第9話「酒太り」
金曜日。
午後六時三十分。
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河合町の空は薄暗くなり始めていた。
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ナオトは仕事を終え、駐車場へ向かう。
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ポケットにはスマホ。
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机の引き出しには資格の本。
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自宅には結婚式の招待状。
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だが向かう先は、いつもの居酒屋だった。
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車を走らせながら、自分でも苦笑する。
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「結局か」
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何度も変わろうと思った。
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しかし気付けば同じ場所へ向かっている。
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まるで磁石に引っ張られているみたいだった。
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居酒屋の暖簾をくぐる。
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「おう!」
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ケンジの声が響く。
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既に全員揃っていた。
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タカシ。
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シンジ。
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ユウスケ。
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アキラ。
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そしてケンジ。
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変わらない顔ぶれ。
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変わらない席。
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変わらない金曜日。
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しかし変わったものもあった。
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体型だった。
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「お前また太ったやろ」
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タカシが笑う。
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ケンジが腹を叩く。
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「うるさいわ」
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ジョッキが揺れる。
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全員が笑う。
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だが笑いながらも、
誰も否定できない。
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三十五歳になった彼らは、
全員太っていた。
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学生時代の写真を見ると別人だった。
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細かった。
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顔もシャープだった。
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目に勢いがあった。
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今は違う。
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腹は出ている。
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顔は丸い。
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健康診断では毎年注意が付く。
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それでも誰も変わらない。
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「健康診断どうやった?」
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ナオトが聞く。
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マサルがビールを飲みながら答える。
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「血糖値引っかかった」
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「またか」
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「まぁ大丈夫やろ」
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そう言って唐揚げを口に入れる。
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全員が笑う。
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しかし笑いの中に、
少しだけ不安が混ざっていた。
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マサルは毎年悪化している。
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医者からも言われている。
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酒を減らせ。
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体重を落とせ。
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運動しろ。
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だが本人は聞かない。
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「酒やめたら人生終わりや」
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それが口癖だった。
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タカシが言う。
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「俺も尿酸値ヤバかったわ」
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「痛風なるぞ」
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「その時考える」
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また笑い。
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また酒。
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また同じ会話。
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ナオトはジョッキを見つめる。
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その中の泡が消えていく。
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ふと思う。
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いつからこうなったのだろう。
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若い頃は、
酒を飲むことが楽しかった。
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仲間と集まることが楽しかった。
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しかし今は違う。
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楽しいというより、
やめられない。
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そんな感覚だった。
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アキラが突然言う。
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「高校の時さ」
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全員が見る。
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「俺らもっと格好良かったよな」
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タカシが吹き出す。
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「それは間違いない」
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ケンジも笑う。
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「写真見たらびっくりするわ」
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ユウスケがスマホを取り出す。
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成人式の写真だった。
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十数年前。
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全員若い。
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全員細い。
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全員未来を信じている顔をしている。
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店の空気が少し静かになる。
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誰も口にしない。
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しかし全員思っていた。
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戻れない。
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もう戻れない。
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その現実を。
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ケンジが無理やり笑う。
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「まぁ今の方が貫禄あるやろ」
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笑いが起きる。
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だが長続きしない。
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その時だった。
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店の入口が開く。
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若い男女のグループが入ってくる。
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二十代前半くらい。
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楽しそうに笑っている。
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将来の話。
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仕事の話。
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恋人の話。
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聞こえてくる声は明るかった。
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河合町ソールズのテーブルだけが、
少し違う時間を生きているように見えた。
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ナオトは目を逸らす。
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見たくなかった。
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若さではない。
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可能性だった。
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自分たちにもあったはずのもの。
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そして少しずつ失ってきたもの。
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ケンジがビールを飲み干す。
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「次行くか」
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またその言葉。
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誰も反対しない。
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時計は午後十時。
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まだ夜は長い。
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彼らは立ち上がる。
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そして気付かない。
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この「まだ大丈夫」という感覚こそが、
後に全員を破滅へ導く最初の病だったことを。
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第10話「見えない借金」へ続く。




