第10話「見えない借金」
「次行くか。」
ケンジの一言で、いつものように会計が始まる。
誰がいくら払ったかは曖昧だ。
細かく割り勘をする者もいない。
足りない分は誰かが出す。
次回になれば逆になる。
そう思っている。
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しかし実際は違った。
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タカシは財布を開く。
中には一万円札が一枚。
千円札が二枚。
小銭少々。
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給料日からまだ十日しか経っていない。
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ケンジが聞く。
「どうした?」
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「いや、別に」
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タカシは笑う。
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笑うしかない。
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カードの支払いがある。
車のローンがある。
スマホ代がある。
パチンコで負けた金もある。
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そして誰にも言っていないものがあった。
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消費者金融。
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借入額三十万円。
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最初は五万円だった。
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パチンコで負けた穴埋め。
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次は飲み代。
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その次は車検。
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気付けば膨らんでいた。
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「まぁ何とかなる。」
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タカシはいつもそう考えていた。
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実際、今までは何とかなってきた。
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だから今回も何とかなると思っている。
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思い込んでいる。
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店を出る。
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夜風が少し冷たい。
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六月の終わり。
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湿気を含んだ空気が肌にまとわりつく。
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ケンジが先頭を歩く。
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後ろに皆が続く。
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まるで学生時代のままだ。
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しかし違う。
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学生は未来へ向かって歩く。
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彼らは同じ場所を回っているだけだった。
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コンビニへ入る。
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酒を買う。
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誰かの家へ行く流れになった。
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「朝までやろうぜ。」
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タカシが言う。
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誰も反対しない。
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ナオトだけが時計を見る。
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午後十一時四十分。
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明日は土曜日。
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だから問題ない。
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その考え方が、いつの間にか当たり前になっていた。
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コンビニを出る。
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その時だった。
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店の前で若い夫婦が子供を抱いて歩いていた。
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三歳くらいだろうか。
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父親の肩に乗って笑っている。
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母親も笑っている。
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普通の光景。
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しかしナオトは目で追ってしまう。
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タカシも見ていた。
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ユウスケも。
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アキラも。
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誰も何も言わない。
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言葉にすると苦しくなるからだ。
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ケンジだけが笑う。
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「俺らにはまだ早いな。」
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全員が笑う。
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だが、その笑いは弱かった。
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三十五歳。
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本当は「まだ早い」年齢ではない。
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むしろ遅いと言われても仕方がない年齢だった。
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アキラがぽつりと言う。
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「俺ら結婚できるんかな。」
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沈黙。
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誰も答えない。
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答えられない。
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その質問は笑い話ではなくなっていた。
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タカシが缶ビールを開ける。
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プシュッという音。
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その音で空気を変えようとする。
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「まぁ、今は自由やし。」
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誰も反論しない。
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しかし誰も本気で同意していない。
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自由。
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その言葉は便利だった。
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現実から目を逸らせる。
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責任を持たなくて済む。
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変わらなくて済む。
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だが本当に自由なのだろうか。
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ナオトは思う。
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金曜は飲む。
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土曜はパチンコ。
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日曜は二日酔い。
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月曜は仕事。
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そしてまた金曜。
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それは自由ではなく、
決まったレールなのではないか。
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誰も強制していない。
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しかし誰も降りられない。
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そんなレール。
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深夜一時。
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アキラのアパート。
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男たちは床に座り込み、
缶ビールを並べる。
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テレビではバラエティ番組が流れている。
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誰も真面目に見ていない。
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会話も途切れ途切れになる。
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酔いが回っている。
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疲れも出ている。
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だが帰ろうとはしない。
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帰ると現実が待っているからだ。
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その時、
タカシのスマホが震えた。
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画面を見る。
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知らない番号。
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しかし誰からかは分かっている。
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支払い催促だ。
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タカシは無言で画面を伏せる。
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ケンジが聞く。
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「出んの?」
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「営業やろ。」
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嘘だった。
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だが誰も追及しない。
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追及されたくないことは、
皆それぞれ持っていた。
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ナオトはその様子を見ていた。
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タカシの顔色が少しだけ変わったことに気付いていた。
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しかし何も言わない。
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それがこのグループだった。
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助けないわけではない。
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だが踏み込まない。
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だから問題は見えないまま大きくなる。
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借金も。
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病気も。
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孤独も。
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後悔も。
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深夜二時。
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笑い声が響く。
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しかしその笑いの下で、
少しずつ人生が崩れ始めていた。
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そして誰も、
まだその音に気付いていなかった。
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第一章 完
第二章「止まった人生」
第11話「健康診断」へ続く。




