感情の否認、検出中。それでも進行します
噂が広がるのに、時間はかからなかった。
だいたい、こういうものは早い。
週の終わりには、みんな知っていた。
アイリンとダイレン。
いつの間にか。
…
静かに始まったものだった。
計画もなく、
確信もなく、
気づけば形になっていた。
もう、なかったことにはできないくらいに。
…
外から見れば、すごく自然だった。
アイリンは優しくて、少し控えめ。
ダイレンは明るくて、人に好かれるタイプ。
並ぶと、妙にしっくりくる。
……しっくりきすぎるくらいに。
…
心の中で、オスクリタが観察している。
「はい、おめでとうございます」
少し感心したみたいに言う。
「正式に“公開フェーズ”突入です。非常口はありませんのでご了承ください」
「分かってる」
アイリンが小さく答える。
「素晴らしいわね」
オスクリタは続ける。
「自覚のある悪い選択ほど、見てて面白いものないのよ」
…
最初の数週間は、驚くほど穏やかだった。
むしろ、不自然なくらいに。
ダイレンはちゃんとそばにいた。
やさしくて、自然で、無理がない。
彼といる時間は、重くならない。
ただ、落ち着いた。
…
だからこそ——
小さなひびが目立ち始める。
大きなことじゃない。
ドラマみたいな事件でもない。
本当に些細なもの。
…
他の女の子を見る視線。
意味なんてない一言。
なのに、妙に気になる。
…
心の中で、オスクリタがのんびり伸びをする。
「おやおや」
楽しそうな声。
「またセンターステージ復帰ですか。もう出番終わったかと思ってた」
「今、その気分じゃない」
アイリンが小さくつぶやく。
「へえ?」
オスクリタは笑う。
「でも今の顔、“全然気にしてません”って感じじゃなかったわよ?」
少し間。
「感情の否認、検出」
…
アイリンは視線をそらす。
「ちょっと不安なだけ」
オスクリタが吹き出す。
「違うわね」
肩をすくめる。
「それ、“姿勢のいいパニック”よ。非常にあなたらしい」
…
アイリンは、別のことに集中しようとした。
授業。
会話。
安心できそうなもの。
でも、長くは続かない。
…
「見て」
オスクリタが気軽に言う。
「また笑ってる。社交的。魅力的。非常に——」
「分かったから」
アイリンが遮る。
…
オスクリタは首をかしげる。
「ほんとに?」
少し笑う。
「気にしてないフリ、かなり上手よ。“精神的に成熟した彼女”って感じ。感動するわ」
…
アイリンは何も言わなかった。
言い返しても意味がない。
だから、やり方を変えた。
もっと笑う。
言葉を減らす。
違和感を飲み込む。
それが“大人になる”ことだと思おうとした。
…
心の中で、オスクリタがゆっくり拍手する。
「素晴らしい戦略」
「このままいけば、キャンパス一理解ある彼女になれるわね」
少し間。
「あと、たぶん一番疲れてる」
…
「みんなが、歩く皮肉みたいに生きてるわけじゃないの」
アイリンが小さく言う。
オスクリタは胸に手を当てた。
「もちろんよ」
真顔。
「慢性的自己不信という芸術を愛する人もいるもの」
…
時間は過ぎていった。
そしてアイリンは、自分に証明しようとしていた。
大丈夫だって。
ちゃんと足りているって。
これは複雑にならないって。
…
その頃、学内の作文コンテストが発表された。
テーマは——
『芸術による自己成長』
…
オスクリタが眉を上げる。
「へえ。ついに私を書く気になった?」
腕を組む。
「共同作者としてクレジット希望なんだけど」
「主役はあなたじゃない」
アイリンが言う。
…
オスクリタは薄く笑う。
「何年もあなたの思考に住んでるのよ?」
「貢献度を軽く見ないでほしいわね」
…
それでも、アイリンは書いた。
そして——何かが変わった。
今回は、不安から言葉を書いていなかった。
もっと静かで、
もっと安定した場所から。
…
優勝したとき。
それは“運がよかった”感じじゃなかった。
ちゃんと、自分で掴んだ感じだった。
…
「おやおや」
オスクリタが言う。
「優勝者じゃない」
少し考える。
「スピーチ期待してるわよ。“私の不安へ。長年の協力に感謝します”って」
…
アイリンは笑った。
「全部あなたのおかげじゃない」
「もちろん」
オスクリタは即答する。
「私はただ、あなたの人格の半分を建設しただけ」
…
あとで、ダイレンが彼女を抱きしめた。
「できると思ってた」
静かな声。
「誇りに思う」
…
そして初めて。
アイリンは、その言葉を“必要だから”じゃなく、自然に信じられた。
…
その夜。
ノートを開いたまま座っていると、世界が少し静かだった。
空っぽじゃない。
ただ——澄んでいる。
…
オスクリタが隣に現れる。
少しだけ穏やかだった。
前ほど鋭くない。
…
「ねえ」
アイリンが見る。
「そんなに悪くなかった」
「コンテスト?」
「違う」
オスクリタは言う。
「今のあなたを見るの。……なんか、不思議」
…
アイリンは笑う。
「じゃあ少し休めば?」
オスクリタは鼻で笑う。
「無理」
「私が消えたら、あなた安心し始めるじゃない」
少し間。
「で、そういう時ほど人間は危ないのよ」
…
アイリンは小さく笑った。
「そのうち、自分でちゃんと本音言えるようになるかも」
…
オスクリタは首をかしげる。
「それは新機能ね」
口元が少しだけ上がる。
「まあ、念のため近くにはいるけど」
…
数日後。
ダイレンが、一緒に歩こうと言った。
急ぐ感じでもなく。
騒がしくもなく。
夕暮れのキャンパスを、ただ歩く。
…
アイリンはすぐに感じた。
あの感覚。
期待。
緊張。
もっと深い何か。
…
心の中で、オスクリタは静かに隣にいた。
見ている。
でも、邪魔はしない。
…
二人は、小さな庭園の前で立ち止まった。
隠れるための雑音もない。
気を逸らすものもない。
…
「アイリン……」
ダイレンが静かに言う。
彼女は彼を見る。
「なに?」
…
「どう言えばいいのか、ずっと考えてた」
心臓が速くなる。
…
オスクリタが小さくつぶやく。
「……これは、ちょっと面白そう」
…
ダイレンが少し近づく。
慎重に。
やさしく。
…
「難しく考えたくない」
彼は言う。
「ただ……お前から離れたくないんだ」
…
その正直さが、一番強く響いた。
…
アイリンは後ろに下がらなかった。
疑わなかった。
分析もしなかった。
…
初めて。
ただ、選んだ。
…
ダイレンが近づいたとき、彼女は止めなかった。
キスはやわらかかった。
少し不器用で。
でも、本物だった。
…
そして初めて——
オスクリタは邪魔をしなかった。
…
キスが終わると、ダイレンは額をそっと彼女に寄せた。
「思ってたより、ずっと大事だった」
静かな声。
…
アイリンは一気に全部を感じる。
嬉しさ。
怖さ。
安心。
…
心の中で、オスクリタが少し後ろへ下がる。
消えたわけじゃない。
負けたわけでもない。
ただ——静かになった。
…
「へえ……」
少し考えるように言う。
「これは、新しいわね」
…
アイリンは笑った。
初めて——
痛くなかったから。
そして、たぶん。
だからこそ、特別だった。




