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家も、静かになることを覚えるらしい

誰も教えてくれない。

子どもだけじゃない。

家だって変わる。

人は「子どもが成長する」とか、「親離れする」とか、そういう話はたくさんする。

でも、一人いなくなった家がどう変わるのかについて話す人は、ほとんどいない。

不思議なことに、家は空っぽになったわけじゃなかった。

次男はまだ家にいる。

玄関には靴が脱ぎっぱなしだし、リビングには誰かが読みかけの本を置き忘れている。

なのに――

何かが違った。

静けさの種類が変わっていた。

最初の数日は、朝食の時間がいちばん変だった。

アイリンはいつものように朝食を用意し、ダイレンはコーヒーを淹れる。

少し遅れて次男が眠そうな顔で階段を下りてきて、「おはよう」とだけ言って席に着いた。

いつも通りの朝。

そう思った、その時だった。

「お兄ちゃん、起こしてきてもらえる?」

アイリンは言った瞬間、自分で「あ」と小さく笑った。

次男も思わず笑う。

「三時間先の大学まで?」

「……そうだった。」

ダイレンもコーヒーカップを持ったまま苦笑した。

「昨日、俺も同じこと考えた。」

三人で顔を見合わせて笑う。

ほんの数秒の出来事だった。

それでも、その笑いには少しだけ寂しさが混じっていた。

私は静かに腕を組む。

「習慣って厄介よね。」

アイリンが振り向く。

「何が?」

「人は出ていくのに、習慣だけ置いていくの。」

新しい生活には、少しずつ慣れていった。

食卓の皿は一枚減った。

洗濯物も少しだけ減った。

二階から「充電器知らない?」という声も聞こえなくなった。

家は寂しくなったわけじゃない。

ただ、新しい呼吸の仕方を覚え始めていた。

ある午後。

アイリンは洗濯物をたたみながら、無意識にバスタオルを四枚重ねていた。

四枚目を持ち上げたところで手が止まる。

「あ……」

少し笑って、その一枚を棚へ戻した。

「今は三枚で足りるのね。」

誰に言うでもない独り言だった。

私は壁にもたれながら頷く。

「やっぱり面白い。」

「何が?」

「人間って、もう家にいない人の分まで数えちゃうのよ。」

アイリンは返事をしなかった。

でも、小さく笑っていた。

意外だったのは、次男だった。

夕食の時間になると、以前よりずっとよく話すようになった。

部活のこと。

先生のものまねをする友達のこと。

動画を三本見ただけでバイクを直せると思い込んだ同級生のこと。

ダイレンが吹き出した。

「それで?」

「バイクが勝った。」

三人とも笑った。

食後、皿を洗いながらダイレンがぽつりと言った。

「あいつ、こんなに話す子だったっけ。」

アイリンも笑う。

「ずっとそうだったわ。」

「じゃあ、なんで気づかなかったんだろう。」

彼女は皿を拭く手を止めずに答えた。

「きっと……」

リビングでは次男が友達と電話をしながら笑っている。

その声を聞きながら続けた。

「いつも二人の声を同時に聞いていたから。」

ダイレンは静かに頷いた。

「そうか。」

「私も今まで気づかなかった。」

数日後。

アイリンは長男の部屋の窓を開けに行った。

部屋はきれいに片付いていた。

ベッドも、そのまま。

机も、そのまま。

本棚にはお気に入りだった本が何冊か残っている。

窓際の小さな観葉植物に水をあげ、写真立てを少しだけまっすぐに直した。

本当は曲がってなんていなかった。

それでも直した。

それから静かに電気を消え、部屋を出た。

私は腕を組む。

「なるほど。」

アイリンが笑う。

「今度は何?」

「愛情っていうのは、家にいない人の植物に水をあげることも含まれるらしい。」

彼女は吹き出した。

「そう言われると変ね。」

「人間は昔から、そういう生き物よ。」

その日の夜。

夕食を済ませると、次男は友達と出かけて行った。

家にはアイリンとダイレンだけが残る。

テレビはつけなかった。

二人ともスマートフォンにも手を伸ばさない。

静かな時間だった。

でも、もう居心地の悪い静けさではなかった。

しばらくして、ダイレンが口を開く。

「あいつがいないの、まだ変な感じだな。」

アイリンは頷いた。

「私も。」

少し沈黙が流れる。

「でも。」

彼女は穏やかに笑った。

「電話してくる声、すごく楽しそう。」

ダイレンも笑った。

「そうだな。」

「それを聞くと安心する。」

ダイレンはそっと彼女の手を握った。

「俺も。」

私は二人を見つめながら、少し考えた。

人間って、本当に理解しづらい。

誰かがいなくて寂しいと思いながら、

その誰かが幸せそうにしているだけで、自分も嬉しくなれる。

そんな矛盾した気持ちを、

どうして同時に抱えられるんだろう。

……

正直に言う。

私はまだ、その仕組みを理解できていない。


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