君は幸せ?
穏やかな土曜日ほど、私は信用していない。
人間というものは、そんな日に限って「時間はまだたっぷりある」と思い込むからだ。
その土曜日、ダイランは朝食を用意してアイリーンを驚かせた。
豪華なものではない。トーストにスクランブルエッグ、それからコーヒー。
それでも彼は、大仕事を成し遂げた英雄のような顔で皿をテーブルに並べていた。
「コーヒーも俺が淹れたんだ。」
アイリーンは微笑む。
「すごいじゃない。」
「だろ?」
「期待しすぎないように気をつけるわ。」
ダイランは笑った。
二十五年も一緒にいれば、他愛のない冗談だけで十分だった。
朝食は、そんな穏やかな会話の中で過ぎていく。
食べ終わると、アイリーンはいつものようにノートパソコンへ手を伸ばした。
その瞬間、ダイランがそっと蓋を閉じる。
「ねえ。」
「今日はなし。」
「ちょっと確認したいことがあるだけよ。」
「君はいつもそう言う。」
アイリーンは腕を組んだ。
「本当に大事だったら?」
「午後になっても大事なままだよ。」
彼女はため息をつく。
「……返してくれる気、ないの?」
「ない。」
思わず笑みがこぼれた。
「わかった。あなたの勝ち。」
「その言葉を待ってた。」
ほら。
人間も、ときには驚くほど賢い選択をする。
…
公園までは歩いて数分だった。
入口でダイランがオレンジジュースを二本買い、そのまま湖の方へ歩いていく。
鴨たちは、いつもの場所にいた。
それを見た途端、アイリーンが笑う。
「下の子、この子たちが自分のことを覚えてるって本気で思ってたのよね。」
ダイランが吹き出す。
「覚えてたのは俺の昼飯だ。」
「パンをあげてたじゃない。」
「俺の昼飯をな。」
「まだ五歳だったのよ?」
「ずいぶん気前のいい五歳だった。」
「あなた、止めもしないで笑ってたじゃない。」
「今でも笑うよ。」
わざとらしくため息をつくダイラン。
「そうでしょうね。」
二人は声を上げて笑った。
認めるのは癪だけれど。
二人の笑い方は、二十年前と何ひとつ変わっていなかった。
悲観主義者でいるのが、少しだけ難しくなる。
ベンチに腰掛け、しばらく水面を滑る鴨たちを眺める。
言葉はほとんど交わさなかった。
その必要がなかったからだ。
やがてダイランが立ち上がる。
「帰ろうか。」
アイリーンは静かにうなずいた。
…
家に戻ると、アイリーンは鍵を置き、反射的にまたノートパソコンへ手を伸ばした。
ダイランは何も言わず、その蓋を閉じる。
もう一度。
彼女は思わず笑ってしまう。
「そんなに本気なの?」
「ああ。」
「最近、頑固になった?」
「昔からだよ。」
「それもそうね。」
ダイランはリビングのソファを指さした。
「少しだけ、座ってくれないか。」
その声を聞いた瞬間、彼女の笑顔が少しだけ消えた。
アイリーンは静かに隣へ座る。
沈黙。
私は、あの沈黙が好きではなかった。
長い沈黙のあとに始まる会話は、たいてい穏やかではない。
ダイランは両手を組み、しばらく床を見つめてから彼女の方を向いた。
「一つ、聞いてもいいか?」
「もちろん。」
「最近、君のことを考えてた。」
アイリーンは首をかしげる。
「心配したほうがいい?」
ダイランは小さく笑った。
「心配じゃない。」
少しだけ間を置く。
「正直な話をしたいだけだ。」
アイリーンは黙って続きを待った。
ダイランはゆっくり息を吸う。
「……君は、幸せか?」
その問いは、私まで不意を突かれた。
アイリーンが目を瞬かせる。
「……どうして、そんなことを聞くの?」
「気づいたことがあるんだ。」
彼はソファにもたれた。
「君はいつも誰かのために動いている。」
アイリーンは黙って聞いていた。
「息子たちも、仕事も、それに俺も。」
優しい眼差しで彼女を見る。
「みんな、君の人生の中に居場所がある。」
その笑顔が少しだけやわらいだ。
「でも、その中で……君自身はどこにいるんだろうって思った。」
アイリーンは視線を落とした。
さあ。
答えて。
君はいつだって答えを見つけてきたじゃない。
でも今回は違った。
ダイランは急かさない。
「何かがおかしいと言いたいわけじゃない。」
彼は静かに続けた。
「ただ……最近の君から、何かに夢中になっている顔が見えなくなった気がして。」
「夢中にはなってるわ。」
ダイランは穏やかに微笑む。
「何に?」
アイリーンは口を開く。
でも、言葉が出ない。
もう一度、口を開く。
それでも出てこない。
困ったように小さく笑った。
「あなたが聞いてから、ずっと考えてるの。」
「それで?」
彼女は自分の手を見つめた。
「感謝しているものなら、たくさん浮かぶの。」
穏やかな声だった。
「息子たち。」
「家族。」
「あなた。」
ダイランはそっと彼女の手を握る。
「知ってる。」
アイリーンも、その手を握り返した。
「私は、この人生を愛してる。」
「うん。」
「でも……」
その言葉だけが、二人の間に残った。
アイリーンは長い間、床を見つめていた。
そして、ささやくような声で言った。
「……わからない。」
私はずっと、自分のほうが彼女より先に答えを知っていると思っていた。
だけど今回は――
私にも、わからなかった。




