アイリン、拍手とかされてる。意味が分からない
講堂は、やわらかな金色の光と落ち着かない空気に包まれていた。
花束。
カメラ。
大きすぎる誇らしげな声。
笑い声や名前を呼ぶ声が、あちこちで反響している。
全部が、生きているみたいだった。
……少し、騒がしすぎるくらいに。
…
アイリンは卒業生の列に座りながら、何度もガウンのしわを直していた。
心臓が落ち着かない。
式のせいだけじゃない。
たぶん、それだけじゃない。
…
心の中では、オスクリタが腕を組みながら観客席を眺めていた。
まるで、非常に性格の悪い劇評家。
「感情、多すぎ」
ぼそっと言う。
「公開処刑の可能性も高いわね」
…
アイリンは小さく息を吐いた。
「今日ちょっと機嫌いいね」
「違う」
オスクリタは即答する。
「緊張してるの」
少し間。
「似てるけど、別物よ」
…
少し離れた場所で、アンドレアが大きく手を振っていた。
アイリンも笑って手を振り返す。
…
全部が不思議だった。
悪い意味じゃない。
ただ——現実感が薄い。
…
数年前なら、この日を想像できなかったかもしれない。
いや、そもそも考えようともしなかった。
あの頃は、一日を無事に終えるだけでも精一杯だったから。
自分の思考に押し潰されずに生きるだけで。
…
それなのに今——
ここにいる。
本当に。
…
オスクリタが横目で彼女を見る。
「あっ、だめ」
すぐに言う。
「その顔、“人生振り返りモード”入ってる」
「気をつけて。成長って不安定なのよ」
…
アイリンは小さく笑った。
…
名前が一人ずつ呼ばれていく。
拍手が波みたいに広がっては消える。
笑いすぎている人。
泣くのを我慢している人。
そして、盛大に失敗してる人。
…
そのとき——
「アイリン」
名前が講堂に響く。
その瞬間だけ。
体の中が静かになった。
…
オスクリタがゆっくり立ち上がる。
「……これは」
小さくつぶやく。
「かなり重要っぽいわね」
…
アイリンはステージへ向かって歩き出す。
一歩。
また一歩。
…
ライトが眩しい。
拍手が大きい。
でも——止まらない。
…
その瞬間。
記憶が一気に押し寄せた。
眠れなかった夜。
不安。
鏡。
囁き声。
見られることへの恐怖。
足りないと思い続けた日々。
…
それでも——
彼女は歩き続けてきた。
…
少し震える手で、卒業証書を受け取る。
拍手が続いている。
でも、その中で——
アイリンはすぐにダイレンを見つけた。
当然みたいに。
…
彼は、本当に誇らしそうだった。
社交辞令じゃない。
応援のためだけでもない。
もっと個人的で、
もっと深い。
彼女の幸せが、本当に自分のことみたいな顔。
…
胸の奥が、静かにいっぱいになる。
痛くはない。
ただ——満たされる感じ。
…
心の中で、オスクリタが固まる。
「……あら」
少し間。
「これは新しい」
…
ステージを降りたあとも、アイリンの手は少し震えていた。
オスクリタは珍しく静かに隣を歩く。
冗談もない。
皮肉もない。
ただ見ている。
…
「ねえ」
やがて、静かに言った。
「数年前のあなた、“消えても誰も気づかない”って思ってたのよね」
…
アイリンは小さく息を飲む。
…
「それが今はどう?」
オスクリタが講堂を指さす。
「存在してるだけで拍手されてる」
…
アイリンは思わず笑ってしまった。
…
式が終わると、講堂は一気に騒がしくなる。
花束。
写真。
家族。
感情が、あちこちで爆発していた。
…
その中で、ダイレンはすぐ彼女を見つけた。
いつもみたいに。
…
「いた」
やわらかく言う。
アイリンが顔を上げる。
その瞬間——
世界が少し小さくなる。
静かで。
安全で。
やさしい。
…
「頑張ったな」
彼の声には、あの変わらない確信があった。
アイリンはまだ、それに慣れない。
…
「ダイレンもね」
彼は笑う。
「いや。今日の主役はお前だろ」
…
オスクリタが盛大にうめく。
「無理」
顔を覆う。
「感情の純度が高すぎる」
…
ダイレンは笑いながら、アイリンを抱きしめた。
その瞬間だけ——
周りの音が遠くなる。
…
不安が消えたわけじゃない。
恐怖がなくなったわけでもない。
でも、少なくとも今は——
それに支配されていなかった。
…
ダイレンが少し離れて、彼女を見る。
「大丈夫?」
…
アイリンは少し考える。
反射じゃなく。
防御でもなく。
ちゃんと、自分に聞く。
…
そして——
「うん」
小さく笑う。
「大丈夫」
…
今回は、本当に。
…
心の中で、オスクリタが suspicious に目を細める。
「……なんか落ち着かないわね」
…
アイリンはまた笑った。
今度は、もっと自然に。
…
人混みの向こう。
アイリンは一度だけステージを振り返る。
昔の自分なら、怖くて立てなかった場所。
見られることが怖かった頃の自分。
…
オスクリタも静かにその方向を見る。
それから腕を組んだ。
…
「まあ」
小さく言う。
「私はまだ、“癒やし”ってやつ信用してないけど」
…
アイリンは笑う。
「知ってる」
少し静かな間。
でも、今度の沈黙はあたたかかった。
…
「でも」
オスクリタが渋々続ける。
「前よりは、ちょっとマシそう」
…
アイリンは吹き出した。
「それ、褒めてる?」
「慣れないで」
即答。
…
そして——
少女と影は、
騒がしい未来のほうへ歩いていった。
次に何が待っているのかも分からないまま。




