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歪み

当時皇太子だったカルロスは、時々お忍びで神殿に訪れていた。

要領のいい弟と比べられ叱咤されるのが嫌で、執務から逃げていたのだ。

彼は、神殿で祈りを捧げた後、決まって裏庭で昼寝をしていた。


裏庭の掃除を任されていたミューラは、気付かれないように彼の顔を覗きこむのが習慣になっていた。


ある日、カルロスは急に目を開いて、覗きこんだミューラの手を引っ張った。

ミューラは、カルロスに覆い被さるように倒れてしまう。


「あ、ごめんなさい」


「お前は、人の寝顔を覗きこむのが趣味なのか?」

カルロスの両手が、ミューラの頬を挟む。


「むぅ……趣味じゃないです。ただ、あなたが綺麗だったから……」


「ふっ、そんなに暇なら俺と付き合えよ」


「……別に少しなら付き合いますけど?」


その瞬間、カルロスの唇がミューラの唇に重なった。


「な、何をするんですか!?」

ミューラは顔を真っ赤にして慌てて飛び退いた。


「俺と付き合うって言ったじゃないか。まさか、話し相手になれって意味だと思った? 愛人になれって意味だったんだけど」


強引で女性慣れした美男子は、恋愛経験のないミューラには、とても魅力的に思えた。

アプローチを受ける度に、心は奪われていく。

2人が深い関係になるまでに、それほど時間はかからなかった。


しばらくして、皇太子であることを打ち明けられた時には、飛び上がって喜んだ。

皇居の近くに家を用意してもらい、今まで以上に一緒に過ごす時間が増えていった。


だから、期待してしまった。自分が皇后として召し上げられることも、夢じゃないかもと。皇后は無理だとしても、第二夫人ぐらいにはなれるだろうと。


妊娠が発覚し、興奮しながらカルロスに告げた時、カルロスが見せたのは笑顔ではなくしかめ面だった。

そして、数日後、逃げるように別の女性と共に失踪してしまった。


ミューラは、子供を産む決意をした。

いつか、カルロスが戻ってくるかもしれないという期待を持ちながら。


しかし、カルロスは数ヶ月経っても戻ってこなかった。

そして、皇帝の突然の病死により、失踪中のカルロスの代わりに弟のルシードが皇位を引き継ぐことになった。


新しい皇帝のルシードは、国民に大歓迎された。

町には、噂話が飛び交っていた。


「ルシード陛下は、有能で思いやりのあるお方だ。カルロス殿下とはまるで違う」


「皇后のリリアン様は、平民出身の元文官で、大変優秀な方らしいわよ? 貴族令嬢との政略結婚ではなく、愛する人と想いあって結ばれるなんて、素敵だわ」


「第一皇子のルシアン殿下は、まだ4歳になったばかりなのに、既に5カ国語を操り、周りへの気遣いも完璧だと聞いた。将来が楽しみだ」


「皇后様のお腹の中には、2人目のお子様もいらっしゃるよな。本当……絵に描いたような幸せなご家族だよ」


ミューラは、この頃から黒い感情に支配され始めた。


カルロスが得るはずだった皇帝の座を奪い取ったルシード。

自分が手に入れられなかった幸せを、簡単に手に入れたリリアン。

両親に愛されて苦労一つ知らずに育っているルシアン。

自分の子と同じ時期に生まれてくる第二皇子。


お腹が大きくなるにつれて、妬ましい気持ちが膨れ上がっていった。


出産は、誰にも知らせず一人で行った。

産後は、さすがに苦しくて幼少期の友人に助けを求めたこともあったけれど……。


生まれて間もない我が子に、母と父の名をとってミュロスと名付けた。

2人でいる時間は幸せで、人を羨む気持ちも忘れられた。


しかし、カルロスが残していった金が少なくなっていくにつれて、不安は募っていった。

働きたくても、赤ん坊を抱えた女を雇ってくれる場所はない。

仕方なく、生まれ育った神殿の施設に相談しにいくことにした。


ミュロスを抱えてたどり着いた神殿には、人だかりができていた。

ちょうどその日に、皇帝の第二子として生まれたドルシン殿下の聖誕の儀が開かれていたからだ。

生後100日に神への祈りを捧げるその儀式は、初めて公に皇子を披露する場でもある。


初めて披露されたリリアンの第二子を目にして、ミューラは驚愕した。髪も目も鼻も、自分が産んだ子供とそっくりだったからだ。血の繋がった従兄弟なのだから、多少似ていても不思議ではないが……。


幸せそうに手を振る一家は、自分たちとはまるで違う。


ミューラの中の黒い悪魔が囁いた。

あそこにいるべきなのは、自分の息子の方だ。

これだけそっくりなら……すり替えても、きっと気付かれない。


ミューラには、ルシアンの聖誕の儀を手伝った過去がある。その頃はまだカルロスと出会う前で、高貴な皇族の儀式を手伝えることに、誇りすら感じていた。


神殿には、普段より厳重な警備体制が引かれている。


しかし、ミューラは唯一警備が手薄になる時間を知っていた。

儀式の終盤、祈りの間での祈祷の際だけは、剣を持った騎士や警備隊は敷地内に近づけない。参列しているのは神殿関係者だけだ。


神官が祭壇に背を向けて祝福の言葉を読み上げている5分余り、祈りの間にいるすべての者が目を閉じて祈りを捧げる。その間、赤子は、儀式用の白い衣をまとい、祭壇に作られた寝台に寝かされる。途中で泣いてしまっても誰も触れてはいけない。


ミューラは、予備として控室に置かれていた儀式服を我が子に着せ、裏口から祭壇の裏面へ潜り込んだ。

そして、全員が目を閉じて祈りを捧げていることを確認し、ミュロスとドルシンをすり替えた。


2人の赤子は、泣き声ひとつあげなかった。


儀式の終了と共に、祭壇に寝かされていたミュロスは、リリアンに抱えられ祈りの間を出て行った。


ミューラは裏口からコソコソと逃げ出した。


小さな家に戻ってきた時には、本物のドルシンをミュロスとして育てていくつもりだった。

しかし、リリアンの息子は、見た目こそミュロスとそっくりだったが、自分を見ても甘えてこない。むしろ、すべてを悟ったような冷めた目で見てくる。

こんな子のために、自分が苦労する必要はない……。


自分は本物のミュロスのために生きたい。

ちょうど世話係を募集していたから、試験を受けてみよう。

あの子なら、私に甘えてくれるはずだから。


しかし、赤子を連れて皇居で働くことはできない。

どう考えても、答えは一つだった。


ミューラは、本物のドルシンをヴァロアとの国境にある山に置き去りにした。

泣き声が聞こえてきたが、耳を塞いだ。


運が良ければ、登山客が見つけて施設に届けてくれるかもしれない。

運が悪ければ、飢え死にするか、猛獣に食べられてしまうかもしれない。

ミューラにとっては、そんなことはどうでも良かった。


ーー


黙って話を聞いていたリリアンが両手で顔を覆って泣き崩れた。


信頼していた侍女に裏切られていたこと。

自分が産んだ息子が、山に捨てられていたこと。

すり替えられていることに全く気がついていなかったこと……

全てがショックだった。


ルシードが目の前のテーブルを強く叩いた。


「ミューラ。お前がやったことは、どんな理由があろうとも決して許されることではない。極刑は覚悟しておけ!」


廊下の捜査員を呼ぶために手を叩こうとしたその瞬間、ミューラが立ち上がった。


「逃げるつもりはありません。どんな刑も受ける覚悟で真実を話しました。ルシアン殿下を山に置き去りにさせたのも私です。最近、ドルシン殿下……ミュロスが、無能な皇子で、ルシアン殿下とは雲泥の差だと噂されているのを聞いて腹が立って……痛い目に合わせてやりたくなったんです。例え、運悪く死んでしまったとしても、ツキームの嘘に騙されたルシアン殿下の自業自得だからと……」


「ミューラ、あなた最低ね!」

リリアンは、苛立ちを隠せない。


ルシアンは、冷静にミューラに告げる。

「あなたが弟に見せていた愛情は、やはり本物だったんですね。しかし、あなたの考えは歪み切っている。誰かの不幸を踏み台にして得られる幸せなど、弟は最初から望んじゃいない」


ドルシンは、立ち上がりミューラの前に立った。

「僕は、あなたを母親だなんて思わない。あなたは、ただの犯罪者だ。罪をしっかり償ってくれ」

そう言うと、割れ物に触れるようにそっと抱きしめた。

言葉では冷たく突き放しながらも、抱きしめる手は温かい。

幼い頃から慕っていた世話係とのお別れに、複雑な思いがあるのだろう。

ミューラは唖然として、溢れてくる涙を拭うことが出来なかった。


ドルシンが離れると、ミューラは、まっすぐに扉に向かった。そして数秒立ち止まった後、振り返ることなく扉の前に待機する捜査員の元へ進み出た。


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