表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/22

「もう乗り越えたって、言ってなかった?」

ダイレンは、一年前に卒業していた。

アンドレアも。

それなのに、大学では今でも二人の名前が普通に話題に上がる。

特に——ダイレン。

最初は、少し楽になると思っていた。

ダイレンが毎日キャンパスにいない生活。

最後の一年は、もっと静かになるはずだった。

アイリンは授業に集中した。

バレー。

課題。

締め切り。

眠れない夜。

ほかの学生たちと同じように、卒業までなんとか生き延びようとしていた。

でも、ダイレンは時々大学に来た。

そして、そのたびに——

空気が変わる。

彼は、少し変わっていた。

大人っぽくなった。

派手じゃない。

ただ——自然に落ち着いた感じ。

いい仕事。

車。

前より洗練された服装。

昔みたいに“目立とう”としていないのに、

なぜか、前よりずっと目立ってしまう。

チアリーダーたちは、彼が体育館の近くに現れるたびすぐ気づいた。

特にヴィヴィアンは。

彼女もまだ大学に残っていた。

アイリンと同じ、最後の一年。

相変わらず綺麗で、

遠くから見ると完璧で、

そして——相変わらず見ていた。

「ほんと謎なんだけど」

練習中、誰かが小さく言った。

でも、聞こえないほど小さくはなかった。

「なんでダイレン、あの子なの?」

笑い声。

「もっと可愛い子、いくらでもいるじゃん」

「静かな子が好きなんじゃない?」

「静かっていうか、ほとんど喋らなくない?」

「そこじゃない?」

アイリンは聞こえていないふりをした。

ストレッチを続ける。

でも、体育館の光が急に眩しく感じる。

心の中で、オスクリタがゆっくりサングラスを下げた。

「ああ、出た」

落ち着いた声。

「人類伝統芸能、“見えない傷はノーカウント”」

別の声が続く。

「あの子、普通すぎるんだよね」

悪意は強くない。

だからこそ、刺さる。

オスクリタが首をかしげる。

「面白いわね」

アイリンは床を見たまま。

「何が」

「“普通”って言葉って、だいたい“無視されるのが怖い人”が使うのよ」

ホイッスルが鳴る。

練習再開。

跳ぶ。

打つ。

ブロック。

呼吸。

考えない。

でも、その日の午後。

ダイレンが体育館に現れた。

そしていつものように——

空気が変わる。

女の子たちが姿勢を直す。

笑い声が大きくなる。

通り過ぎる人まで、つい彼を見る。

アイリンは、自分の胸まで反応したことが嫌だった。

もう、ダイレンを疑っているわけじゃない。

問題はそこじゃない。

問題は、

どうして“あんな人”が、自分を選ぶのか。

まだ時々、分からなくなること。

ダイレンはすぐに彼女を見つけた。

当然みたいに。

その表情が、少し柔らかくなる。

それだけで、まだ正常に思考できなくなる自分が悔しい。

彼はまっすぐ彼女のほうへ歩いてくる。

周りじゃなく。

彼女へ。

「よう」

「……やあ」

ダイレンは自然に彼女の額へキスした。

まるで当たり前みたいに。

その瞬間、後ろで小さな悲鳴みたいなざわめきが起きる。

オスクリタが遠い目をした。

「はいはい」

疲れた声。

「観客、再集合」

ダイレンはすぐ気づいた。

アイリンの空気が少し変わったことに。

「大丈夫?」

「うん」

即答。

速すぎる。

彼の目が少し細くなる。

疑っているわけじゃない。

心配している。

それが余計につらい。

「ほんとに?」

アイリンはもう一度うなずく。

「大丈夫」

オスクリタがじっと見る。

そして、ゆっくり。

「興味深いわね」

アイリンはその声を知っている。

「今の、“感情崩壊直前モード”の声よ」

ダイレンはやさしく彼女の手を握った。

あたたかい。

落ち着く。

本物。

「会いたかった」

彼が静かに言う。

それだけで——

胸の奥がまたやわらかくなる。

正直、少しずるい。

卒業式のリハーサル中。

アイリンは、向こうからヴィヴィアンがこちらを見ていることに気づいた。

怒っているわけじゃない。

劇的でもない。

ただ——理解できない顔。

どうしてダイレンが、何度もアイリンを選ぶのか。

本気で分からないみたいに。

そして、一番苦しかったのは——

時々、アイリン自身も分からなくなることだった。

卒業式当日。

講堂はざわついていた。

カメラ。

花束。

緊張した笑い声。

アイリンは震える指でガウンを整える。

ダイレンが隣で、少し曲がった袖を直してくれた。

「今日、すごく綺麗」

彼が小さく言う。

アイリンは、止める前に笑ってしまった。

オスクリタが盛大にうめく。

「はい出た」

胸に手を当てる。

「仕事できるイケメン彼氏、再び」

アイリンは笑いそうになる。

でも、その瞬間——

「ダイレン!」

後ろから女の子たちが駆け寄ってくる。

笑顔。

スマホ。

近い距離。

「写真いい?」

「やば、さらにかっこよくなってない?」

「もう昇進したってほんと?」

その瞬間。

来た。

あの感覚。

もう終わったと思っていたやつ。

アイリンの手が、少しだけ離れる。

ほんの少し。

でも——

ダイレンは気づいた。

すぐに。

彼は女の子たちより先に、振り返る。

そして自然に、

もう一度、彼女の手を握った。

今度は、はっきりと。

「アイリン」

彼の声は静かだった。

目がまっすぐ彼女を見る。

周りの音が、少し遠くなる。

「そんなの、どうでもいいって分かってるだろ?」

アイリンは固まる。

信じていないわけじゃない。

もう、それは問題じゃない。

問題なのは、

傷がまだ残っていることだった。

心の中で、オスクリタが静かに見ている。

今回は、冗談を言わない。

そして、小さく。

「もう乗り越えたって、言ってなかった?」

アイリンは息を飲む。

胸が少し締まる。

壊れるほどじゃない。

でも、思い出すには十分だった。

「それなのに」

オスクリタが静かに続ける。

「……またここにいる」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ