115 まるい に ついて
「まるい」というのは、形に関する形容詞だ。川辺の石を見て、「あの石は丸いなぁ」とか言ったりする。泥だんごを作った時に、「きれいに丸くできてるだろう」と言ったりもする。
しかし、なにも物体だけに使われる言葉というわけではない。他人への態度が軟化した人に対して、「あの人、何だか丸くなったな」という風に使うこともある。
こうして例を挙げてみると、「丸い」は割と幅広く使うことのできる言葉のようだ。
「丸い月」とは満月のことだが、欠けのない様を「丸い」と表現するのは面白い。単純な表現だが、その表現の違いによって受け取り方も変わってくるだろうし、多様な表現は文章に広がりを与えてくれる。
また、欠けている状態を「新月」とか「三日月」とか言い表すのは、なお面白く感じる。「欠けた月」も悪くはないけれども、工夫を凝らした表現は雅なものだ。比喩に力を入れ過ぎて、言葉を空虚なものにしてはいけないが、ぴたりとはまった表現はいくらあっても困らない。
満月以外で「丸い」を内包した言葉の一つには、「玉」がある。球形をしたもの一般に使われる言葉だ。「玉」は象形文字で、『三つのたまを縦のひもで貫きとおした形にかたどり、たまの意味を表す』(『新漢語林』)らしい。余談だが、「玉」を使った難読漢字には「玉響・玉筋魚・玉梓・玉章・玉蜀黍・玉生・玉来」などがある。私は中でも、少しの間という意味合いで使われる「玉響」が好きだ。
「玉と言えば丸いもの」、そういう図式は生活の中でいつの間にか形成されていた。実物の玉を見て、つまり、球体である何かを見て、そのイメージが刷り込まれていったのだろうと思う。具体的な経験を挙げることはできないが、ビー玉に並々ならぬ興味は持っているので、おそらくあのガラス玉が私のイメージ形成に一役買っているものだと思う。
ビー玉のような球形ではないが、丸いものの思い出が一つある。「餅つき」だ。毎年年の瀬には、実家で餅つきをしていた。まぁ、餅つきといっても、機械がつきあげた餅を手で丸くするだけの作業だ。さして難しくもない。あの、餅を肉まんみたいに丸くする行為が何となく好きだった。祖母や母が丸める餅は見事な丸みを帯びていて、私も同じようにするのだけれど、出来上がるのはいつも、不格好な形をした餅だった。
そういえば、味に関しても「丸い」と似たような言葉があった。それは、「円やか」だ。口あたりが柔らかいさまや、味が穏やかなさまを表現する。
私は、カレーやシチューなどのルーによく使われているような印象がある。もっとも、激辛カレーについては、舌を刺すような刺激が待っているので、円やかとは到底言えそうにもない。口あたりだけ柔らかでも、味が穏やかでないのだ。あぁ、だから、「口あたり」が円やかという付け足した表現をするのだろう。
円やか円やかと「円」にふれているうちに、「丸」との違いが気になったので調べてみると、次のようなことが分かった。
・[丸]立体的にまるい。「丸い屋根」
・[円]平面的にまるい。「円いテーブル」
―出典:『新漢語林』
立体的であるか、平面的であるか。この基準によって、漢字を使い分ける必要がある。
つまり、さきほどの餅を「丸」くした思い出は、「円」くした思い出だった。いや、確かに「丸」めてはいたが、最終的には平べったい形にしていたので、「円」が合っているだろう。
また、このエッセイの始めの方に例として書いた「あの人、何だか丸くなったな」は、「まるい」と書くのが適当らしい。円満の意や完全・すっかりの意の場合はそうする決まりのようだ。
同じ読みを持つ漢字の使い分けは中々難しいなと、そう思った。もしかすると、別の言葉でもきちんと理解していないものがあるかもしれない。「優しい」と「易しい」の使い分けはできるが、同じ読みの漢字はこの他にも多数存在する。
今までもだがこれからも、文章を書く際に不安がある場合はしっかり調べようと思う。




