16.はじめまして きば
すぐさま分析に入りたかったが、一人帰されるラクーシャがぐずった。
彼を宥め、そして私個人としても気になっていたので、被検体36番の様子を見に行くことにした。
二課の敷地は、内外との境目に設置型の防衛魔術及び、当番が朝昼張り替える防衛魔術で守られている。外部からの攻撃はもちろん、敷地内で飼育している全ての生命体を逃がさないためだ。
「なあ。なあ! ミント!」
「突然体重をかけるのは危ないですよ。いいですか? 私への信頼度は、最低値でお願いします」
腕にぶら下がってきたラクーシャに、体勢を崩しかけた私をアンが支えてくれたが、ラクーシャはアンの腕を引っ張る。アンの手が離れると、途端に満足げな顔となり、私に頭突きを繰り出す。
「今日も被検体36番、体重変わってないかな」
「どうでしょうねぇ。最近は結構食べてるので、変化を期待したいところですが」
私へのぶら下がり行為をやめはしたものの、私を軸に周りをぐるぐる回っていたラクーシャは、自身の護衛であるムカジーユを振り向いた。
「あんたも来ていいぞ。本来なら二課以外入っちゃいけないんだけど、特別だからな!」
アン達を連れての飼育施設入室許可は、既にゼノンから取っている。だが、嬉しそうに話しかける様子から、ラクーシャはムカジーユにだいぶ心を許したようだ。
「……感謝、する」
しかしこの人、声が小さい。お父さんの隊には両極端しかいないのか。
アンを見てほしい。両極端どころか、両方以上を物理的にその身へ持ち得る鮮やかな人だ。この鮮やかな人、私の家族。
「なあ!」
ロカンの影響か、ラクーシャの声が大きくなった。成長は喜ばしいが、そのままの君でいてほしい部分も多々ある。
「そういえばさ、あんた、護衛のこいつのことアンって呼んでるよな。なんで?」
それが名前だと思っていたからです、とは言えない。
「愛称ですね。ちょっと名前が長いので、呼びやすいように愛称で呼ぶことにしました。咄嗟に呼ぶ際は、短いほうが連携も取りやすいですしね」
アンを愛しているので愛称。ぎりぎり嘘を回避している。というのは建前で、嘘である自覚もある。
それでも愛しているのは嘘じゃないし、愛しているの称号をアンとするのも吝かではない。
「ふーん……じゃあ、俺も愛称で呼んだほうがいいのか? なあ、あんたなんて呼ばれてる?」
「ムッティ、だ……が、好きに呼んで、結構……」
「じゃあムームだ!」
俯き、消え入りそうな声で話すムカジーユの声は、どうにも聞き取りにくい。だが、私やラクーシャからすれば上から振ってくる声だ。会話に支障はない。
「おっと、ならば私も愛称をつけていただかねばならなくなりましたね! さあ! クレス殿! 」
「お前、愛称つける長さないだろ」
「そこをなんとか!」
「じゃあロカンで」
クレスは完全に飽きている。適当に愛称を付けた後、欠伸をした。
「僕は休憩する。行くならお前達だけで行け」
背を伸ばしているクレスを、ラクーシャは不思議そうに見上げている。
「なあ、ミント。皆なんで外行ってきたら、急にしょぼしょぼになるんだ?」
「…………大人はね、疲れやすいんだよ」
私達の未来は、すぐそこにある。
そうひしひしと感じた瞬間、私もラクーシャも大人になるのだ。
目的の施設は、他の建物を通らずとも魔物を搬入可能なように、外通路だけを経由して到達できる仕様となっている。そこまでの道程は日常の通勤路に近しい。
直近が怒涛の展開が過ぎて、この道程が懐かしい。ほぼ毎日通っていたのに、遠い思い出に思えるほどいろいろあり過ぎたのだ。
施設の出入り口の左右には、椅子に座って本を読んでいる男がいる。のどかな昼下がりのような雰囲気を醸し出しているが、その実、周囲に張られた魔力の密度は相当なものだ。
この施設のおかげで、国からの命令であった細菌兵器を研究する過程で、犬猫兎鳥の寿命が延びた。それぞれの病への薬が山ほどできたのだ。細菌兵器? 締め切り落として霧散しました。
敵が使ってきた細菌兵器は、現状の解毒薬が効かない変異を遂げさせた上で叩き返した。あんな物を使ってくるのだ。それくらいはされる覚悟あってのことだろう。
あれから三年。敵国が細菌兵器を使用してきた事例は一度もない。
本を読んでいたオジナ・エンッサが、私達に気づき顔を上げた。
「よお、ミント」
オジナは椅子の後ろ脚二本に体重をかけ、ぎぃぎぃと揺らしている。ぼさぼさに伸ばした髪を雑に纏めているのに、顎の髭だけは丁寧に整えている自称永遠の二十歳の三十七歳だ。
「中いいですか?」
「部外者以外は俺に断る必要ねぇってもんよ」
「……れわれは、控えたほうが、よろ……いということだろうか」
「っ――! あんた、声ちっちぇなぁ!?」
ムカジーユの声を聞こうと、オジナの体が前のめりになる。
「悪いね。おっさんちょっと、こっちの耳遠いんだわ」
とんっと左側の耳を人差し指でついたオジナに、ムカジーユは謝罪した。
「ん? お前さん声出しづらい?」
「皆と同様の声量を出せば、咽る……」
そうだったのか。戦場帰りの後遺症は様々で、解決法が見つかっていない物も多々ある。生活に支障の大きな問題から先に手が付けられ、緊急性の低い不便さへは手が回っていないのが現状だ。
再び椅子の後ろ脚二本を酷使しながら、オジナは軽く片手を上げる。
「成程ねぇ。いやはや、無理させて悪かった。あんたら、護衛の奴らだろ? 信用ならねぇ奴らをゼノンが護衛に使うわけがねぇから一緒に入りな……それとこれさ」
オジナはゼノンと同期だ。そして仲がいい。自主夜勤中には、実験器具に注いだ酒を二人で飲み交わしている光景がお馴染みとなっている。
ポケットをごそごそしているオジナの膝で、両手を乗せたラクーシャがぴょんぴょん飛び跳ねる。
「お前さん、そろそろそれ卒業だからな。おっさんの関節は繊細なんだわ」
「おっさんおっさん! こいつムーム―! オレが名付けた!」
「名前つけたら、一生世話するんだぞぉー」
「え」
ラクーシャが絶望に染まる。大人を愛称で呼ぶ小さな背伸びの結果には、あまりに重い責任だ。
「……あなたの名前はお父さんが付けたので、立場的には私と一緒ですね」
「うん」
お父さんがアンを見つけた後、戦場ではなく王都に送っていたら、兄弟のように育つ未来があったのだろうか。そうしたら近すぎて、結婚には抵抗があったかもしれないとなんとなく思う。
あの頃の私が加減なく愛していい存在を手にしたら、酷く依存し、愛を傾けすぎていたはずだ。愛していい存在は私の中に固着し、その関係性のまま癒着してしまっただろう。
「……君は、姉と妹、どちらがいい」
「……私があなたの姉か妹だった場合、あなたの結婚相手は私以外ですね」
「嫌だ」
様々な揉め事は大体お父さんのせいだが、アンに関する差配だけは功績だと思っている。それはともかくとして、功罪で分ければ罪の比率が圧倒的優位だ。
施設の入り口には、ただの玄関敷布に見えるがれっきとした魔具、汚れ除去殺菌可能なその名も「立ち入り菌止くん」がある。開発も名付けもオジナだ。
この施設には、基本的には魔物と正体不明の生物が溢れている。動植物と魔物は、部屋だけでなく階を分け、魔物と正体不明生物も階を分けている。魔繁殖されたら、困るでは済まないからだ。
そして、魔物と正体不明生物は地下にいる。足場を崩されるのも問題だけれど、有害物質が発生した場合、上から降り注ぐ場合と下から染み出てくる場合では、まだ後者がましなのだ。
長い螺旋階段を下りていき、私達は施設の最下層に到達した。
「被検体36番―、元気だったかー?」
平らな床に飛び降りた瞬間、ラクーシャは脇目も降らず駆け出した。その後を、道の左右で飼育されている被検体の様子を確認しながらついていく。36番は正体不明の中でもさらに訳が分からない生態をしているため、一番奥の特別室にいるのだ。
生き物を地下で飼育する上で大切なのは、地上であろうが地下であろうが変わらない。温度も光源も空調その他もろもろ環境に関する全て大切だ。それら全て魔術で管理しているので、当番はもちろんだが、それ以外にも中に入った魔術師がちょくちょく調整して保っている。
「……ここにいるのは、全部魔物?」
通路を挟み、ずらりと並ぶ正体不明生物の一つを見つめながら、アンがそっと問うてきた。正体不明と言えど生き物を前に大声を出さないところは、かなり好印象である。
「分類的にはそうなるんだけど、魔物としても資料がない場合は正体不明生物としてここに。魔物として記載のある生き物は、一つ上の階だね。ここ十数年はこういった魔物が増えてて、他で目撃情報があれば、新種にできるんだけど、捕獲した個体以外は目撃情報すらなくて。ここにいる子達が死んじゃえば、生態を調べる術も失われて終わっちゃうから、儚い時間が流れる場所なんだよ」
魔物録を作るなら尚の事正確さが求められる。だがここにいるのは、近年増加傾向の正体不明でありながら明らかに動物とは異なる生態系を持つ存在。全てにおいて情報が少なすぎる上に、確かなものは何もない。
アンはふわふわの毛が液体状となって流れ落ち、またふわふわに戻る魔物を眺めていた。
「ミントは」
「はいはい」
132番が餌を欲しがっていたので、前回餌をやった時間を確認し、却下を決め込む。132番は食いしん坊で、餌をもらっているのにもらっていない振りが上手なのだ。小指の先ほどもない脳で演技をする、現在36番と並んで熱く注目されている被検体でもある。
「未知の生き物が発見されるたび、手紙が厚くなる」
「その自覚はありますね」
ちなみに上層部が見学に来た際は、餌を欲しがる演技とそうじゃない演技の見分けがつかないと言われたので、演技の有無については審議が必要とのことだ。
「だから、布を纏わない僕を見てほしい」
「い、嫌ですけど!?」
とんでもない要望が飛んできた。
これは特殊な思考を持った人特有の要望かと身構えたのだけれど、慌てて視線を向けたアンは、拍子抜けするほど真剣な瞳をしていた。
「……どうしたの?」
欲の入る隙間もないほど真摯な瞳だ。これは、身構えるならば別の覚悟が必要な部類だ。
「私は医療分野の資格を浅くしか所持していないけど、応急処置程度なら対応できるよ。悩みがあるなら聞くし、それを補助する研究もできるから相談してくれると嬉しい。確実に解決できるとは口が裂けても言えないけど、私にできる最大限の協力は約束するから」
「特に悩みはない」
「ないの!?」
「僕の体は君好みか気になっただけだ」
「アンの好奇心って、いつも人聞き悪いのなんで!?」
何故だかいつも私を多大に巻き込む好奇心を発揮するアンは、今日も今日とて人聞きが悪かった。
慌ててラクーシャを見れば、36番に夢中でこちらの話を聞いておらずほっとする。
私は決して誇れるような先輩ではないし、ラクーシャも別に尊敬などはしてくれていないと思うけれど、先輩として保っておきたい面目というものが存在するのも事実なのだ。
「えーと、私は基本的に、自分を含めた他者の外見にさほどの興味がなくどうでもいいです。びっくりはするけど。ただ身嗜みの意味では、一応人並みに気を付けたいなとは思ってます」
なんだ。アンも結婚という人生の節目であり未知なる体験で、自分を好いてもらえるか不安だったらしい。その気持ちは大変よく分かる。何故なら私も同じだからだ。
長い付き合いがあるだけに、嫌われた際の傷は計り知れず、臆病になってしまうのはアンも同じだったのか。
「ミントー! 早くー!」
「はいはい、すぐ行きますよー」
「俺の背には鱗があるけれど、ミントが気にしないならよかった」
「待って待って待って」
アンは不思議そうな顔をしているけれど、そんな顔で返す情報量ではない。
「牙もある」
「え!? あっ、ほんとだ! 立派!」
色彩豊かで鱗あり、立派な牙がある。きっと自然界ではモテモテだ。ついでに私にもモテモテだ。
「ミントが気味悪がらなくてよかった」
「気味は悪くないけど気にはなる!」
本心だ。既に指がわきわきしてきた。
「ミントー! はーやーくー!」
「はいはいはいはい!」
「あと、骨の数も違う」
「え!?」
「ミント! 36番がなんか変! 見て! ミント!」
「えっ!?」
「鱗以外も違う皮膚がある」
「えぇっ!?」
ラクーシャに急かされ、アンに後ろ髪引かれ、忙しなく36番の前へと滑り込む。人生史上最も大きく足が開いた。急いでいたのと、純粋に足が滑った。股が裂けるかと思った。




