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9.はじめまして ぼく





 瓦礫の山を乗り越え、壁に張り付いて嘆き続ける私を、アンは無表情で見守っている。


「うっ……うっ……私の古代文字……」

「あの魔具では記録できなかったの?」

「しないはずがあろうでか……」

「うん?」


 きょとんと瞬きする表情を見れば、目の前を大量の研究資料が通り過ぎて行った無念も多少は和らぐ。

 別の知的好奇心が満たされただけと言えばそれまでだが、救われるものは救われるのだ。

 めそめそ嘆きながらも立ち上がり、アンに向けて深々と頭を下げる。


「胸元をべろんべろんにしてしまい、誠に申し訳ございませんでした。弁償します」

「服はどうでもいいよ。君が興味のある事柄に対して見せる反応の、現物を見られてよかった」


 長年何一つ取り繕わず交し合った手紙により、互いの性質は理解している。けれど実物を目の当たりにすれば、ドン引きの一つや二つ、三百や四千はするだろう。

 沈黙に耐え切れず、自ら首を差し出す気持ちでアンを見る。私達の夫婦関係が、三日保たずに崩壊の危機である。美人は三日で飽きるというが、奇人は二日で懲りるというのか。


「今日はいい日だ」


 大丈夫そうだ。




「ミント、あっちに道がある」


 アンが瓦礫の塊を指さした。その隙間を縫うように視線を巡らせた先には、壁にぽっかりと空いた空間が見えた。光が届かず先は真っ暗だが、ある程度先があるのは確かなようだ。


「え、あ、本当だ。行ってみましょうか」


 ぐるりと視線を巡らせたけれど、瓦礫要素を除いたとしてもそこ以外に道はなさそうだ。

 アンは、躊躇いもなく暗闇に突入していく。私は慌てて灯りの位置と光量を調整し、その後に続く。通路は大穴同様、明らかに人の手によって作られている。

 黴臭さや埃っぽさは感じられず、瓦礫による土煙も、急速に落ち着きを見せ始めた。空気に動きがある。この場にも近代魔術の痕跡があることから、王宮魔術師はこの遺跡を認識していたはずだ。


「王宮魔術師達は、ここで何してたのかな」

「ろくでもないこと」


 そりゃそうだ。そうでもなければ、古代遺跡を公表せず、真上に施設を建てたりはしない。

 どう好意的に考えても、世間に顔向けできない事柄に使用していた可能性しか思い浮かばない。

 私達が古代遺跡を見つけたら、私達を追い出し、出涸らしにして返してくるのに。自分達が見つけた際は世間に報告せず、自分達だけ利用するのかー。そうかそうかー……。


「あ、楽しくなってきた」

「いま? 君は、存外鈍い」

「お、初の夫婦喧嘩と洒落込みますか」

「込まない」


 アンへの口調はどうしたらいいのだろう。夫婦ならば多少崩れても許されるはずだ。親密さを増幅させるためにはそのほうがいいのだろう。だが結局、丁寧の端々が砕けてしまう。中途半端が一番いけないのだが、先行研究がなく参考文献も当てがないので考察は頓挫した。




 通路の広さは、二人並んで両手を広げても左右の壁に届くか否か。天井部分は緩やかな丸みを帯びる形状で、骨となっていた推定王宮魔術師のように体躯に恵まれた男でも難なく通れただろう。

 表面の素材は近代の物だが、基盤となる建物は古代遺跡だ。王宮魔術師の使用方法も然ることながら、この遺跡が元々何のために使用されていたのかも十分気になる問題だ。

 長い通路の左右には、ぽつりぽつりと入り口が点在している。それぞれ、かなり大きな部屋だ。

 部屋の前で足を止め、入り口から灯りを流しいれる。そして、壁の端から二人で中を覗く。

 光量を上げた灯りと、光が届ききらない闇と影が混在する部屋の中には、円柱の置物が大量に整列していた。等間隔に並ぶ円柱の置物は、おそらく土台だろう。厚みがあり、円柱としか表現できないその形が並ぶ古代遺跡は多々発見されている。

 床には土台から砕け落ちたと見られる硝子片が多数散乱していた。床を埋め尽くす硝子片の量から大きさを推測していく。

 一部屋の大きさは、軽く光を向けただけでは奥の壁が見えないほどに広い。その中に、円柱の土台がびっしりと並ぶ。向かいも隣もこれまでも。長い廊下の左右に連なる部屋は、どれも同じだ。

 この土台、おそらくは培養装置だ。

 物体を培養し同じ物を作り上げる手法は、それほど珍しい技術ではない。特殊な条件下でしか採取できぬ植物も大量栽培が可能となり、重宝されている技術だ。

 しかしそれは昨今でのこと。一昔前では夢物語に等しかった技術が、物珍しくもない技術となったのは、古代遺跡で培養装置が発見されたからだ。


 発見当時は、それが何か判明していなかった。

 何らかの装置だとの予想はされていたが、用途が分からず途方に暮れたものだ。だが、二課が発見した装置を王宮魔術師が徴収し、二課に装置の分析を依頼してきた結果、それらが全く同じ物体を培養可能な装置だと判明した。

 無からの培養は不可能であり、それ相応の核となる物質を用意しなければならないが、成分分析さえできていれば魔術師次第でどうとでもなる問題なので、培養装置は画期的な発見だった。世紀の発見と言ってもいい。だが二課は、分析結果を正しく王宮魔術師へ渡していいものかと悩んだ。

 この技術は生命も対象だと、容易に想像がついたからだ。

 それでも、研究結果は王の名の元に軍を離れた。技術への戒厳令は出されず、軍部のみならず民間人への制限もないまま、培養技術に関する研究は飛躍的に進んでいった。

 この装置の発見により、様々な研究が駆け足で進んだのは事実だ。だが不明な点も多く、本来の機能を半分も扱えていない可能性がある。それは危険性にも思い至れない危うさを秘めていた。

 何せ生物に至っては、微生物一匹成功していない。どれも形だけで生命として機能せず、生命の培養は禁止された。元より禁忌として忌避されていた上に成功しないのだから、その結果は必然だ。

 しかし禁忌制定で、この世からなくなるわけではない。

 ただ表に出なくなるだけなのだ。


 培養装置は、今では鞄や鍋のように文明活動を行う上で当然の存在して社会に馴染んだ。確かに便利な装置なのだ。希少な薬草も大量生産が可能となり、多くの命が繋がり、生を永らえた。

 派生や余波から様々な恩恵に授かれ、生活は格段に便利になった。不足は即座に補われ、在庫が過多となることもない。常に適量を所有でき、希少性の高さにより吊り上がった値段は均され、自然採取及び人の手による生産品を欲しがるのは、一部の好事家だけとなった。

 今はまだ大量生産の基盤が整い、培養のほうが手間と金のかかる物の培養は行われていない。だがいつか、人の生命維持根幹となる食品まで培養に頼る時代が来るのだろうか。

 それならば、この装置は今の人類が発見してはいけなかった物の一つとなる日もそう遠くはない。


 古代遺跡からは、培養装置が多数発見されている。そのどれもが大規模な培養施設だ。古代文明はこの装置で生活を賄っていたのだろうか。しかし、それならば規模が少ないと言えた。

 確かに大規模な施設は見つかっていた。だが、人口を支えられる規模ではない。栄養度が凄まじく高い一品だけを作っているのならば賄えるかもしれないが、文献を見るに食の多様さは明確だ。

 ならばもっと別の用途があったのだろうが、それが何かは分からない。現在のように希少性が高い物の数を揃えるために使用していたのか、それとも、私達には考えが及ばない用途なのか。

 いつか解明される日が来るのかもしれないが、解明していいのかは誰にも分かっていない。


 指先に集めた魔力で、軽く壁を撫でる。上階にほとんど施されていなかった強化が、ここにはふんだんに使用されている。

 地上と違い地下にある施設だから。理由がそれだけならばいいのだが、この施設が大規模な培養施設なのが引っかかる。ここは果たして、元々真っ当な施設なのだろうか。

 上階の施設同様、通路にはあちらこちらに破壊跡が見られた。奥に進めば進むほど損傷が激しくなっていく。瓦礫も多く、完全に塞がれていなかったのは幸いといえた。

 私もアンも平均以上の体格はしていないおかげで、隙間から奥へ進んでいける。いつ崩れるか分からない瓦礫を潜るなど推奨できないが、魔術師がいる場合は、少々崩れたところでどうにかなるので気にしないが鉄則だ。

 だが、対処は可能と言っても使える魔力に限りがある事実に変更はないので、その身一つで解決できるならそれが一番いい。


「この壁、二層とも強力な魔力で強化されてるのに、盛大に破壊されてるのがかなり気になる」


 ここに落ちてくる過程でも、あちこちに破壊跡があった。古代文字が削り取られている度、修復を試みることもできない悲しみに血涙を流したものだ。


「化け物がいたんだ」


 そんな馬鹿なと言いたくても、この通路を見るに否定できない私がいた。視線を向けた壁には、爪痕としか思えない巨大な傷がある。深く抉れた傷の強弱による深さを見るに、私達の進行方向から発生していた。ここから地上へと上がり、地上の施設内を蹂躙したのだ。

 謎の化け物が存在していたとして。地下より出でて地上の施設を蹂躙し、王宮魔術師達を皆殺しにしたとして。王宮魔術師達、内側から厳重に入り口を閉めていたんだよなーと、思う。

 化け物を外に出さんとしたか。もしくは、外に出た化け物が中に入ってこないよう塞いだか。

 施設内でその生き物が生息していた痕跡が見当たらなかったことにより、後者の説が濃厚である。

 王宮魔術師が大量に失踪者を出したのが十四年前ということなので、万が一化け物を外に放出してしまっていたとしても、現在話題に上っていないのならば既に死亡していると考えていいだろう。

 けれど一応、化け物かその子孫が外で生息している可能性は頭の端に残しておかねばならない。

 私は深い爪痕から視線を外し、光届かぬ瓦礫の奥を見つめる。

 さて、この先には何があるのやら。

 これだけの惨状を作り出した原因がこの先から現れた理由を知りたい。巣穴を掘りあてたのならばまだいいが、ここは大規模な培養施設だ。数えきれないほど並ぶ培養装置の土台。それらがすべて稼働している光景を思い浮かべると、嫌な予感しかしないではないか。


「古代文字がありますね。要所要所に刻まれているといった感じかな……意味が分かればいいのに」


 ざわざわとした居心地の悪さを感じるけれど、理由は分からない。一応は罠の危険性を考えながら歩いていると、瓦礫の破片を踏んだ。大きな破片は見えるが、小さな破片は見えづらい。その破片が、平らではなく不安定な形をしていたのは不運であった。

 大きく体勢を崩した私の腕を掴んで支えたアンは、じっと私を見つめる。


「歩行に集中しないと、危ない」

「仰る通りで……」

「以前から思っていたけど、ミントは鈍くさい」

「再審査を要求します」


 一回転びかけただけで、そんな不名誉を確信されてたまるか。






 そう言おうとした私の口は、ひゅかっと奇妙な呼吸音を吐き出した。

 さっきまでざわざわと感じていた違和感が、突如明確な凶器となったのだ。

 反射であるはずの呼吸が遮られるほどの違和感に、思考が追いつくより早く、体は杖を構えていた。凄まじい濃度の魔力に充てられ、魔術師として構築されている私の体が反射で行動している。

 私とアン、両者のマスクが同時に壊れ、床へと落ちていく。様々な仕様を組み込んでいるこのマスクは魔具に当たる。

 凄まじい濃度でなだれ込んでくる魔力で焼き切れたのだ。

 簡単に外れぬようにと組み込んだ魔術が仇となった。濾過装置は魔術を溶け込ませた部品で構成してあるため、魔力の影響を受けづらい。だが、その手法をできる魔術師には限りがあるため、魔術補強してしまった。

 マスク同様、魔力の余波を受け映像記録装置が落下する。中の記録が破損していなければいいのだけれどと、圧し潰されそうな意識の端で思う。

 どうして今まで気がつかなかったのか分からないほど濃密な魔力が充満している。あまりに激しすぎて衝撃としか判断できない凄まじい魔力が、この先に存在していると。

 いま、気がついた。

 この魔力に何故反応できなかったのか。眩暈と吐き気が先行し、頭痛に到達できないほどなのに。


「ミント?」

「……アン、気を、つけて。何か、何かが、ある」


 ゆっくりと慎重に、灯りの位置を調整する。そうして私は、ここが調査対象の最深部だと悟った。




 そこには平らな壁が広がっていた。延々と広がる壁は、上にも遥か高く聳えている。

 思い込みで結論付けるのは、愚かで浅はかな行為だ。そうと分かっている。分かっているのに。

 これだと思った。ここだとの確信があった。ここが遺跡の存在理由だと、恐ろしいほどの確信が。

 視線までもが強張り、ろくに動かせなくなった私の視界で、アンが驚いた顔をしている。アンの感情が見えて嬉しくなり、少し緊張が解れた私の顔にアンの外套が押しつけられる。

 くすぐったいわ、息がしづらいわ、感情と感想が入り乱れ忙しい私の顔を覗き込むアンが近い。


「止まった」


 何が? 私の命?


「鼻血」

「え!? ……ああ、成程」


 あまりに強い魔力で充てられたらしい。確かに鼻辺りに違和感がある。

 アンが雑に拭ってくれた汚れを、改めて自分の袖で拭う。その際、自分の掌を二度、三度と開閉する。冷え切り、脂汗をかいて強張っているが、指はちゃんと動いてくれた。


「ごめん、手間を掛けました」

「何が」

「鼻血含めて、魔力に充てられて面倒掛けたことです」

「夫婦は運命共同体となるから、相手の不調に関する補佐は自身の体調管理と同様だって、本に書いてあった。だからミントは俺に面倒を掛けることができないから、謝罪の必要はないよ」


 突然長い言葉をつらつらと語り始めたアンに驚いた。アンが語ったその内容は、通常家族へ向ける感覚だと私でも知っている。だが他者から向けてもらえると、なんだか現実味がない。

 お父さんもそう思ってくれているとは思う。私だってお父さんやロニとディア、そして二課の人々に対してそういった感覚を抱いている。

 家族という枠組みが身近では無さ過ぎて、親しくしてくれている人達に、通常では向けないらしい規模で思いを傾けてしまっている自覚はあった。

 けれどどうしたって、他者からその枠組みに入れてもらえる自信がつけられない。

 それでもアンが。他でもないアンがそう思ってくれていると、その口で伝えてくれたのなら。


「ありがとう、アン」


 私も、そうありたい。

 家族と共に過ごす時間に縁のなかった私も、そういったことは不慣れな部類だ。けれどアンが言語化してくれたその内容は、私もアンに対し望む在り様だった。


「やる気出た」


 緩やかに杖を回し、自らの魔力を確立させる。そうして影響を及ぼしている魔力を、丁寧に受け流す。魔術障壁で無理やり弾ける濃度ではない。ならば流してしまうのが一番だ。

 魔術師ではないからか、けろりとしているアンにも一応同じ魔術を掛け、改めて状況分析に入る。


 ともすれば視界を持っていかれそうな魔力の発生源は、この壁の向こうだが、壁だ。この壁がおかしいのだ。

 取っ手はもちろん、継ぎ目すら存在しない。だが、これは扉だ。ここで不自然に魔力が散っている。そんな現象が起こっている事すら気づかないほど透明に、魔力が霧散してしまう。

 だからここまで近づかないと反応できなかったのだ。私は散る寸前の魔力に反応したのだろう。

 影響を受けないよう自分の魔術で慎重に中和しながら、壁と向かい合う。とんでもない魔術だ。現代では再現しようの魔術構成を見るに、おそらくは古代魔術である。

 何よりも凄まじいのは、この魔術がまだ稼働している事実だ。王宮魔術師が魔力を送り込み、維持したのだろうか。それとも、ずっとこのまま稼働し続けていたのだろうか。

 しかしここまで近づけば、扉の向こうにとてつもない魔力を有する何かが存在する事実が見える。

 杖で壁を叩き、音と魔力の振動を見送り、再び杖で叩く。それだけの動作で、頭や顔面が鷲掴みにされているかのように軋みを上げる。


「ミント、休んだほうがいい」

「平気平然大丈夫。むしろ、鼻血出してちょっと恥ずかしくて居たたまれないほうが重症」


 二課が、正体不明の強力な魔力を前に、尻尾をまいて逃げ出すなど末代までの恥だ。二課には既婚者が少ないので「ここが末代だ!」といつも叫んでいるが、それはそれだ。

 二課は魔術研究の第一人者という名目で、研究資金を支給されている組織だ。この魔術、二課が解かねば誰が解く。末代の恥であろうがなかろうが、今代の恥である。


 この壁は、魔力を完全に遮断しつつもそれを悟らせない周囲への馴染ませ方がうまい。ただ弾くのでなく、散らし馴染ませ、世界へと溶け込ませている。だからある程度近づいても、魔力の流れに敏感な体質を持つ人間でないと気づけない。

 この自然さがなければ、膨大な魔力を地上からでも察知できたはずだ。魔術師として未熟であろうが、先程の私のように諸に影響を受け、気づかずとも体で分かってしまう。

 これは近代の魔術ではない。

 どこまで対応可能かは分からないが、力業が難しいのは、何も今回に限った話ではない。二課とは常に、抜け道裏技規則違反、邪道卑怯大いに結構派なのである。

 力技で霧散させられるのであれば、最初からそれを念頭に置いた上で実行すればいい。私の手を離れた魔術であろうが、ある程度は操作が可能だ。

 だって私は魔力の専門家。二課なのだ。

 魔術を破壊する必要も、巨大な扉を開ける必要もない。私達が通過できればそれでいいのだ。


「……ミント、君は今、何をしてる?」

「溶かしてる。がこっちの魔力をこれ以上ないほど細かく散らすのであれば、むしろ好都合。せっかく手出しできない大きさにしてくれたことだし、そのまま利用して溶け込ませてやる」


 杖を両手で構え、細心の注意を払って魔力を操作する。新たに流れ出た鼻血は肩口で拭き取り、拭き取り切れなかった分は行儀など気にせず嘗めとる。


「あっちがどれだけ高度な技術を持っていようと、術者がここにはいない以上、こっちが有利なんだよ。魔術って、そういうものだから。それにそうでなければ、二課がここにいる意味がない」


 ほら、溶けてきた。


 目の前の壁が解け始めた途端に、息もできないほどの魔力が雪崩れだしてくる。これはただの魔力だ。それなのに押し流されそうになる。重く強く、凄まじい威力を持った圧だ。

 魔力とは、意思が介入して初めて魔術となる。だというのに膨大すぎて、魔力そのものが力となって影響を及ぼしていた。魔力に敏感な人間であれば、即死してもおかしくない。

 扉を溶かす魔術は繊細な技術を要するが、この魔力を受け続けるわけにもいかない。かといって灯りも手放せないので、すべて同時並行するしかない。

 頭の血管が焼き切れそうなほどの神経を使い、防壁魔術を並行して作動する。


 恐ろしいのは、これだけの力があってなお、正体不明の化け物の侵入または脱走を許したことである。

 化け物は、破壊の痕跡を見るにほぼ確実にこの扉の向こうから行動を開始している。だが、扉は閉じているのだ。つまり、化け物が通り過ぎてから閉めたことになる。

 この扉に施されている魔術は古代魔術だが、物理的に扉を閉ざした魔力は近代魔術だ。この時点で、扉を閉めた術者は生きていた。

 ここを閉めてしまえば、化け物は地上への道をひた進むことになる。外に出してはならぬ理由は多々あれど、内に戻れぬよう封鎖する理由は数少ない。

 この先に答えがあればいいなと思う。魔術師としての好奇心は、生命としての恐怖を凌駕するので尚更だ。……この世の悪って、魔術師から発生したりしないだろうか。

 そうこうしている内に、壁に穴が開いた。ちょうど、一人ずつなら通れるほどの大きさだ。


「入りましょうか。強い魔力発生源対策のため、私が先頭いきますね」

「ミントがそれでいいなら」


 こくりと頷いたアンの動作は、まるで子どものようだ。それでいて隙のない所作からは頼りなさを感じない不思議な人だ。

 ただ非常にモテるかといわれると分からない。確かに綺麗な顔立ちをしているし、素直だし、動作は可愛らしいけれど……どうしよう、非常にモテるかもしれない。


「アンって、どこぞの王族から貢物が届いたりしなかった?」

「ミントは王族の物が欲しいの? 分かった。王族の首を持ってくる」

「ちょっと叩いた軽口が、国家存亡の危機を招くなんて誰が思う!?」


 アンも私の軽口に軽口で返してくれた可能性を考慮して、その顔をじっと見つめる。

 真摯な瞳が、そこにはあった。

 信頼関係を築くには真摯さが大切だけれど、発揮してほしい場所はここじゃない。


「じゃあミントは何が欲しいの」

「え……何だろう」


 欲しい資料はたくさんあるし、研究費用に至っては無限に欲しい。行き詰っている術式への閃きも今すぐ欲しいし、先行研究と参考物件も山脈のように欲しい。けれどそれらは、アンに限らず他者に望むものではない。


「一緒にご飯食べられる時間かな」


 少なくとも首はいらない。大切な人に望むことなど、生きていてほしい以外全て些事だと思う。


「アンは何が欲しいの?」

「…………………………………………………………」

「これアンが振った話題じゃなかった!?」


 話題を振ってきた相手に質問を返せば、苦渋に満ちた表情を浮かべるとは思わないではないか。


「そ、そんな言いづらいこと!?」

「うん」

「うん!?」


 アンは視線を床に固定し、微動だにしなくなってしまった。


「え……えーと……その、聞いたらまずい感じなのは、機密的な感じで……?」

「秘密的な感じだと思う」


 まあ、機密も秘密も、暴くべきでない事柄であることに変わりはない。前者は軍人として、後者はアンの親しき人でありたいという願いからだが。


「じゃあこの話はここまでにして、さっさと任務を終わらせちゃいましょうか」


 灯りを先行させて壁の中に放り込む。そしてすぐに中を覗き込む。


「っわ!?」


 ぐるりと視界が回った。体が後ろに強く引っ張られたのだ。

 猫の子よろしく首根っこを掴まれ、後ろへと引き倒された視界が天井を向く。その私の眼前を、白い熱源が通り過ぎていった。

 ちりりと肌が焼ける感覚があった。肌に損傷を齎すほど熱く、肌が熱を感じるほど近いのだ。

 瞬きの間に通り過ぎていく光を、私の目は無意識に分析し、思考する。二課の性だ。

 親指ほどの太さの光。熱源。宙に留まった前髪が焼き切れた。殺傷能力あり。視界の端に同色の光。

 反撃。

 杖を振り抜き、二撃目の熱源を弾き返す。熱源は道筋をそのままを帰る。私の魔術をお土産に。

 狙い通り、発射位置に直撃した光と音が広がった。

 爆発が起これば、当然だが衝撃と同時に粉塵が舞い上がる。そこに元々積もっていた埃も混ざっているので、一気に何も見えなくなる。

 視界を遮る粉塵を、杖で振り払う。同時に発動した魔術で、それらの鎮静化を図る。

 粉塵の中では、私が灯した光を映した欠片がきらめいていた。ここに至るまでの部屋と同様の土台が並んでいると仮定するならば、きらめきの正体はおそらく硝子だ。

 あんなものを吸い込んではただでは済まない。マスクが壊れているので尚更だ。改めてマスク代わりの魔術を掛け直しながら、部屋の中を警戒する。

 だが追撃は行われず、アンはもう私の首根っこを引っ張ることはしなかった。

 父曰く、気配に聡いアンが反応していないので大丈夫と判断し、私は杖を握りしめ、開けた入り口から中を覗き込んだ。


 私の魔術と時間経過により鎮静化した粉塵の先に目を凝らす。

 中は思ったよりも明るい。先行させた灯り以外にも光源がありそうだが、部屋の様子はよく見えない。

 扉のすぐ前に巨大な石像が鎮座し、物理的に全く見えないからである。



 石像は成人三人分ほどの高さがあった。重厚な騎士のような鎧を着て、両手は地面につきさした剣の上に置かれている。生地の皺まで刻まれた精巧な像だが、頭部がない。

 よく見ると、その足元に破片が散らばっていた。弾き返す際に使った私の魔力の残滓が漂っているので、どうやらあの熱源の発生源は、この石像の頭部のようだ。

 発射元へ戻るよう弾き返したので、熱源はこの石像の頭部から放たれたはずだ。それにしては角度が妙だ。一度床に当てるなりして角度を変えなければ、この高さから私の顔面には飛んでこない。

 だがこの床にそんな特殊効果はない。壁も床も、強化魔術はかけられているがそれだけだ。ならばあの熱源自体に仕掛けがあるのだろう。追跡魔術がかけられていたのならば、アンに首根っこを引っ張られて回避した後にも対処が必要になったはずだ。


「ミント」


 だが実際は二発目が飛んできた。つまりあの攻撃事態に追尾機能はついていない。


「ミント」


 ならばどうやって、あんな高さから攻撃を届かせたのだろう。


「ミント」

「何でしょ、う分かりましたすみません二課ですごめんなさい!」


 眼前に現れた掌に驚き、思わず跳ね起きようとした際、掌の向こうに硝子を発見した。視覚的情報と分析を同時並行で行っていたら、床へ四つん這いになっていたようだ。

 がさがさ這い回りながら、硝子片に顔面から突っ込もうとする不気味な様を見せて申し訳ない。二課なのだ。


「顔に怪我をしないほうがいい。目が近い。視力は大事だ。それと、怪我すると痛い」


 顔以外でも痛いと思うけれど、アンは本当に優しい人だ。アンは私が守る。

 気を引き締め、改めて杖だけを差し込み分析していく。これは安全性の確認であって古代の罠なのか近代の罠なのかど光線発射の仕組みはあの光線は何なのか何の反応でああなってそうなってこうなってなどという興味本位の分析では決してないのだ嘘ですごめんなさい興味本位が九割です。

 石像は、嬉しいことに古代産だが、破損したからか、機能は停止してしまったようでうんともすんともいわない。安全面では喜ばしいが、希少な魔具が壊れてしまった悲しみは極刑だ。


「ミント? どうしたの、怪我をしたの?」

「してないけど……希少な魔具を破壊した自責の念で死にそう……」

「君が死んだら僕は嫌だ」

「僕!?」


 聞き覚えのない一人称が飛んできて自責の念を吹き飛ばし、念が陣取っていた場所に居座った。


「どうしたの」

「……あの、さっきから思ってたんだけど、アンの口調変わってない?」


 私も対面して日が浅いけれど、もうちょっとお堅い口調との印象を受けていた。けれど今のアンは、まるで手紙の向こうにいた私の可愛い親友のようだ。

 ようだも何も可愛い親友なのだけれど。


「隊内以外では、ああいう喋り方をするように言われた」


 確かに、そのままの喋り方だと素直で可愛らしい印象を受ける。私にとっては好ましいけれど、人によっては侮っていい理由に据えることもまた事実。

 喋り方だろうが見た目だろうが、人を侮っていい理由などそう判断する愚かさ以外にないのだが、嘆かわしいことにそういった人間はいる。


「自然体のアンを知れて嬉しい。障りのないときは、そうやって喋ってくれる?」


 意識して変化可能な個所ならば、あえて侮らせる理由を表出させておく必要もない。お父さんも、ちゃんと上官らしくしているところがあるじゃないか。見直した。


「うん、分かった。あと、そのほうがミントにモテるって、上官が」


 お父さん、後で台所裏に集合。面貸してくださいどうぞ。


「アンはもう、お父さんの言うこと逐一真に受けちゃだめだよ。九割以上適当なんだから」

「うん」


 再び素直に頷くアンは可愛い。アンが可愛ければ可愛いほど、お父さんの罪状は重くなる。お父さんは終身刑になる前に自首したほうがいい。


「ミントは、上官みたいな男が好きだって言ってた」


 お父さん、極刑。








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― 新着の感想 ―
アン、可愛いなあ。なんだか母性をくすぐられるよ。
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