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ようやく、私たちの番だった

二十年以上もの間、

いつも誰かが二人を必要としていた。

最初は一人。

そのあと二人。

学校。

宿題。

誕生日。

壊れた自転車。

大学受験。

そして、

「ちょっと手伝って。」

そんな一言から始まる毎日。

気づけば、アイリンとダイレンの生活は、いつも誰かを中心に回っていた。

そしてある日、

その「誰か」がいなくなった。

土曜日の朝。

目覚ましは鳴らなかった。

カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。

ダイレンがゆっくり目を開け、スマートフォンを見る。

八時半。

少し眉を上げる。

隣でアイリンが寝返りを打った。

「何時?」

「もう八時半。」

彼女はぼんやりと目をこする。

「……起きなくていいの?」

ダイレンは少し考えてから笑った。

「今日は誰も待ってない。」

私はその様子をじっと眺めていた。

二十年以上、

夜明け前に起きることを極めたこの二人が、

ついに新しいスキルを手に入れた。

朝寝坊。

人間も進化するものらしい。

朝食は一時間近く続いた。

ゆっくり食べていたからではない。

誰にも邪魔されなかったからだ。

急いで送り迎えをする必要もない。

忘れ物を探す必要もない。

「これどこ?」

そんな声も聞こえない。

不思議なことに、

静けさはもう気まずくなかった。

少しずつ、

心地よいものへ変わっていた。

二杯目のコーヒーを飲みながら、

ダイレンが窓の外を眺める。

「旅行でも行くか。」

アイリンが笑った。

「どこへ?」

「まだ決めてない。」

「いいわね。」

「行き先が?」

彼女は首を振る。

「急がなくていいっていうのが。」

私は思わず笑ってしまう。

本当に人間という生き物は面白い。

責任の話が終わった瞬間、

今度は半年かけて旅行の計画を立て始める。

午後になると、

二人は散歩に出かけた。

買い物でもない。

用事でもない。

天気がいいから。

それだけだった。

商店街を歩き、

気になった店をのぞき、

ゆっくり歩く。

スポーツ用品店の前で、

ダイレンが立ち止まった。

「覚えてる?」

アイリンがショーウィンドウを見る。

「青い自転車?」

「いや。」

彼は笑う。

「木にぶつけた方。」

「ぶつけてない。」

アイリンは腕を組む。

「木の証言は違うけど。」

「犬を避けたんだ。」

「犬なんていなかったわ。」

「いたかもしれない。」

アイリンは笑いながら立ち止まった。

私は大きくため息をつく。

二十年以上も夫婦をやると、

存在しなかった犬について真剣に言い争うようになるらしい。

そのまま歩き続ける。

大学時代の話。

失敗した旅行。

今となっては笑い話になった出来事。

あの頃は大したことじゃなかった思い出が、

いつの間にか一番大切な宝物になっていた。

その夜は料理をせず、

テイクアウトを買って帰った。

テレビはつけない。

小さな音で音楽だけが流れている。

食事をしながら、

ダイレンが静かに言った。

「こういう時間、いいな。」

アイリンも頷く。

「うん。」

少し考えてから、

ダイレンが微笑む。

「ようやく……」

彼女が顔を上げる。

「俺たちの番だな。」

アイリンはすぐには答えなかった。

テーブル越しに手を伸ばし、

そっと彼の手を握る。

「私も、そう思う。」

私は二人を見つめた。

そして静かに目をそらす。

少しだけ。

本当に少しだけ、

信じそうになった。

月曜日の朝。

ダイレンはいつも通りスーツを着て家を出た。

玄関でアイリンにキスをして、

ブリーフケースを持ち、

会社へ向かう。

どこまでも普通の朝だった。

会社に着いて間もなく、

開いたままのドアを誰かが軽くノックした。

上司だった。

「おはよう。」

「おはようございます。」

上司は笑顔のまま言う。

「少し時間あるかな?」

ダイレンも笑って頷いた。

「もちろんです。」

私は背筋に小さな寒気を覚えた。

長いこと人間を見てきて、

一つだけ確信していることがある。

人生を変える出来事は、

怒鳴り声から始まることはほとんどない。

たいていは、

誰かが穏やかに微笑みながら、

こう言うのだ。

「少し時間あるかな?」



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