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12.はじめまして はじめまして……






 可愛らしい鳥の声がする。名も知らぬ虫の音がする。何かしらの鳥だか蛙だかの声がする。

 動植物が奏でる様々な音に、草木の青臭さ、土の濃厚な埃っぽい匂い。人の営みなど遥か遠い場所で奏でられる、人間以外が充実した世界を五感で感じながら、私は四つん這いになっていた。

 喉がひりつき、頭蓋骨を貫通した軋みが脳を襲い、視界は白黒の粒が点滅する。


「ミント、嫌だ、死なないで」

「死には、しな、い…………」


 アンは私の背を摩り続けてくれている。対してフィーク・バリドは、若干脅えて立っていた。


「……何の罠もない遺跡の隠し通路を通るだけで死にかける人間は、初めて見た……」


 古代遺跡の隠し通路を通り、こうならぬ魔術師などいようか。少なくとも、二課は即死である。




 部屋の最奥壁を、見たこともない魔力波形の魔具で開いたフィーク・バリドの後をここまで進んできた。

 その段階で大興奮した。

 その後、不思議な魔術波形を漂わせる古語が刻まれた廊下、動きを感知し一人でに変わる通路、絶妙な魔力濃度により浮遊した魔具の森など。

 そんな、一つあっただけで気絶するほど大興奮する状況が、延々と続いた。

 二課を殺すに剣要らぬ、ただ好奇心一つあればいい。

 そんな言葉が、まるで諺のように市井で広まっているが、それには何の教訓も含まれていない。

 ただの事実である。


「ミント、落ち着いて。ちゃんと呼吸をして」


 二課を殺す長い通路を通った後、私達は森の中にいた。ここは遺跡のあった森とは違う。ここには虫も鳥もいるからだ。土も虫や獣により耕されて柔らかく、土の匂いも濃く香る。柔らかく湿り気を帯びた土は、落ち葉や枯れ木を糧とし、作物がよく育ちそうな柔らかさがあった。

 視覚もさることながら、聴覚と嗅覚がそれらの情報で満たされれば、自然と意識が引き寄せられる。好奇心と探求心に臓器の動きまで持っていかれていた心身が、ようやく正常稼働し始めていく。


「……ごめん、もう大丈夫」


 杖を支えに立ち上がる私をまだ信用していないのか、アンの左手は未だ私の肩から離れていない。


「……話を、始めても…………よい、のか?」


 フィーク・バリドは、恐る恐る私を伺っている。


「私も聞きたいこと塵の数ほどあります」

「星の数ほどではないのか……」

「塵って無限にありませんか?」

「清掃は我の仕事ではないゆえ、実感したことはない」


 さらりとお坊ちゃま発言した彼は、その台詞が嫌味となる可能性を分かっているのだろうか。


「フィーク」


 どこからか軽やかな人の声がして、思わず杖を握り直す。しかし、私の視界に声の主は映らない。

 私の視界はアンの背中で埋まっていた。その左手を見れば、いつ抜いたのか剣が握られている。移動した音も、剣を抜いた音もしなかった。判断も行動も、全てが早い。


「お、待ちくださいと、申し上げたではないですか! お戯れが過ぎますぞ!」


 顔は見えないけれど、酷く引き攣ったフィーク・バリドの声がする。


「見つかったかい?」

「っ――……申し訳、ございません」

「そうか。それならば仕様がないね」


 穏やかな声だ。しかし胆力を感じさせるのは、その話し方に一切の淀みがないからだろうか。


「ですが、あなた様がここにいてよい理由にはなりませぬ!」

「そうなれば、わたしの器も底が見えるということだろうね。構わない。お前は下がりなさい」

「しかし!」

「お前は少し、交渉には向いていないね」


 食い下がるフィーク・バリド相手に、優し気な物言いでぴしゃりと言い放つ。


「アンペロプシス、ミント少尉。一度、君達と話してみたいと常々思っていたのだよ」


 戦争の英雄として会場内でも視線を集めたアンならばともかく、一隊員である私の顔を知っている人間。それもフィーク・バリドを下における立場の、となれば、厄介な予感しかしない。

 アンの横に並び、その人を見る。

 光に溶けてしまいそうなほど繊細な金色の髪。柔和な笑みを浮かべる、私達と同じ年齢ほどの男。

 嫌な予感ほどよく当たるのは何故か、誰か研究してほしい。


「はじめまして、ミント少尉。会えて嬉しいよ」

「お初にお目にかかります。大変、光栄にございます――レギネ殿下」

 人の顔と名前を一致させるのが苦手な私であっても、流石に記憶から抜け落ちるほどの時間が経っていなければ、流石に覚えているのである。






 場所を変えようというレギネ殿下の提案で、私達は二人の後をついて歩く。ここは、森といってもきちんと整備された、人の往来が日常的に行われている場所だ。

 声を潜め耳元に唇を寄せると、体を少しだけ傾けてくれたアンの動作が、結構嬉しかった。


「地理把握できてる?」

「うん」

「そっか……え、できてるの?」


 あっさりと返ってきた返答に、素直に驚いてしまった。ちなみに私は、大興奮と血涙に支配さながら走り抜けてきたので、全く把握できていない。


「駐屯部目当ての商人もいろいろ通っていたから、人通りはそれなりにあった街道」


 つまりこの道は、戦場にいる軍への補給路として使われていたのか。ここは戦場に近いのだから、アンが肌感覚で地理を把握していても何ら不思議ではない。

 そう思い至って、改めて周囲を見回す。

 ここは、お父さんとアンが過ごした場所の近くなのだ。お父さんが家よりも長く過ごした場所。私とお母さんより長く過ごした人達と暮らしていた場所。

 アンとお父さんが一緒に過ごした、私の知らない場所。

 やっと来られた。そう思う場所へとうに立っていた事実に、複雑な気持ちになった。


「アンペロプシスは地理把握に長けているのだな。戦闘能力の高さも評判で、凄いなぁ」


 レギネ殿下は、噂に違わぬのんびりとした物言いでアンに話しかけている。返る言葉はほとんどないのに、気にしていないようだ。

 そんなレギネ殿下が足を止めたのは、小さな家の前だった。

 外観はただの古ぼけた二階建てだが、扉の厚みと、庭を含めた様々な個所から漂う魔具の気配が、その見た目を裏切っていた。

 小さな家で、入ってすぐの右手に部屋があり、左手には二階へと上がる階段がある。その階段の側には、男が一人立っていた。


「おかえりなさいませ」

「うん。またね」


 レギネ殿下と妙な会話を交わした小柄で小太りな男は、どこか道化めいた動作で深く頭を下げる。そうして階段の裏手に回ると、その場に魔力を注ぎ込んだ。すると、滑るように階段が位置を変えていく。二階へと向かっていた階段が、地下へと行先を変えた。

 魔術式自体は古い型だ。けれど面白い。元からある物を再構築して使用しているので、一から作るより使用魔力が少なく済む。魔力の使い方も絶妙で、この程度の魔力量で済むのなら杖も待機状態のまま魔術が使用できるだろう。

 下へと向かった先頭はフィーク・バリドで、次いでレギネ殿下、そして私、最後がアンだった。アンの頭が床より下になったとき、音もなく光が狭まり始めた。入り口が閉まっているのだ。


「またのお越しを、お待ち申し上げております」


 男の静かな声と共に、滑らかに光は消えた。




 完全なる暗闇が訪れる前に、光が二つ灯る。私とフィーク・バリドの魔術だ。

 フィーク・バリドの灯りは、白が強い私の光よりも赤みがある。この辺りは、あえてそうしているのでなければ魔力による個人差だ。色と優劣は関係がないので、髪や瞳の色のように、単なる個性である。


 地下には長い通路が続いていた。しんっと静まり返った通路は、しかし誰の足音も響かない。足音どころか、衣擦れに至るまですべての音が消えている。

 これは材質の問題ではない。私達が発生させている音が、どこかに吸われている。居心地の悪さと高揚感が上下左右から押し寄せてくる感覚が消えず、軽度の眩暈と吐き気が発生する。

 この通路に入った段階から、魔力の流れは見えていた。だがこの魔術式は。


「この古代魔術、未発表です」


 声は出せるらしい。その判断はどの式でつけているのだろうと魔力の流れを読んでいく。遺物か否かの判断は容易だ。魔術の組み立て方が遺物のそれである。


「やはり見ただけで分かるのだね。流石、世界に名だたるサンワール国軍魔術二課。お見事」

「……恐れいります」


 レギネ殿下はふわりと笑うが、こちらは笑えない。

 未発表の技術が使用されていた。それを国が容認していたどころか、率先してやったのだから頭を抱える。

 認知されていない技術は、それだけで恐ろしい危険を孕む。理由は多々あるが、有事発生が最も分かりやすい。存在を知らない有事への対処など誰ができるというのか。せめて情報共有があれば、対処の検討くらいはできたのだ。


「ここは名目上、王族だけが使用許可を出せる通路でね。王宮魔術師が王を使って作った場所だよ」


 随分引っかかる言い回しをなさるものだ。その在り様は、城勤めであれば誰もが知る事実であるが、王子が自ら口に出して認めていい内容ではなかった。


「殿下、おやめください。何もこ奴らを使わずともよろしいではありませぬか!」

「お前の言いようは人聞きが悪いねぇ。よし、分かった。しばらく黙っていなさい」


 主の命はよく効くようだ。フィーク・バリドは喉に何かを詰まらせたかのようにぐぅっと苦しげに呻いた後、静かになった。それでも歩調は緩めないので、よく躾けられている。


「さて、どこから話したものか……ああ、そうだ。まず、君達の仲間の無事は保証しよう」


 だから心配しなくていいと言った後、安堵の表情を浮かべない私に、少し弱った顔をした。


「信用できないかな?」

「そういう、わけ、では、なくてですね……ええと……」

「構わないよ、当たり前だからね」


 レギネ殿下は苦笑するが、私はどうしたものかと頭を掻いた。


「殿下を信用していないのではなく、同僚を心配していないだけでして……」

「……うん?」


 ここで初めて、表情がすとんと切り替わった。どこか寂し気な、けれど柔和な表情を崩さなかったそこに、感情を作る前の素体が現れたのだ。心の底から理解不能な現象に陥った顔である。


「二課は基本的に好戦的ではありませんが、調査を邪魔されれば当然抵抗します。殺されそうになれば尚のことです。そしてそうなった場合、辺り一帯が無残な状態となります。今のところそのような衝撃はありませんでしたので、とりあえず無事だと認識しております」


 はっきり言って、クレスが死に物狂いで抵抗した場合、あんなに静かなはずがないのだ。地下だろうが現場からどれだけ離れていようが、何かしらの異変は感じ取れるほどの衝撃が発生する。

 目視は出来ずとも大地が繋がっている以上、強烈な魔術による魔力波は数十キロに渡って影響を出す。

 二課が誇るクレスとラクーシャだけでなく、ルクトス隊までついているのだ。王宮魔術師を振り切って逃げきっている可能性も考えられるくらいである。

 一応言葉を選びつつもそう説明している間、フィーク・バリドは信じられないものを見る目で私を見ていた。何か言いたげに口をぱくぱくさせていたが、主の命を守っているのか音は出ていない。

 そしてその主はというと、ぽかんとした顔で無言を貫いた後。


「そうか……そう、か……ふっ、はは、あははははははは!」


 弾けたようなレギネ殿下の声は、ここでさえなければ通路中に響いただろう。


「いいね、素晴らしい信用だ! …………はぁー、笑った」


 本心で笑い転げたのだろう。目頭にはうっすらと涙が滲み、目尻に赤みがさしている。


「うん。やっぱり君達には話してしまおうか」

「殿下!」

「黙っておいで、フィーク」


 気が弱く大人しい王子であると認知されている方だが、どうにも噂と同じには見えない。

 レギネ殿下はふわりと足を止め、私とアンへ交互に視線を向ける。


「アンペロプシス、君は不思議な瞳をしているのだね」


 髪色だけでも目立つが、瞳はその顔立ち以上に人の記憶に残る。アンは言われ慣れているのだろう。照れも疎ましさも見せなかった。


「髪も瞳も、上官に拾われるまでに死にかけた後遺症なので」


 目の前の主従が息を呑んだ。


「……そうか。不躾な発言をしたね。どうか許しておくれ」


 私も同じく、自分の感情と常識を優先した発言をした。アンの傷など考えずに、なんてことを。

 私はその傷に気づける親しさを持ち得ない。それでも家族という親しさの象徴のような関係を築きたいのならば。私は誰よりも、アンを見ていなければならなかったのに。

 レギネ殿下の謝罪に対しても然したる反応を見せなかったアンは私を見て、動きを止めた。


「そう言えば、奇抜な外見でもそれ以上指摘されずなあなあで流されていくからって上官が」

「きっ……さまぁ! 殿下になんたる無礼を! このっ、不敬者無礼者不届き者―!」


 フィーク・バリドが吠えた。今日だけで、何度王宮魔術師に同意及び共感してしまったことか。

 一生の不覚である。


「あっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」

「殿下! 笑っている場合ではございませぬぞ!」

「あははははははははははっ、く、くるし、苦しいっ……あはははははははははは!」

「殿下――――!」


 レギネ殿下が笑いやんだのは、少し経ってからだった。どうやらこの御方、結構な笑い上戸である。しかし、アンのあれを大笑いで終わらせてしまえる器の大きさは、素直に尊敬した。


「あー、苦しかった」


 目尻に残る涙を拭いながら、レギネ殿下はアンを見てまた笑いだしそうになる。しかし今度はぐっと堪え、一度咳払いをして場を整えた。


「そうそうそれでね、わたしは王を弑逆してでも王宮魔術師の権限を縮小したいと思っていてね」

「それ世間話な感じで聞いて大丈夫ですか!?」


 腹の底から声が出てしまった。不敬も何もあったものではないが、さらりと暴露されていい内容でもない。

 穏やかでいて笑い上戸。身分を笠に着ず、親しみ溢れる言葉を交わしてくれる。そんな優し気な殿下から、笑顔で国家反逆罪に強制仲間入りさせられるとは思わないではないか。


「殿下……」


 ほら! フィーク・バリドが「流石にそれはちょっと……」みたいな顔をしているではないか!

 にこにこと歩き始めたレギネ殿下の後を、フィーク・バリドが慌てて追っていく。どうしよう、王宮魔術師が苦労性に見えたら世も末だ。

 そのまま見送るわけにもいかず、のろのろと後をついていく。

 アンはどんな顔をしているのだろうと見上げる。それは、私同様に動揺しているであろうアンを慮ったがゆえの行動だった。

 けれどそれだけではなく、身内と感情を共有したいという、自分本位な気持ちが混ざり込んでいた事実も否定できない。そんな私を、アンはじっと見ていた。


「どうしたの?」

「元気?」


 言葉は聞き取れていたけれど、その意図を汲み取り切れなかった。そんな私に、アンはもう一度、丁寧に言葉を紡ぐ。


「さっき、僕は君の何を傷つけた?」

「――――何も」


 ああ、この人は。


「何もないよ。ありがとう」


 真実、優しい人だ。

 だからこそ、この人の生が穏やかであるよう、精いっぱい頑張ろうではないか。









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