13.はじめまして ひとくじょうほう
「君達も知っての通り、我が国は王族の権限が弱くてね。ああ、弱くはないのか。その権限全てを王宮魔術師が使用しているだけだね」
歩を進めながら朗らかに語っていい内容ではないが、どうしようもなく事実だ。
この国では、王族が持つ権限は絶対的であるが、その権限が発揮されるのはいつだって王宮魔術師に利がある。
「王も王妃も、もう随分前から自らの頭で考えることをやめてしまった。その意思までもオーダ・バリドに委ね、快不快の感覚でさえも自ら判断できぬただの人形となり果てた」
政のみならず、生物として持ち得る個の判断さえ委ねてしまうのだと。
そう、レギネ殿下は語る。
「お諫めが届かぬは、何も家臣達の言葉だけではない。もはや自ら思考することをやめてしまったあの御方達には、誰の言葉も届きはしない。そして、お諫めを申し上げた者だけが処分されていく。家臣達が王族へ向ける瞳には、今やもう諦念しか残ってはいないよ」
フィーク・バリドが沈黙を保っているのは、レギネ殿下の指示だけではないのだろう。握りしめた掌と嚙み締められた唇が、その憤りを物語っている。対するレギネ殿下は穏やかに微笑んだままだ。
そこに諦念や憤りが宿っているほうが、まだ健康だと思えるほどに。
「わたしは王を復権させる。その為に、王宮魔術師を弱体化させるつもりだ。王宮魔術師により奪われた王権を奪還し、今一度王家の威光を取り戻す」
言葉だけを聞けば、血統と権力に固執する王族の妄信と取ることもできただろう。だが、その言葉を脅威に感じられないほど、現在ここは王宮魔術師の国になってしまっている。
「……王宮魔術師がこの国へ捧げた献身は、否定しない。この国の歴史は、長きにわたり魔術師によって支えられてきた。だが、法も倫理も己が都合により操作し、自らはその罪による罰を清算しない。王家は彼らの盾としてしか機能しないならばまだしも、唯一彼らへの対抗手段となり得る軍へ制止をかける始末だ」
王家へ忠義さえ見せなければ、軍はとうの昔に王宮魔術師と全面戦争へ舵を切っていただろう。終戦を勝ち得た今が、最も効率的な機だということも確かだ。
「抑止力のない権力ほど害となるものはない。そして、肥大した権力を粛正するならば王家が適任だ。元来、そのために我々は国の頂として掲げられるのだから」
柔和、上品、親しさ。そんな言葉で構成された我が国唯一の王子の言葉は、なかなかに過激だ。
「現在、政の中心となっている面子があの倫理観なのであれば、どちらもさっさと解体されてしまえと思いもしたのだけれど……それだと、わたしも道連れになってしまうのだよねぇ。だから」
先を歩いていたレギネ殿下は、くるりと振り向いた。
「わたし自身は保身を図っているというわけさ」
今まで浮かべていた柔和な笑みとは違う、いたずらを目論んでいるラクーシャのような顔で、我が国唯一の王子は笑った。
「この状況は間違いなく王族に責任があるのだけれど、生まれを罪にされてしまうと、流石にわたしも人権を主張したくてね。ささやかな反抗期を披露してみようと決めたのだよ」
王宮魔術師と王家の癒着は長年指摘されてきたけれど、それを隠す気もない行動を取り始めたのはオーダ・バリドの代となってからだ。
もはや隠蔽すらされない傲慢さ、侮りによる怠慢。それらがあまりに堂々と公の場にあるものだから、まるで常識のようにこの国は慣らされてしまった。
それは王族の怠惰である。だが、レギネ殿下が生まれる前より始まった慣習が殿下の罪となるのは、思うところあるのも事実だ。
この話を、この場にいる唯一の王宮魔術師はどんな顔で聞いているのだろう。ちらりと視線を向ければ、誇らしげな顔で胸を張っていた。いらっとした。
「フィーク・バリド、彼はわたしの同士だよ。境遇が同じでね。そうなると自然と共闘関係に、ね」
私の表情を彼への不信と読み取ったレギネ殿下が、彼が仲間である説明を挟んでくれた。いらっとしただけだとは言いづらい。
「私にお話しくださってよろしかったのでしょうか」
問題はそこだ。
レギネ殿下がどんな目的を持っていようが自由だが、それを私に知らしめてどうしようというのだ。作戦が成功すれば、軍属の私としてはありがたい話である。軍人としてだけでなく、一国民としても喜ばしい改革だ。
だがしかし、国を割る大改革の一員になりたいかどうかは、また別の話である。
そして、何の決意も抱けぬまま突如巻き込まれたいとも思わない。
絶対にだ!
そんな引き攣った気持ちを察してか、レギネ殿下は安心させるような優しい声音で語りかける。
「勿論さ。ルクトス隊長からいつも話を聞いているよ」
嫌な予感しかしない。さらに引き攣った私の表情で、彼は更に私の気持ちを察してくれた。
「そんなにも意気込んでくれるだなんて、とても嬉しいよ!」
駄目だこの王子! 人の機微を全く把握できていない!
王宮魔術師の言いなりになる王と王妃。人の機微を都合のいい方向で受け取る王子。
よし、この国はもうおしまいだ!
「そして、出来るならば協力してもらいたいものだ」
「……父は、殿下の作戦を、知って……?」
「え? ああ、勿論だよ。彼は軍の中でも信頼のおける、本当に素晴らしい人だ」
そうかなぁ……。
「我々に断る権利はあるのか」
これまで沈黙と保っていたアンが、静かに口を開いた。
「貴様無礼であるぞ!」
吠えたフィーク・バリドからすれば、王子であり主であるレギネ殿下を軽んじた発言なのだろう。彼の立場からすれば、そう捉えるべきだ。それは分かる。そして。
「お前は黙っていなさい。フィーク、次はないよ」
忠誠による暴走を制することができるか否か。
その部分は、かなり重要な判断要素だ。
レギネ殿下の言が真実であると仮定して、その上でお父さんが彼の目的に乗ったのであれば、ひとまずは安心だ。お父さんはああ見えて、人を見る眼だけはあるのだ。ああ見えて。
「すまないね。それで、断る権利だね。無論、否があれば去ればいい。できるならば他言無用としてほしいけれど、その強制すらわたしには不可能でね。君達への介入方法を持ち得ないからね」
「我々は軍人だ。上官の命で動く」
「そうだね。だからこそ安心して話している。わたしの言が真実であるか否か、君達自身でルクトス隊長に確かめるといい。その上でわたしに協力してもよいと思えたのであれば、力を貸してほしい。無論、働きに見合った報酬は約束しよう」
「口約束を信用するほど、王家に対する信がない」
「返す言葉もないね」
物怖じせず凄まじい不敬を言い放つアンに、レギネ殿下は苦笑した。
この不敬にその対応ができる辺り、彼の器は大きい。そしてアンもある意味大物である。堂々たる不敬を不敬と思っていないのか、それとも不敬であってもどうでもいいと思っているのか。それによって対応が変わってくる。
後者ならば、貴族とかち合う前にアンをつれて逃亡するか、貴族を吹き飛ばさなければ。
フィーク・バリドもよく耐えている。杖を握りしめる掌を見れば、そこにどれほどの力が込められているか分かった。それでも、動かない。主の命を忠実に守り、沈黙を保つ。
従者の行動は、そのまま主の質に繋がる。他者からの信とは、すなわち評価だ。
「信を置いてもらえるように努力するよ、と、今はそれしか言いようがない。このなんとも情けのない言葉を信用の証としてもらうしか、術がないのだよ。今の王家は」
「お前は何故ここにいる」
アンは、レギネ殿下との会話に重きを置いていないようだ。会話から人柄や人間性を判断しようとする気配が欠片もないので、慌てて割って入る。
「で、殿下はどうしてこちらに? いま王都を出てこられては危険なのではないでしょうか」
戦場にいたお父さんと話が付いているのなら、軍部は既にこの人についているのだろう。私とアンがこの遺跡調査に出されていることを考えると、レギネ殿下の言葉は大体真実だと思われる。
その上で、この人が自ら動いている理由は何だろう。
「――石を」
繊細なレースのような金色が、二人の魔術師が灯す光で揺れる。白の強い光が当たれば、まるで白い髪に見えるほどに儚い金だ。けれど瞳は強く、どこまでもはっきりとした炎を宿している。
「すべての始まりとなった、最古の魔石を……探している」
決意を込めた表情のフィーク・バリドと共に見つめられ、私はそっと瞳を伏せた。
そうして、思う。
心の底から。
それ、普通に全魔術師も願っていることである、と。
最古の魔石。
それは、現在確認されている最も巨大な古代遺跡の中から発見された魔石だ。
掌半分の大きさだったその魔石は、発見時、調査員の九割を死亡させた。魔石が放つ魔力により、魔力濃度に影響を受けやすい魔術師のみならず、平均的な魔力値の人間までもが死亡したのだ。
穴という穴から血を吹き出し、泡を吹いて死んだ。全員、ほぼ即死だったと聞く。
当時も魔力濃度を観測する機器はあった。だが、試作段階とはいえほぼ完成形だったその機器は反応しなかった。
発生する魔力濃度が高すぎて、それを魔力と判定できなかったのだ。
その結果、調査員を死亡させている原因が即座に判明しなかった。
毒、ガス、魔術。自然現象から人為的な罠まで、ありとあらゆる原因が調査され、調査員は死亡していく。そうして、原因となった魔石までようやくたどり着いたとき、死亡した調査員の数は歴史上最悪となっていた。
遺跡は過去最大級の規模であり、遺物や資料の量も桁違いだった。しかしその全てを王宮魔術師が独占し、軍ですら足を踏み入れることは不可能だった。必要なくなった遺物だけが下げ渡され、おこぼれのような遺物を分析できるだけで良しとするしかなかった。
最古の魔石と名付けられたそれもまた王宮魔術師が回収し、研究が行われたらしい。
だが発見から三十年後。暴力的な魔力放出を無害化したとの発表が行われた直後、何者かによって盗まれた。
一夜にして忽然と姿を消した魔石は、その後何の手掛かりもないまま今に至っている。
手元になくとも、最古の魔石発見により様々なことは判明した。魔石がある限り、未知なる事実と共に、それらから派生した興味が新たな発見を生み出していったのだ。
だが、魔石自体は失われた。王宮魔術師だけが抱え込み、民間はもちろん軍にも開放されぬまま、私達の歴史は最古の魔石を見失った。
魔術師にとって最古の魔石は、憧れの原点であり、未来であり、そして恐怖の対象だった。
自分達の見ていた世界を根本から覆す。そんな力を秘めた石に、興味と恐れを抱かぬはずがない。そんな存在が表舞台から姿を消した理由を信用できないなら、尚のことである。
こんな場所で聞くとは思わなかった話題への反応が遅れた私より早く、アンが口を開く。
「魔石を見つけてどうするつもりだ」
「本来ならば破壊すべきなのだろうけれど、第一目標は確保かな。何せ破壊する方法は、まだ解明されていないのだから」
まるで何でもないことのように、レギネ殿下は笑う。
「暗黙の了解通り、最古の魔石は紛失していなくてね。王宮魔術師が所有したまま、君達が調査に入ったあの遺跡に持ち込んだ。あの場で彼らは何をしていたと思う?」
レギネ殿下は、親が子に寝物語を語るような穏やかな声音で。
「神になろうとしていたのさ」
人の惨めな傲慢を、嘲笑った。
魔術師は優れた能力を持つ。
魔術師は素晴らしい才を持つ。
魔術師はかけがえのない魂を持つ。
ゆえに。魔術師以外の人間は劣等種族である。
ゆえに。優れた生き物だけを生み出すために、生産することとする。
その愚かしい思考が実現できてしまったのは、今回私達が調査に入った遺跡が発見されてしまったからだ。
大規模な培養施設。稼働中及び稼働可能な培養装置。最古の魔石ほどの魔力はなくとも、大規模な培養施設を稼働するには十分すぎる巨大魔石。
条件は十分すぎた。
そうして始まった、人工的な生命作成。ただ命を作ればいいというわけではない。優れた命でなければならない。意味がない。劣っていては意味がない。生まれてくる意味がない。
意味がないものは無意味。無意味なものを作り出すものもまた無能。無能は劣等。劣等は、悪。
悪は罪。罪は恥。恥は劣等。
優だけが救いであり、才だけが真実であり、成功だけが存在意義。
そうして走り出した王宮魔術師は、最古の魔石を燃料に、次々と命を生み出した。
優勢と判断した人間から抉り出した命を掛け合わせ、命として成立せず失敗し。ほんの少しの劣等と判断した人間から抽出した命を掛け合わせ、失敗し。劣等と判断した材料を掛け合わせ、失敗し。失敗した魔術師を燃料にし、失敗し。
挫けず、諦めず。こつこつ真面目に真摯に努力を怠らず、優生であろうと己を律し、高め、優生として真っ当に生き。
酷く差別的でありながらもそれに無頓着な才能だけが集まった結果、弄ばれた命が完成した。
能力ありと判断した様々な命を抽出したものを寄せ集め、選別し、優と判断したものだけをかき集めぎゅう詰めにした。虫や獣も区別せず、魔物であっても差別せず。
その結果が、あの施設に散らばる骨だった。
「……王宮魔術師は、何を作ったんですか」
レギネ殿下は笑う。軽やかに嘲笑い、慈愛に満ちた目で蔑みながら。
「化け物さ」
心の臓から軽蔑した瞳で、世界を見つめた。
数えきれない、命として成立しなかった失敗作の末、王宮魔術師は生命としての頂点を作り出そうとした。本来は優れた人間を生み出そうとしていたはずなのに、人間の体では魔物の力に耐え切れなかった事実に業を煮やし、ついには人型を維持する必要性を、省いた。
結果として、力と能力だけを詰め込んだ魔物が出来上がった。高い魔力を持ち、高い知性を持ち、人語を理解し、人間を理解し、王宮魔術師の思考を理解する
倫理と理性を持たぬ、化け物だ。
「彼らが成功と呼んだその化け物は、その魔石を埋め込むことで命として成立したらしい」
「……つまり、動力源は」
「最古の魔石だね」
予想していた返答に、苦々しい気持ちとなる。
とてつもない力を持った、無尽蔵の魔力を動力源とする魔物。そんなもの、史上最悪の人災となってもおかしくはない。その魔物を最古の魔石事見失っていては尚更だ。
「結局、己が優に所属すると信じて疑っていなかった集団は、化け物の力を見誤り、逃がした末に壊滅した。ああ、笑ってあげなさい。優秀な彼らが、命を懸けて演じた道化なのだから」
なかなかに、辛辣である。しかし気持ちは分かる。その上、お立場だけでなく彼らから受けた何やらで、思うところはわんさかあるのだろう。
軍もそれなりに王宮と王宮魔術師に、控えめに言っても思うところしかないけれど、その内にいたレギネ殿下は、私達とは質の違う辛酸があるはずだ。
「あの石がある限り、彼らは繰り返す。たとえ王宮魔術師から全ての権限を剥ぎ取ろうと、地下に潜り同じ過ちを繰り返し続ける。ならば、あの石は確実に彼らの目から隠すしかない。あれは人が行っていい研究ではない。人の英知も未来の繁栄もどうでもいい。あれは、この世で人が行ってはならない研究だ。よって、王家のわたしが停止させる義務がある」
一度言葉を切ったレギネ殿下は、ふっと小さく息を吐いた。
「あれは、人類が憎悪すべき研究だ」
優生思考を抱く人間は、皆愚かしく、己の劣りに無自覚だ。そもそも優劣の基準は時代によって大いに異なるのだから、一つの基準ではなく種の基準と宛がうこと自体が馬鹿らしい。
それに優生思考とは、魔術師として大いに劣っている証左だ。
光っているものを光らせるのは簡単だ。何せもう光っているのだから。光らないものを光らせる。それこそが魔術師における真骨頂だ。
何せ、魔術などなくても人は生きていけるのだから。
「結局彼らは、自らの言通りに最古の魔石を失った。結果的に、人類は最古の魔石を見失ったのだ。あの遺跡だけが頼みの綱だったけれど、化け物も死体があの場にないとなると、彼らはあの化け物の逃亡を許したようだねぇ……固く閉ざされた扉は、せめてあれを外に逃がさぬという彼らの矜持であり、最後の良心だと思いたかったけれど……残念だよ」
本当に、残念だ。
そう呟いたレギネ殿下の声は乾いていた。怒りも寂しさもすべてが乾燥し、擦り切った感情が空しく霧散していく。
「この件で、信頼できる人間は酷く少ない。最古の魔石が持つ可能性に飲まれてしまう人間では意味がないのだ。だからこそ、ルクトス隊長に協力を要請したのだよ。そして、彼が信用する君達にも、協力を仰ぎたいのだ。あの石は、いずれ破壊してしまうのが一番いい。その際には、破壊方法を君達魔術師に研究してほしくてね」
「……確約はできませんが、上官より否が出なければ可能かと」
確約するには、十数年前に失われた最古の魔石を見つけ出さなければならない。その魔石を王宮魔術師の猛攻から守り抜いた上、守り続けながら破壊方法を探す必要がある。
そもそも、全魔術師が数か月に一度は夢見る最古の魔石を破壊できるか、否か。そこもまた険しい問題であるが、それが人間の手に余る存在であるなら、破壊できる。
当たり前だ。きっとそうだ。そのはずだ。そうだったらいいのにな。まあ、できるだろう。
その程度には、魔術師も二課も理性が働いている。はずだ。ちょっと自信はないけれど、頑張ろう。
「ありがとう」
下げる頭を躊躇わない王族には、賛否あるだろう。だが現場を駆けずり回る立場としては、多くの不満を飲み込む理由の一つにはなるだろうと思える。
「しかし、嬉しいよ。わたしはルクトス隊長が楽しそうに君達のことを話すたび、ぜひ会ってみたいと思っていたのだ」
お父さんは一体全体何を話したというのだ。
「何せいつも、とても愉快な二人だと教えてくれてね」
お父さんは一体全体何を話したというのだ!
「会ってどうするんだ」
アンに怖い物は存在するのだろうか。そう思える無敵っぷりだ。
戦場がそれほどに過酷で、ちょっとやそっとでは恐怖心を感じないのだろうか。
レギネ殿下も、アンの不敬な態度に怒りは見せない。内心を窺い知れるほどの付き合いはないけれど、傍目にはなんだか嬉しそうに見えるほどだ。
「何も。ただ、会ってみたかったのだ。何せわたしには、年の近い存在はフィークしかいなくてね。君達のように同世代の友人を持ってみたかったと言えば、笑うかい?」
「俺に友人はいない」
「アンさん!?」
私は!?
衝撃発言に思わずよろめいてしまった。私達が交わした年月が幻だったのなら、私はもはや世界の何も信じられないのだが。
「親友がいる」
アンは心臓に悪い。今度手紙で抗議しよう。
「何とも羨ましい話だ。ぜひわたしとも友好関係を結んでほしい」
「嫌だ」
「アンさん!?」
この無敵な返答に大笑いしているレギネ殿下は、大成の器を持っている。今の傍若無人な王政を身をもって知っているだけに、この方の政は見てみたいものだが、毎度この不敬漫才を見せられるかもしれないと思うと、流石の二課でも胃の心配をしたほうがよさそうだ。
不敬噴火を全力で抑え込んでいるフィーク・バリドを見ながら、そう思った。
ある一定の距離を進めば、魔力の流れががらりと変わった。
正常と異常に分けるならば、今まで歩いてきた通路は異常に分類される。だが、その異常が何を目的とした魔術構成によるものなのかは、ここに至るまで判断できなかった。
境となる場所で立ち止まり、じっと見つめる。魔力の繋ぎ目を指でなぞっていると、レギネ殿下が感心の声を上げた。
感心であり、関心だ。興味深げに、私の目と境目を交互に見つめている。
「わたしには、どこが境となっているかさっぱりだよ。何度通っても分かる気配もない」
「ここまで明確だと、流石に」
「わたしには何の境界も見えないねぇ」
赤と白の板を使えば境がきっぱり分かれるように、私の立つ右と左では明確に魔力の流れが違う。問題は、右側の魔術作用だ。ここに至るまで延々と考えていたけれど、答えが出せない。他では類の見ない魔術式の使い方だ。
「ここまで来れば、もう王都に入っているよ」
「……成程」
未発表の遺物、許すまじ。
体感として一時間も歩いていない。けれどレギネ殿下は、ここが王都だといった。体感速度に作用する魔術であれば、それに伴う疲労が訪れるはずだがそれもないとすると、体感時間は正しい。
何らかの方法で距離を縮めるか対象の肉体に負荷を与えることなく速度を上げていることになるどんな方法でそれを可能としたのかこの魔術式が怪しい気がするのだけれどそれだと個々の魔術式に反発すると思うのだがそれがうまく稼働しているのはどの魔術式のおかげなのかそもそもこれだけの規模の魔具を稼働させている動力源はこの遺物は最初からここにあったのかそれともどこかで発見されたものをここに設置したのか遺物は稼働中だったのかそれとも稼働させたのか誰が稼働させたのか資料は研究結果はなければ二課で分析するし解体するから早く渡してほしい譲渡が無理なら普通に委託でいいから出涸らしだろうが何でもいいから渡せ寄こせ見せろ解体させろ。
「ミント、瞬き」
声と共に、視界が塞がれた。視界を覆う物体と背中に感じる温度が同じで、声から判断するにアンが私の視界を塞いだらしい。
その状態で何度か瞬きし、目が酷く乾燥していると気が付いた。
二課、興奮すると瞬き忘れる。
思考していた内容を喋っていた場合呼吸も忘れてぶっ倒れた人も多し。
二課、生物として失格過ぎる。
そう医療課に言わしめた部隊。それが二課。さもありなん。
「殿下がお話しなさっている最中だぞ! この無礼者!」
それはともかく、フィーク・バリドの沈黙令は解かれたのだろうか。
「魔術師は未知の魔具を見ると意識が吸われるから、話を振るな」
「我とて魔術師だが、そのようなことはない!」
「ならお前は魔術師ではないんだろう」
「んなぁ!?」
発情期に外で喧嘩を開始した野良猫みたいな声がした。
「に、二課が特殊なのだろう!」
それはそう。
「一課も志願兵の中にいた魔術師達も同様な上に、周りの魔術師達もそうだと言っていた」
それもそう。
「………………魔術師は、そうあるべきなのか?」
そうでもない。
フィーク・バリドは、他の王宮魔術師のように人を人とも思わぬ扱いをしろとは言わないが、アンに言い負かされない程度には自分を強く持ってもいいと思う。
「そしてお前は声がでかい」
「怒鳴らせているのは誰だ!」
「お前だ」
「んなぁ!?」
「先ほどまでの通路と違い、ここは正常に音が通っている。俺は魔術師ではないが、音の通りくらいは把握できる。この通路に未発表の遺物が使われているのなら、当然この通路自体が極秘扱いのはずだ。そんな場所で大声を出していいのか」
「んむぐぅ……」
アンの言葉数が多い。言葉少なめな印象を抱いていたが、存外よく喋る。そしてフィーク・バリドを言い負かせるほどには弁が立つらしい。
これが通常状態なのか、それともよく怒鳴る王宮魔術師を黙らせているだけなのかによって、これからの対応が変わってくる。
前者ならば、私の前でだけ寡黙になってしまっているわけで。つまり猛烈に悲しい事実判明だ。
アンが喋りづらくなっている原因を排除すべく、彼の行動と心理を照らし合わせその対策を練らなければ。その場合、過失の割合は私が十割の自信がある。
「フィークは声と感情のふり幅が大きくてね。そこがいいんだ」
「いいですかね……?」
「素直は美徳だよ。まあ、堪え性がないともいうのだけれど」
レギネ殿下の器が大きいことは分かった。
そして、永遠にいたいと思える通路の終わりは唐突に訪れた。とある一歩を踏み出した瞬間、硬質な魔力の塊が突然現れたのだ。
体勢を崩し尻もちをつきそうになった私を、アンが支えてくれた。肩や腰を抱いて支えてくれたわけではなく、横に突き出された腕にそのまま背中がぶつかったことで転倒を免れたのだ。
その腕が固く、鉄製の手摺にぶつかったかと思った。痛みを感じたのは私の硬度が足りなかったせいなので、自分の強度を上げる魔具開発を検討していると、レギネ殿下が残念そうに言った。
「魔力観測装置が完成すれば、わたしでも見えるのだろうけれど」
「それ、高名な魔術師の遺体を検体として強制徴収させて進めている研究ですよね。大不評ですよ。本人からも遺族からも」
二課にも要請があったけれど、ゼノンが自身の持ち得る全てを使って阻止すると断言していた。
何せ二課は、大体が遺体徴収対象に入っている。私もそうだ。
一時期、高名な魔術師が次々と、不慮の事故やら病死やら不審死やらに見舞われていた時期があったが、まあ偶然である。
「当然だ。装置自体は有用性が保証されているけれど、その過程が悍ましすぎる。人間を贄にしてしか開発できない装置など、生まれるべきではない」
レギネ殿下の表情は穏やかなものだ。だが口調からは、隠しきれない嫌悪の念が溢れ出していた。
「気を付けるといい。王宮魔術師は、死者をも培養できると吹聴し、軍部からも協力者を得ている」
「それは……」
「くそ野郎だろう?」
清廉なお顔で、なかなかに俗な言葉を知っていらっしゃる。肩を竦めておどけて見せるレギネ殿下の瞳には、嫌悪を煮詰めた、確かな憎悪が灯っていた。
やりきれない苦さが胸の内に滲む。
軍部は長年の戦争で多数の死傷者を出した。身内が軍関係者であれば、人生の選択肢に軍人を選ぶ人間は多くなり、軍部には親族知人を亡くした人間が溢れている。お父さんのように、家族の死に間に合わなかった人間も多い。
軍には、後悔が溢れている。
国を守らんがため、個を後回しにせざるを得なかった人々の無念を利用し、王宮魔術師の益へ巻き込んだのであれば、これほど鬼畜生なことはないだろう。
後悔を積んででも国を守ろうと尽力した人々へ、王家と近しい王宮魔術師が贈る報いがそれなのか。その後悔で自身らの日常が守られた結果の選択がそれならば、王宮魔術師は組織ごと解体されて然るべきだ。そうしてくれないのであれば、王家ごと憎んでしまいそうなほどに、許し難い。
「……そもそも、死者の培養は可能なのですか?」
王宮魔術師がどれほどの古代魔術を秘匿しているのか分からないが、それでも今の技術でそこまでの領域に踏み込めるとは到底思えない。
「外見だけならば可能だったようだよ。けれど、中身が伴わない。外見だけが同じで、記憶も癖も有さない。命令を受け付ける能力はあれど、自発的な行動は発生しない、腐る肉のお人形。それでも、後悔を伴う相手には効果的すぎるほどだった。温かな死者は、希望を詰め込むには十分すぎる」
「お詳しいですね」
この人もその研究に関わっていたのなら、見方は変わる。裁きの重さを判じるつもりはない。ただ、許せるか否か。ひどく個人的な感情の都合を判断しようとしているに過ぎない。
私の勝手な裁判など、レギネ殿下が知りようもない。だが、じっと見つめる私に、思うところはあったのだろう。彼は、万人が柔和だと表現する笑みを、片側だけ歪めて見せた。
「彼らがもっとも簡単に手に入れられる、実験材料は何だと思う?」
王族だよ。
そう言ったレギネ殿下の顔からは、感情の全てが削げ落ちていた。
「わたしを信用するか否か、それは好きにすればいい。わたしが直接話を通すのは、軍の上層部だからね。ただ、わたしには王宮魔術師を根絶させたい理由がある。せめて、それは知っていてくれないだろうか。彼らを頼りにし、言いなりになる王族扱いは、なかなかに耐え難かったのだよ」
ふっと、レギネ殿下の肩から力が抜けた。安堵ゆえの脱力ではない。あえて小さな息を吐くことで体の強張りを解いたのだ。それは意識して力を抜く判断が必要なほど、彼にとって重い内容であると証明していた。
「わたしには双子の弟がいたのだよ」
それは、公表されていない情報だ。
フィーク・バリドは唇を噛み締め俯いている。この内容、一介の軍人である私が聞いていいのか。不安になり視線を向けたアンは、通路を歩いていた蜘蛛に夢中だ。虫が好きなのだろうか。
「長兄であるわたしだけを回収し、奴らはわたしの弟を実験の素材として回収し、両親もそれを許可した。それも、喜んで提供したのだから救えない。呆けた乳母がわたしに漏らさなければ、わたしは弟の存在も知らず生きていただろう」
淡々と語るにはあまりにひどすぎる内容だ。だが、感情を灯さず語れるようになるまでの年月と感情を考えると、レギネ殿下の憎悪の根幹に触れた気がした。
「奴らはわたしの成分だけでなく、弟を素材として自身の欲を叶えようとした。化け物には、わたしから採取した血肉と、弟から剥ぎ取った体が素材として使われた――許し難いだろう?」
敵意よりよほど激しい嫌悪を煮詰めた憎悪は、完成形に近い笑顔をもってしても誤魔化しようのない感情を、そこに映し出していた。
「オーダ・バリドの目的は、何なのですか?」
「その問いには、我が答えよう。伯父上は、自身を次の器に移したいのだ。自身のみならず、自らが優れたと判断した魔術師全てを、永遠に繋いでいきたいと願っている」
言葉が、出なかった。代わりに、アンの不敬が火を噴いた。
「馬鹿だろう。それに縋った王族含め、どいつもこいつも馬鹿ばかりだ」
不敬という段階を通り過ぎた気もするけれど、概ね同意見だ。呆れが過ぎて言葉も出なかった。
人は死ぬから生まれていいのだ。死なないのであれば、人など生まれてくるべきではない。永続的に続いていくには、人の性質は害悪が過ぎる。
アンの言葉にあれだけ怒鳴り散らしていたフィーク・バリドが、今度は反応しなかった。私の視線に気づき、苦々し気に呟く。
「こればかりは否定しようもない。伯父上もバリド家も……伯父上の計画を愚かだと判断できず手を貸した全ての人間が、愚かだ」
そう判断できる人間がバリド家にいた事実は、国民にとっては幸いで。フィーク本人には災難というより他になかった。
「わたしと弟を材料とし、奴らは様々な存在とかけあわせた。その大半は命を伴わずゴミとして処理される存在となったけれど、奇跡的に幾つかは……命として、成立したらしい。奴らは人を作り出した。奴らは己を人に非ずと、自ら証明したのだ」
嗚呼、王宮魔術師はもう駄目だ。
これまでもどうしようもない組織だと思っていた。けれどいま、心の底にすとんと落ちた諦めは、虚しさすら伴わなかった。
「……作り出された存在は、どうなったんですか」
「死んだよ」
どこまでも乾いた声は、レギネ殿下が王宮魔術師をとうの昔に見限っていた証左だ。
「奴らが端から人間として成立させるつもりのなかった、獣と魔物を主体とした化け物が暴走し、当時遺跡にいた存在は全て死んだ。わたしの弟も、わたし達を素材とした哀れな人々も同様に。結局遺跡ごと閉ざされ、奴らの研究は頓挫し、中に入ることすら叶わなくなった。当時、オーダ・バリドはずいぶん荒れていてね。多くの死者を出したことで、完全統治下においていたはずの王宮魔術師達からも責任追及の声が出た。その上、体の弱かったわたししか残らなかったことで、王と王妃の不安を年中聞かされ、うんざりしていた。けれど、惜しいことだ。事件が起こった日、奴も遺跡にいなかった事実が悔やまれてならない」
吐き捨てるように言い捨てたその感情を、この方は、気が弱く王宮魔術師の言いなりだと言われてきたその裏でずっと隠してきたのだ。
「奴らは、いずれわたしが死ぬと思っていたはずだ。実際わたしの体は、二十どころか十を越せるかも分からない有様だった。その内、わたしを含めた王族全てを、自分達の作った複製体で済まそうと思っていたのだろう。だが、その思惑は遺跡が閉ざされたことで停滞し、わたしは生きた。生き延びた…………わたしには、自らは勿論、弟の無念を晴らす義務がある。何の罪もなきまま、ただわたしの後に生まれたというだけで奴らの素材となり果てたあの子。もしもあの子が恨んでいないとしても、わたしは許さない。何をおいても許さないと決めている。わたしの弟をただの素材とするために、命として認知させなかったあ奴らへの恨みの証明は、それで十分ではないかな?」
深く言及する必要はなかった。そこにどんな意図があれど、レギネ殿下の怒りは嘘偽りがないと、彼の体をめぐり魔力の流れが証明していた。
「……わたしには、血だけではなく、この地獄を分け合う相手が確かに存在していたのだ。なればこそ、それを奪った相手がわたしの地獄を作り上げた張本人であるのなら、許す道理は存在しない。憧れは、この手にないからこそ正しく美しいと分かっていようと、わたしにこの憎悪は捨てられぬ。わたしには弟がいたのだ。血肉を分け、命運をかけた弟が。奴らが欲望の食い物にした、哀れで可愛い、わたしの弟の無念、兄が晴らさねば、誰が晴らすというのだ。両親がその存在すら覚えておらぬほど落ちぶれているのならば尚更だ。わたしが、この兄だけが、食い物とされたあの子を無念と思えるのなら。この命を投げ出したとて悔やみはせぬ。わたしは必ず、オーダ・バリドが生涯かけた夢を、無残なものとしてみせる」
穏やかな顔で、声音で。これほどに明確な憎悪を見せた人を、私は初めて見た。
何も言葉に出せなかった。どの答えも不正解で、どの感情も不明瞭にしか抽出できない。フィーク・バリドは静かに控えていたし、アンも反応どころ視線も向けなかった。
けれどやはり、最後までレギネ殿下は穏やかに微笑んでいた。




