛ける。
「って、ちょっと待ってください!」
明らかに自分の動作に合わせて声を掛けてきていることから、気のせいではないことを確信した。それと同時に底知れぬ恐怖心が湧いてきた。幽霊か何かはわからないが、周囲を確かめるのが怖い。氷が足に張り付いたように微動だにもせず、体中の体温が奪われていくような感覚がした。
しかし、相手は慌てた様子であったこと、また敬語を使っていたことから、物騒な輩ではない予感もしていた。その可能性に賭け、徐々に血の巡りを感じながら、もう一度恐る恐る周囲を確認する――――が、誰も見当たらなかった。
こんな芸当ができるのは人ではない。何とかしてコンタクトをとり、少しでも相手の情報を聞き出さなければ、恐怖心で押し潰されそうだ。会話が成立するのかどうか確かめるべく、努めてへりくだるように尋ねる。
「ど、どなた様ですか?」
ようやく返答してくれたことに堪らずワキワキさせるが、コホンと咳払いをし、改めて重厚な声で取り繕う。
「私は悪魔。悪魔ヌンムス」
「あ、悪魔? ヌンムスという名前なんですか?」
「左様。汝の名は?」
「私は――――」
得体の知れない相手に対し、本名を教えることに抵抗を感じた。しかし、実は既に知っていて、嘘をいうと恐ろしいことをされるのではないか、という猜疑心もあった。悩むだけ時間が過ぎていく。沈黙が長くなる度、余計に気まずくなり、額から汗が滲み出し、勝手に身体が震えだす。京のまごついている様子を見て、業を煮やした悪魔は大声で――――
「ごめんなさい!!」
謝罪した。
それは京の目には見えないが、角度90度オーバーの深々としたお辞儀であった。
「へっ?」
本日、二度目となる間抜けな声が漏れる。
「少しはしゃぎ過ぎちゃいました。怖がらせるつもりはなかったんです。ちょっと待ってください――Egoum, terrauo corpusia exsistor(御身、箱庭にありて 身体よ発現せよ)」
先ほどとは別の呪文を詠唱し終えると、たちまち悪魔の姿があらわとなっていく。京が恐れていた正体は、身長が150cmにも満たないこじんまりとした可愛らしい少女だった。
上下の衣装は黒、さらに黒タイツ、ワンポイントで所々に白色の装飾が施されていた。全身白と黒で統一された大人しい色調であるが、幾重にも連なるチュールによって広がるスカートが圧倒的な存在感を放ち、全体的にファンシーな印象を与える。
銀色の長髪、ツインテールの髪型は、明るさの中にも落ち着きが見て取れる。罪悪感からか少し頭を垂れているため曇った表情をしているものの、ぱっちりとした二重瞼は美人5割、可愛さ5割をバランスよく配分した万人受けする容姿を引き立てていた。
「へっ?」
本日、三度目。中学生にしか見えない相手に恐れていた京は、気が抜けて完全に語彙力を失っていた。
「本当にごめんなさい!!」
改めてお辞儀をする。今度は京の目にも見えていた。
「見えない悪魔相手に、突然名前を聞かれたり、力が欲しいかなんて聞かれたりしたら、誰だって怖いですよね。日本のアニメでは急に空から女の子が降ってきたり、白い動物みたいなのに契約を迫られたりして、最初は驚いていても何だかんだで冷静になるものなので、同じ感覚で話しかけちゃいました。でも、人間にとって悪魔といえば畏怖の象徴ですから、私のようなちんちくりんな見た目では悪魔だと信じてもらえないと思いまして……」
あたふたと釈明する可愛らしい少女を眺めるうちに、ようやく現実を飲み込み始めた脳が思考を働かせる。
「悪魔……なの?」
「はい」
「女の子……だよね?」
「はい」
「でも、さっきは声がマッチョだったような……」
「あれにはちょっとトリックがあるんです。すいません、雰囲気に合った声にしてみようと」
「そんなことができるの?」
「はい」
「本当に女の子なんだよね?」
「はい。女の娘ではなく、女の子です」
「かわいいって思ったんだけど、安心して良いんだよね?」
「え?」
「ああ、いや、なんでもない。まあ、テレパシーみたいので声をかけてきたり、姿を隠したりできるから、人間ではないんだろうし、声も変えられたりするんだろうね。信じるよ」
「ありがとうございます!」
曇りのち急遽晴れ。パアッと表情が明るくなり、屈託のない笑顔を見せる。
「え~と、それで、ヌンムスさんは俺に闇の力を与えようとしてたんだっけ」
「はい、そうです」
「どうして俺なの?」
「何か悩んでいたので、私たちの力を授けることで願いを叶えてあげようと思ったんです。それに、私たち悪魔にとっても、人間の協力者が必要なんです」
「協力者?」
「私たち悪魔は天使と戦っています。天使達から人間を守るために活動をしていますが、悪魔だけでは守りきれません。そこで、人間を守るために人間自身にも協力してもらおうと考えたんです」
「悪魔が人間を守る? 天使から?」
世間一般的なイメージとは真逆であった。京の真意を汲み取ったヌンムスは説明を続ける。
「天使達が人間の味方であるというイメージは、影響力の強い一部の人間に肩入れした天使の入れ知恵なんです。一部の人間は天使により恩恵を受けたため、天使を神聖視して、世間に良いイメージを広めました。しかし、その裏で本来成功するはずだった者が苦しんだり、何の努力もしてこなかった者が突如として成功者になったりと人生を狂わされた人々が沢山いるんです。本来我々のような存在は、人間界への極端な干渉は控えるようにしているのですが、天使達は面白がって干渉し続けているのです」
「でも、人間に協力を仰ぐこと自体、干渉していることになるんじゃないの?」
「はい。ただ、天使達に比べればずっと小さな干渉ですし、対抗するにはどうしても人間の協力が必要で……。矛盾しているのはわかっているのですが……」
「それに、願いを叶えることで協力してもらうっていうのもなんだか怪しいな。さっき言っていた白い動物に契約を迫られて……みたいな展開になったりとか」
「うう、そんな怪しい勧誘ではないですよ。でも、ああ、なんて説明したら……」
痛いところを突かれ、表情を曇らせるヌンムス。なんだか小さい女の子を虐めている悪者のような心持ちがした京は、それ以上の追及を止めた。えと、あと、と何とか言葉を紡ごうとまごつく様に、疑いを向けるのも馬鹿馬鹿しく感じてきた。それどころか、愛らしささえ感じてきて、次第に笑いが込み上げてきた。
「ははっ」
「え?」
予想通りのきょとん顔を向けられた京は、目を閉じ何度か深呼吸をして状況を再確認する。やがて要点をまとめ終え、ゆっくり目を開きヌンムスに顔を向ける。
「まあ、つまり天使の過度な干渉を止めるために戦っていて、その協力者に俺を選んだということなのかな?」
「あっ、はい、その通りです。とっても理解が早くて助かります!」
今度は太陽のように明るい笑顔を見せる。コロコロと変化する症状は、裏表のない素直な性格を如実に現していた。やっぱり、この子には笑顔が似合うなどと思いながら、京は話を進める。
「悩みは確かにある。闇の力で悩みを解決する代わりに、天使達と戦ってくれってことか」
お金に悩んでいるとは、あえて言わなかった。今の段階で詳細を語る必要はないと考えたからである。しかしこの判断が、後に人生の大きな分岐点となることまでは考えていなかった。なぜなら、冷静に受け答えしている様に見えるが、『悪魔? 天使? 闇の力?』ファンタジーのような話に京の頭はかなり困惑していたからだ。
「少し頭を整理させてくれ」
ヌンムスは笑顔で頷き、花壇に咲くヒルガオに視線を移す。ゆっくり考えてください、という心遣いだろう。花を愛でる様子は、優しさと可愛らしさで包まれており、その様子に心が温まるのを感じた。京も視線を外し、目を閉じる。
(闇の力―――イメージは何かを代償にして得る大きな力。少し怖いけど、興味はあるな。漫画やアニメでも闇の力って何かかっこいいし。それに悪魔と契約をすれば、人類の英知を超えたものを手に入れられるかもしれない)
目を開け空を見上げる。昼間とは違い曇が浮かんでいたが、いつもよりも雲が低く感じられた。
(闇の力って何だろう? なんとなく人の心を惑わすというか、精神面に作用しそうな気がするな。人の心を操ったりとか)
ヌンムスに目を向けると、しゃがみこんでヒルガオをつついていた。聞き取れないが、花に向かって何か話しかけているようだ。かわいい。
「闇の力を手にすると、何ができるようになるんだ」
花へ向けていた表情をそのままに、京の方に顔を向ける。
「魔法が使えるようになりますよ」
「魔法!?」
『魔法』という単語に瞬時に反応し、年甲斐もなく少年のように目を爛々と輝かせる。それもそのはず、幼少期から触れてきたアニメや漫画、ゲーム等、架空の世界における特殊な力の象徴として憧憬しながらも、あるわけがないとどこかで諦めてきた、そんな力を手に入れるチャンスが眼前にあるのだから。興奮した京は自分の世界に埋没し、妄想を広げる。
(かっこいいぞ。闇の力、魔法、闇魔法だな。人の心を操る闇魔法――)
少し大きな声に驚いたものの、交渉相手の表情は嬉々としていたため、安堵して花を愛で直す。既に歯止めがきかなくなっていることを知らずに。
(――ハッ。良いことを思いついたぞ。町中の人間に闇魔法をかけて、スーパーに来るように差し向ける。そうすれば店の売り上げアップ。ついでに俺の給料もアップ。今のフリーター生活を続けながら給料アップで、等身大フィギュアも買えるかも。そしてゆくゆくは稼いだ金で働かずにアニメを見て、好きなグッズを漁って、なんて生活も夢ではないかもしれない)
すっかり恐怖心もなくなり、妄想という名の暴走モードに入った京は、都合の良い解釈のみで思考回路を満たし、結論を出す。
(どんな代償があるのかわからないが、現状を打破できる可能性が今俺の目の前に転がっているんだ。ましてや魔法が使えるようになるなんて。こんなチャンス逃すわけにはいかない)
「俺は闇の力を欲するよ。契約を交わそう」
「えっ? そんな簡単に決めちゃって良いんですか?」
「決めたんだ。今を変えるって」
キリッとした表情、無駄なイケメンボイスで決めてみる京。特に意味はない。
「う~ん、わかりました。でも……」
そう言い、ヌンムスがどこからか召喚したカバンの中に手を入れゴソゴソと漁りだす。やがて取り出した手には3枚1セットのA4用紙が握られており、ボールペンと共に京に手渡された。
「取り合えずこの承諾書の説明書きを読んでじっくり考えてみてください。私は花と話し……観賞していますので、わからないことがあったら何でも聞いてください。読み終わったら最後に要点だけ説明させて頂きますので声を掛けてください。その後、了承頂けるならボールペンで氏名欄にお名前を記載して下さい」




