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私的徒然草  作者: 半信半疑
116/117

116 水着 と 下着 に ついて

 今回は2000字を200文字ばかりオーバーしています。

 夏といえば海。

 そして、海といえば? そう、水着である。


 青い海、白い砂浜、駆ける水着の女の子。

 まるで三種の神器のように語ってしまえるほど、夏の海にはお決まりのイメージがある。それは私たちが勝手に作り上げたイメージではあるけれど、そういうイメージが与える影響は馬鹿にできない。事実、「海」「水着」という単語からイメージするのはそういうイメージだ。褌やブーメランパンツのムキムキマッチョメンをイメージするのは……居たとしても少数派だろう。自分が望んでいる幻想をイメージするのは、普通のことだ。


 ところで(というか本題なのだが)、読者の皆さんは「水着と下着の違い」について、深く考えたことがあるだろうか? 男性のそれではなく、女性の水着と下着の話だ。


 私は最近、某運命GOアプリのイベントで見目麗しい女性サーヴァントを見ている時に、「水着と下着の違いって何だろう……」と疑問に思った。いや、これについては前々から考えてはいたのだけれど、より強く考えるようになった。

 イベント限定・邪ンヌさんの水着姿を見た人はいるだろうか? 私にはあれが、まんま下着に見える。いや、ビキニなのだろうが、それにしてもハレンチだ(人によっては普通と思われるかもしれないけれど)。


「そんな水着を着て、恥ずかしくないの?」

「水着だから恥ずかしくないのよ!」


 そんな答えが返ってきそう(勝手な想像である)。

 しかし、そういう答えを返す(繰り返すが勝手な想像である)ということはつまり、見た目はほとんど下着であるのにもかかわらず、「水着は下着にあらず」という強い認識が働いているに違いない。


 ではなぜ、こういった「水着は下着にあらず」現象が起こるのか。私はこれに、水着と下着の違いに関する三つの点を挙げ、原因について考えていきたい。


 まず一つ目は、言葉の違いである。

「物事に名前を付ける」という行為は非常に重要であり、その違い(あるいは共通点)も認識しやすいと思う。

「水着」と「下着」は、見て分かる通り、どちらも「着」という漢字が入っている。これは、両者が「着るもの」であるということを指すだろう。となると、違いは「水」と「下」ということになる。

 水着は「水」場で着るもので、下着は服の「下」に着るもの。この考え方でほぼ間違いないと思う。


 二つ目は、役割の違いである。つまりは「何のために使うのか」だ。

 先ほど少しふれたけれど、水着は水場で着るものであり(コスプレを除く)、水に濡れることを前提に作られている。競技用やフィットネス用、遊戯用などの違いはあるだろうけれど、水と接するということに変わりはない。普段の服のままでは差し支えるため、邪魔な服を脱ぎ捨てて水着を着るのである。

 対して、下着には「大切な部分の保護」「吸汗」「発育補正」など様々な役割がある。そんな下着だけれど、日本で普及したのはとある火災がきっかけだ。昭和7年に起きた日本橋の百貨店・白木屋の火災をご存じだろうか? この火災の避難時、女性の着物が熱風で煽られ、足の付け根が見えるほどに裾がめくれてしまったらしい。着物の下はお察しであるため、女性は恥ずかしさを感じて着物の裾を押さえようとする。しかし、そのせいで数名の女性はロープから手を離し、命を落としてしまったという。これにより、「普段から下着を身に着けるべき」という声が広まっていったそうだ。

 つまり、私たち日本人は、大事な部分を人の目から隠すというのを下着の主な役割として認識しているのだろう。他にいくつか役割があっても、広まっていく理由が「恥ずかしくないように」なので、他の役割では主役になれない。


 三つ目は、着る場所の違いである。

 水着と下着を着る場所は、はっきりと分かれている。水着は水場、下着は陸上である。別の言い方をするなら、水着は非日常で下着は日常ということになる(私たち人は陸上で生活する生き物だからね)。

 日常は続いていくもので、非日常は一時的なものだ。続いていくからこそ隠すべきものがあり、一時的なものだからこそ開放的になる部分があるのではないか、私はそう考える。生活の場では、良好な人間関係を築くため、服装に気を付けることも必要だ。下着姿で外を歩くなど、できはしない。しかし、これが水着で場所が海ならば? そう、恥ずかしさというものが半減し、外で下着同然の姿になっても大丈夫になるのだ。


 今回のまとめ。

 下着は普段、「服の下」に隠れている。これにより、下着は隠されるべき物という考えが私たちの意識に生まれているのかもしれない。逆に、水着は隠そうという意識がなく、むしろ服としてみなされているような節がある。

「水着は下着にあらず」現象は、私たち個々の意識(あるいは社会的な認識)が生み出したものと言えるのではないか。ということはつまり、水着が「服」として確立され、日常的に着ることが普通になってしまうこともあるということだ。……まぁ、可能性は限りなく低いだろうけれど。むしろそういうことはない方が良いと私は思う。だって、水着が日常的になったら、見れる喜びというものが減るじゃない? やっぱり、デザートは主食にすべきじゃないのよ。デザートはデザートだから美味しいのだし。


 まぁどちらにしても、水着も下着も、裸を守る最後の砦であることに変わりない。「恥ずかしさの度合いは異なるのに、根っこの部分は同じなんだなー」ということで、今回の話を終わろうと思う。


 なお、下着界の異端児「見せパン」については例外とする。


◯参考HP

・livedoor NEWSー昔と現代でパンツの役割とはきっと違う? 意外と古いパンツの歴史

http://news.livedoor.com/article/detail/11453794/


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