午後ずっと、私のことを忘れていた
新しい部屋に引っ越して二週間が過ぎた月曜日の朝、アイリーンは寝室に入り、クローゼットを開けた。
そして、仕事用のジャケットを手に取った。
私は見逃さなかった。
「何してるの?」
「着替えてる。」
「それは見れば分かる。」
アイリーンはジャケットのボタンを留め、鏡の中の自分を見た。
「会社に行くの。」
それには私も反応した。
「在宅勤務でしょう?」
「在宅勤務だったの。」
私は続きを待った。
でも、それだけだった。
アイリーンはパソコンの入ったバッグを持ち、鍵を取って部屋を出た。
こういう大きな変更をする前には、一度くらい私と相談してほしい。
最近、誰も私の意見に興味がないらしい。
...
会社の前に車を停めても、アイリーンはすぐには降りなかった。
しばらく運転席に座ったまま、建物を見ている。
「緊張してる?」
「少し。」
「帰ってもいいのよ。」
「分かってる。」
また、その答え。
だんだん腹が立ってきた。
アイリーンは息を吐いてドアを開けた。
「でも、やりたいの。」
仕方ない。
私も一緒に行くしかない。
彼女は自分のオフィスへ向かう前に、人事部へ立ち寄った。
ノックすると、担当者が顔を上げた。
「アイリーン。今日は来ると思ってなかったよ。」
「ええ。ちょっとお願いしたいことがあって。」
「もちろん。座って。」
アイリーンは椅子に腰を下ろした。
「また会社で仕事をしたいんです。」
担当者は少し驚いた顔をした。
「毎日?」
「可能なら。」
「もちろん。」
あまりにも即答だったので、アイリーンのほうが驚いた。
「本当に?」
彼は笑った。
「在宅でも部署をきちんとまとめてくれていたけど、君がここに戻ってくれるのは、みんなにとっていいことだと思うよ。」
アイリーンも笑った。
「じゃあ、戻ります。」
「おかえり。」
……ずいぶん簡単だった。
別に文句はない。
私はただ、物事というのはもう少し複雑になるものだと思っていただけだ。
残念ながら、アイリーンはそういう癖を少しずつ失い始めていた。
...
自分のデスクにパソコンを置いたばかりなのに、もう部署の男性が入口に現れた。
「やっぱり本当だった。」
アイリーンが顔を上げる。
「何が?」
「噂。」
「何の噂?」
「戻ってくるって。」
彼は笑った。
「またここにいてくれるの、うれしいよ。」
アイリーンが何か答える前に、彼はそのまま廊下を歩いていった。
私は後ろ姿を見送った。
「ふーん。」
「何?」
「あなたのことを好きな人、もっと少ないと思ってた。」
アイリーンが私を見る。
「ありがとう。」
「悪口じゃないわよ。」
「愛情表現が独特なのよね。」
「そう言われたことはある。」
アイリーンがまだパソコンをつないでいると、今度は別の人がノックした。
若い翻訳者が、印刷した原稿を手に立っていた。
「すみません。今、大丈夫ですか?」
「まだ来たばかりだけど。」
「じゃあ、あとで来ます。」
アイリーンが笑った。
「そういう意味じゃないわ。入って。」
彼は椅子を引き寄せ、原稿をデスクに置いた。
「このセリフで三十分くらい悩んでるんです。原文ではちゃんと面白いのに、訳すとどうしてもうまくいかなくて。」
「見せて。」
それから数分間、二人はたった二行のセリフについて話し続けた。
人生のことじゃない。
ディランでもない。
新しい部屋でもない。
たった二行。
アイリーンは声に出して読み、一つの言葉を変え、別の表現を却下した。
そして、その場面で観客に何を感じてほしいのかを尋ねた。
彼が別の訳を出す。
アイリーンは首を振った。
「言葉だけを訳してる。」
「翻訳って、そういうものじゃないんですか?」
「そのせいで冗談が死んだら意味がないでしょう?」
彼が笑った。
「確かに。」
もう一度考え直す。
今度はアイリーンがうなずいた。
「それ。」
彼はもう一度読んで、笑った。
「もっと早く聞けばよかった。」
「そのためにいるんだから。」
原稿を持って彼が出ていくと、アイリーンはまたパソコンへ向かった。
「これ、恋しかったでしょう?」
アイリーンは答えなかった。
答える必要もなかった。
...
昼頃、ルーシーが入口から顔を出した。
「ランチ行く?」
「持ってきたわよ。」
「私も。」
アイリーンが彼女を見る。
ルーシーは腕を組んだ。
「だから?」
「だからって……二人とも持ってきたのよ。」
「二人とも食堂まで持っていけるでしょう?」
アイリーンは笑った。
「分かったわよ。」
五分後、二人は部署の何人かと一緒に座っていた。
すでに誰かが字幕について文句を言っている。
「直訳のほうが面白いって。」
「原文が分かるから面白いのよ。」
「だから?」
「観客には分からないでしょう。」
別の人も加わった。
「でも変えすぎたら、同じジョークじゃなくなる。」
ルーシーがアイリーンを見る。
「おかえり。」
「こういう重要な議論、本当に恋しかったわ。」
「そうだと思った。」
話は続き、ついに誰かがアイリーンに意見を求めた。
彼女はフォークを置いた。
「二人とも正しいと思う。」
三人が同時に彼女を見る。
「それじゃ何の役にも立たない。」
アイリーンが笑った。
「原文のジョークは、その言葉だから面白い。でも翻訳したジョークは、観客にとって面白くなきゃ意味がない。言葉をそのまま残して、笑いを失ったなら、本当に残したことにはならないでしょう?」
少しだけ沈黙した。
やがて一人がため息をつく。
「正論なのが腹立つ。」
ルーシーが笑った。
「ほら。アイリーンなら解決してくれるって言ったでしょう。」
「何も解決してないわよ。」
「言い争いを止めたじゃない。」
「止まってないわ。」
テーブルの向こうでは、すでに議論が再開していた。
ルーシーがうなずく。
「確かに。」
アイリーンが笑った。
みんなも笑った。
そして、そのあと妙なことが起きた。
何も起きなかった。
昼食の間、アイリーンは仕事の話をした。
午後には会議へ行った。
そのあと別の同僚がオフィスに来た。
返信しなければならないメールがあり、プロジェクトについて意見を求められ、別の翻訳の確認も頼まれた。
そうやって一つの会話から次の会話へ移っているうちに――
アイリーンは私のことを忘れた。
完全に、というわけじゃない。
もちろん私はそこにいた。
でも、彼女は私の意見を聞かなかった。
何が失敗するか教えてくれとも言わなかった。
ただ、自分が何をすればいいのか分かっていた。
失礼な話だ。
...
アイリーンがようやく時計を見たときには、もう六時を過ぎていた。
「嘘でしょう?」
バッグを肩にかけたルーシーが、開いたドアから顔を出した。
「どうしたの?」
「もう六時。」
ルーシーも時計を見る。
「よく気づいたわね。」
「こんな時間だと思わなかった。」
「前はいつもそうだったでしょう?」
「家ではね。」
ルーシーが笑った。
「じゃあ、これからはここでもできるわね。」
アイリーンはパソコンを閉じた。
「疲れた。」
「でも?」
アイリーンが彼女を見る。
「でも、何?」
「『でも』がある顔してる。」
アイリーンはパソコンをバッグに入れながら少し考えた。
そして笑った。
「でも、いい一日だった。」
ルーシーがうなずく。
「知ってる。」
「どうして?」
「顔が違うから。」
アイリーンは眉をひそめた。
「どう違うの?」
「何かを思い出したみたい。」
「何を?」
ルーシーは肩をすくめた。
「そのうち分かるわよ。」
私はそういう答えが嫌いだ。
言い始めたなら最後まで説明してほしい。
でもアイリーンは聞き返さなかった。
ルーシーに別れを告げ、エレベーターへ向かった。
帰りの車の中で、アイリーンは疲れていた。
本当に疲れていた。
それでも、ときどき笑っていた。
午後の間、私はほとんど呼ばれなかった。
言いたいことなら、たくさんあった。
ただ、アイリーンには必要なかったのだ。
それは私を苛立たせるはずだった。
実際、少しは苛立った。
でも、新しい部屋へ向かって運転するアイリーンを見ながら、私はもっと困ったことに気づいてしまった。
彼女は今日一日、ディランがいない自分が何者なのかなんて考えていなかった。
新しい自分になろうともしていなかった。
午後の間ずっと――
ただ、アイリーンだった。
そして、その間。
私のことなんて、すっかり忘れていた。




