14.はじめまして なぞ
突如、目の前に巨大な扉が現れた。そこにはっきりと刻まれた紋様は魔術式であり、そうなるとただの石扉ではない。そもそも登場の仕方からして、ただの石扉である要素は欠片もないのだが。
レギネ殿下の手が壁に触れ、その指の隙間から見える魔石が、ほのかな光を灯していた。
「この扉を出れば、南墓地だよ」
彼が視線を向けると同時に、扉がゆっくりと開いていく。その先には、見慣れた王都の片隅が見えた。
王都に存在する三大墓地の中、最も古く最も暗く、最も寂れた大規模墓地だ。
湿った土の匂いが、無臭の通路へとなだれ込んでくる。いつだって雨でも降ったのかと思える土の匂いが、先程までいた森の匂いと少し似ていた。
真っ先にフィーク・バリドが外に出ていく。杖を動かし、探知の魔術を使っている。周囲に人がいないか確認しているのだろう。
「追ってきた王宮魔術師も、この通路を使ったのですか?」
それなら、やけに早かったのも頷ける。
だが、レギネ殿下は声を上げて笑った。
「いいや。彼らは通れなかった」
そうして壁に触れていた掌を話す。魔石を合わせていた壁には、同じような魔石がはまっていた。
「これにね、こうして」
「……ああ、成程」
レギネ殿下が壁にはりつけた板は、魔力遮断が施されている。ここの扉は、壁の魔石と手持ちの魔石が反応して発動するのだろう。なので、片方へ魔力が届かなければ発動しない。
先に通路へ到達したレギネ殿下が、ここに魔具を使っていたならば、外から扉は開かなかっただろう。
「だから、彼らは根性で君達に追い付いたんだよ。いやぁ、あんなに必死な彼らは初めて見たよ。その必死さを、どうして真っ当なる善性に傾けられなかったものかなぁ」
ほけほけと笑っているこの殿下、どうやら聞いていた何十倍も曲者のようだ。
「レギネ様、誰もおりません」
「うん、よかった。さ、君達は先におゆき。私達は、彼らの道を閉ざした言い訳をしなければならないからね」
さあさあと、優しい手が私とアンの背を押す。
「なぁに、窮屈な環境に置かれた思春期の王子が一人になりたかっただけだと言えば、突飛な行動の大抵は納得されるものさ。何せわたしはお人形だからね」
そうして押し出された場所は、寂れた、人気もひと気もない墓場である。
「共に、オーダ・バリドを破滅させよう」
ゆっくりと閉じていく扉の向こうから、宥めるような声が聞こえた。
「あれは、わたしが愛する存在の悉くを奪っていったのだから」
完全に閉まった扉は、すぐに周囲の景色と馴染み始め、やがて完全に消えてしまった。
さきほどまで扉があった場所に触れるも、そこには何もない。掌は空を切るだけだ。後には参る人間さえ死に絶えた、朽ちた墓石が並んでいる。
人気のない墓地はしんっと静まり返り、ここが人間の蠢く王都とは思えないほど湿った土の匂いと乾いた木の葉の音が世界を満たしていた。
「行ってしまわれた……」
「うん」
急速度で走り始めた事情に戸惑っているのは、どうやら私だけらしい。そっと見上げたアンの顔は、特に何の動揺も抱いてはいなかった。
「…………アンって、結構喋れるほう?」
「……何か、不安を感じた? その疑問は、僕のどの行動から出たもの?」
ぎくりとした。勝手な憶測から発生した不安を当事者に捕捉されるほど、気まずいものはない。
「いや、えーと、いやね、別にどうということはないんだけど」
嘘ではない。アンが、私の前でだけ寡黙になっているかもしれない可能性があるだけで。
「私あまり、アンと喋れてないかなって……いやほんとそれだけで別に大した意味とかなくて」
「……………………………………………………………………………………………意図は、ないよ」
「その沈黙の長さで意図がないは無理だと思う」
アンに思うところがあるのなら、告発せずそっとしておくべきだ。気になるのなら、アンが不快に思わない範囲で、彼に気づかれないようこっそり分析し、調査すべきである。
そうと分かっていたのに、反射的に突っ込んでしまった。だって無理が、無理がありすぎる!
アンは視線を漂わせた。やはり私に対して思うところがあるのだろうか。泣きたい。
「…………君が」
アンは、凄まじい長い沈黙の果てに、ようやく口を開いた。
「ミントが、話しているから……」
「うん……………………うん?」
私は一体全体どんな悪行を働き、どんな不快感をアンに齎してしまったのかと身構えていたら、まさかの話す行為が嫌悪感を生み出していたらしい。話さず意思疎通できる魔具を開発しなければ。
「君は、手紙通りの人だから」
良くも悪くも、嘘偽りないの私をご提供できていたらしい。
「僕は、君の手紙を何度も読んだ。人の心が分からない僕にとって、君の手紙はいい教材だった」
アンの役に立てていたのなら嬉しい。思いのこもった教材です。ぜひご活用ください。
「君が選んだ言葉を君が喋っていると、不思議で、嬉しかった。だから、聞きたくて。不快な思いをしたのならごめん。君に落ち度は何一つとしてなくて、ただ僕が君を好きなだけなんだ」
丁寧に選んでくれた言葉で、私に伝えようとしてくれていると分かる。アンの真摯さが伝わってくる。
こんなに嬉しいことはない。その上で、聞きたい。
「……いま、私を好きって言った?」
「うん」
「そ、うなんだ」
それは異性として好意を抱いているのかそれとも幼い頃より慣れ親しんだ手紙の結果ゆえの親愛なのかそれとも純粋に人間性を好ましく感じているのかいやそれはないな。
「僕はミントが好きだよ。異性として」
「うっ、ん!? あ、りがとう…………うん。ありが、とう、ございま、す…………」
お父さんの提案がなければ、私と結婚などしなかっただろうが、その言葉は素直に嬉しかった。
「上官の命令じゃないよ」
「何で分かったの!?」
「ミントは魔術に関して以外は卑屈だって、上官が」
「お父さんっ!」
もうこれ、呼び出している場合じゃない。今すぐお父さんを探し、その背に飛び蹴りするべきだ。
羞恥を燃料に怒りを燃やしたが、今はそれどころでないと呆れる自分が思考の片隅にいるのも事実だ。……よし、後で考えよう。
一人の夜が平気になってから、気持ちを切り替える術だけうまくなっていく。
「とりあえず、いったん軍部に戻ろう。さっきの話も私達で抱えておくわけにはいかないし。手段はともかく、方針は決めてもらわないと」
靴裏に湿った土がくっつく。湿った土、乾いた埃、乾いた埃、湿った土の順番に靴底を厚くしている。軍部に入る前に魔術で洗ってしまおう。アンが嫌でなければ、そちらも任せてほしい。
体を捻り、後ろに曲げた靴の裏を見ている私を、アンはじっと見ていた。
「ミントは、最古の魔石、どうするの?」
「ん?」
どうするも何も、発見次第破壊か、王宮魔術師に見つからぬよう軍部に持ち帰る。
「欲しい?」
「そりゃあね。自由にしていいなら生涯かけて研究する。でも、個人の範疇外だよ、あんなの」
個人所有で外部から守り切れる力がないのなら、所有すべきではない。国家が総力上げて保管しようが、紛失損壊盗難消失は起こるのだ。そうして損なわれた宝がどれだけあるか。
喪失により発生する損失は国家でさえ揺るがすのだと、歴史が証明してきたのだから。
「あんな研究ができてしまうなら、個人どころかもはや人間が扱うべきじゃない。人類には早すぎる発見なら葬ったほうがいい。その判断ができないようであれば、やっぱり人が扱うべきじゃない」
どうやらアンは、私の希望に方針を合わせようとしてくれているらしい。その気持ち自体はありがたいけれど、私は軍から独立する気もなければ、反逆する気骨もない。だって面倒である。
「そうなんだ……」
どうにもすっきりしない返答だ。そんな反応を見せられると、不安になってしまうではないか。
「ミント、後で話があるんだけど」
「いまじゃ駄目な理由だけ教えてもらってもいい!?」
どう考えても気になりすぎる質問を残したまま、アンは黙秘を貫いた。私の命がかかっている任務を内緒にされても特に何も思わないけれど、いまこの沈黙はどうかと思う。心からどうかと思う!
「クレスとラクーシャは無事帰路へとついた」
帰還してすぐに二課へと駆け込んだ私達に、ゼノンから安堵が贈られた。
それは何よりだ。信じていても、やはりほっとした。おかげで一息つき、改めて質問できる。
「レギネ殿下の作戦をご存じでしたか?」
「あ、うん」
「勝敗によっては国家転覆罪適用される事態への返答が、軽い!」
非常に軽い返答をくれたゼノンは、またもや予算獲得に成功した書類を眺めていた。
「裏を把握できていなければ、先に言う」
「…………それは、そうですが」
ゼノンの采配は絶妙で、いつだって私達の信頼が揺らぐ判断は下さない。だからこそ二課は、ゼノンの指示に命と研究を懸けられるのだ。
「殿下も大胆な対応を為さる」
「その大胆な反応に、盛大に巻き込まれている気がするのですが」
「これが時代だ……」
「言い訳面倒になっていませんか?」
予算分捕りの際には、ありとあらゆる手を使い相手を納得させるのに、面倒になるとこれである。
「クレスが帰ってきたら怒られそうだ」
「そりゃそうですよ。私だって若干怒ってます」
「それはいいことだ」
やっと書類から目を離したと思ったら、不思議な返しをされた。疑問が顔に出たのだろう。ゼノンは小さく笑った。
「お前は怒るより先に切る……。切る前に怒れるなら、何より。だが、お前とクレスが同時に怒れば手が付けられないから、勘弁してほしい。賄賂は何がいい? 今度要望書出しといてくれ」
ゼノンは部下に対しての交渉が雑である。どこの世界に、賄賂要望書を書かかせる上司がいるというのだ。ここにいるのだ。
「殿下はこれを機に、諸々を一掃なさるおつもりだ」
「その戦力はどこが担うんですか」
レギネ殿下の手飼いが、フィーク・バリド以外に存在するという情報は聞かない。私は噂に長けていないけれど、諜報活動に長けた友人からも聞いていないので、おそらく存在しないはずだ。
「軍部が担うことで、双方合意した」
予想通りだ。むしろそれ以外考えられない。
現状レギネ殿下に関わりある如何に関わらず、王宮魔術師に対抗できる組織は軍部しか存在しないのだ。
「上層部では話が纏まっているが、知っての通り軍内部にもずいぶん手が伸びている。内通者を焙り出すため、帰還兵と戦死者の把握確認と銘打ち、軍在籍者全てを洗い直しているところだ」
それは確かに必要だ。けれど、調査範囲に眩暈がする。自分が担当者でなくてよかった。本当によかった。今頃てんてこ舞いになっているであろう調査員達へ、敬意を捧げる。
「あの遺跡、軍はいつから把握を?」
「十数年前には報告が上がっている」
そうなると、この件がいま動いているのは偶然ではないのだろう。軍部が戦力を王都へ戻してこられた機に、一気に仕掛けたのだ。終戦の時期まで調整した可能性すらある。
私が自分のことで手いっぱいでわたわたしている間に、軍事作戦は着々と進んでいたらしい。
「発見したのはお前のお父上の隊だ」
「……そんな気はしていました。だからこの任務、主体で動いているのがルクトス隊なんですね」
扉の前で待機するアンへ、壁越しに視線を向ける。アンは知っていたのだろうか。
アンはお父さん直属の部下であり、戦場で拾われた子どもだ。早い段階で軍所属となり、お父さんの側で育っているので、きっと知っていただろう。
だが、確実に知っていたであろうお父さんも含め、恨みや怒りはない。軍人とはそういうものだ。
軍属の中では身内とは、外部の存在だ。同じ作戦に参加していない人間は、須らく外部の存在であるべきだ。そう自分の根幹に刻むため、私はここにいる。
お父さんとアンの手助けとなる魔具を作りたい。お父さんとアンが守ろうとしている人達を守りたい。その思いが、私を軍へと誘った。その過去に偽りはない。
けれど軍人の思考と制約で自らを縛ることで、私が私を守った事実もまた、真実だった。
「王宮魔術師も、軍部が本格的に動き始めたと察したはずだ。だがそれまで極秘裏に動けたのは、レギネ殿下がうまく立ち回ってくださったからに他ならない。あの御方が王となれば、この国は大きく変わるだろう」
水面下で何があったのか。表にも、場合によっては裏にも記されないまま消えていく事実で、歴史は構成されている。
「現段階で言える範囲はここまでだ。他言無用で頼む」
「了解です」
「当事者なのにすまない」
当事者というには、お父さんとアンの関係者であるくらいの当事者具合しかない。それにしては事情を知り過ぎてしまったとは思うけれど、関係者の面子が面子なので、こんなものかもしれない。
「レギネ殿下は勝てそうですか」
ゼノンは次なる予算獲得のため、申請書類を引っ張り出した。申請者からの書類を熟読しつつ、情報を付け足していく。大抵はゼノンが付き足した情報が決め手となり、予算が獲得されるのだ。
「問題ない」
言葉少なであろうと、ゼノンの言葉があれば安堵する。それこそが信頼であり、信用だ。どれだけ絶望的な状況であろうと、私達は私達の仕事を頑張っていれば大丈夫と思える。
それがどれだけの安堵を齎すか。上司に絶対的な信頼を置ける。その安寧がどれほどの安らぎを齎すか。軍人でなくとも共感してくれるだろう。
ゼノンが、信頼のおける上官が大丈夫と断言してくれる。私如き下っ端があれこれ気を揉まなくていいと思える安心感は、他の何にも代えがたい有難さだ。
「大丈夫じゃなくとも、その責任を負うのはお前達じゃないから問題ない」
駄目かもしれない。
レギネ殿下の負けは、この国の終わりだ。それほどに王宮魔術師は人の道を外れている。一度その禁忌が自らへ返ってきているのに止まれない事実が、それを何よりも証明していた。
「結果がどうなろうと、二課全ての責は俺にある。大局を見て判断するのは上層部の役目であり、お前達の進退に影響がないよう立ち回るのは俺の仕事だ。お前達は自分の仕事をして、自分の生活を守っていればいい」
歯車には歯車の仕事がある。軍人に限らず、皆そうだ。
誰もが大きなことを為す必要はない。自分の生活を守ろうとくるくる回していた歯車が、結果的に大局に関わる歯車を歯車を動かす歯車を動かす歯車を動かしているのかもしれないだけだ。
「国が動くような大事は、どこかの部隊が頑張ったんだなと全部隊が思っている距離感で丁度いい。全員が大局を見て個々の判断で動く事態が常態化すると、それはそれで組織が崩壊する」
大きな組織になればなるほど、関わる人間が多くなる。そうなると、個々の判断全てを把握するなど不可能だ。個々の判断能力を認めるか否か、大きな組織になればなるほど良し悪しの悪しの部分による被害が甚大になってしまうので、永遠に難しい問題である。
そして、個人判断の功績でのし上がっていけない組織形態を悔しいと思えない時点で、私は確実に小さな歯車側の人間である。能力としてもそうだが、気質がそうなのだ。
大事よりも、目に見える範囲が大切で。そこに手を伸ばす過程で社会と関わってきたにすぎない自覚はあった。
「それに、新婚を引っ張り出すのは気が引ける」
ここに話が通っていないはずはないと思っていたけれど!
突如急加速急回転してきた話題に、さっきまで考えていたこと全てを忘れた。これまで触れずにいてくれたから、ここからもそうしてくれるとは限らなかったのだ。
「お父上から事情は聞いている。俺が口を挟むことではないと思っていたが、一応心配はしていた。だから、まあ、実際に仲がいいようで安心した。何かあったら相談には乗るが、俺は生涯独身予定だから頼りにはならないぞ。事情を話せるようになったら、相談はクレスから始めてくれ」
「どんな顔して話せばいいんですか!?」
魔具の魔力配分相談とは訳が違う。順調に進んでいる研究を意気揚々と見せた翌日、爆発霧散した結果を見せたときよりも、ずっとずっとずっとずっと気まずい気持ちになる。
「俺に聞かれても……拗ねる未来が確定しているラクーシャ宥めは協力しよう」
「ラクーシャが悔しがる要素、結婚にありましたっけ」
一般的な男女が独り身を案じる価値観はまだ形成されていないし、二課にいる以上これから形成されるかも疑問だ。それ以外で、「ミントばっかりずーるーいー!」と叫ぶ理由が思いつかない。
「戦利品は二人到着までお預けとし、身形を整えるといい」
「了解です」
確かに、王族の御前に出られる状態ではない。気にしなかった殿下はおおらかな方なのか、そう見せているのか。何にせよ、相手の状況如何で礼節の値を変動させてくれる方だ。人から頭を下げられる場所に生まれた人間が、相手の都合を飲み込めず立場のみを重視する類でなくてよかった。
そうして隊長室を出たが、予想外の方向から飛んできた話題に吹っ飛ばされた衝撃が響いている。
「ミント、大丈夫?」
扉の前で待ってくれていたアンに、あなたとの関係性を他者から言及された衝撃に耐えきれませんでしたとは言いづらい。
「待たせてごめんね。他の面子が帰還するまで時間に余裕ができたから、お互いお風呂入っちゃおう。使用許可取ったから、アンも二課の施設でどうぞ」
家族のような会話だなと思うと同時に、お父さんには感じないちょっとした気恥ずかしさを自覚する。異性とお風呂の会話をするのって、少し照れくさい。
二課に来た当初も、ほんのり感じた気恥ずかしさだ。
それどころではなかったし、異性も何もなくただただ二課という括りでしかなかったのですぐに感じなくなったが、アン相手だと照れくさい。
そして、そう感じる自分が存外嫌いではなかった。だからこそ、研究に没頭した徹夜のすえ湯船に沈み、素っ裸で引っ張り上げられた過去を知られたら恥ずかしすぎる。
「ミント、今日は疲れていると思うけど、風呂場で沈まないでほしい」
「恥も外聞もなかった過去の私を今から殴りに行こうと思います」
今現在自分が大恥だと思う事態をあまりに赤裸々に暴露しすぎていて、さっき感じたちょっとした照れくささが、真っ当な恥で上塗りされた。
「僕は必ず君を助けるけれど、君が裸だと視線に困る」
「全面的に私が悪いから助けてくれなくていいです!」
「嫌だ」
「嫌だ!?」
「君と結婚したのは僕だから、他の誰かが湯船の君を助けるのは嫌だ」
「そっ、れは……どうも、ありがとう?」
真っ当な恥が、叫びながら湯船に飛び込みたい恥ずかしさで更なる上塗りされた気がする。




