第11話「健康診断」
七月。
梅雨が明け始めた頃だった。
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朝から蒸し暑い。
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ナオトは会社の駐車場で車を降りる。
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胃が重い。
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昨夜も飲んだ。
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特別な理由はない。
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ただ、
ケンジから連絡が来たからだ。
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「少しだけ飲むか」
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その少しだけが、
毎回午前零時を超える。
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気付けば習慣になっていた。
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事務所へ入ると、
机の上に一枚の紙が置かれていた。
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健康診断のお知らせ。
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来週実施。
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ナオトは紙を見る。
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特に気にしない。
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だが隣の席のシンジは違った。
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「あー、嫌やな」
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紙を見ながら苦笑する。
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「また引っかかるやろな」
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「何が?」
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「血圧」
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「酒やめろよ」
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ナオトが言う。
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シンジは笑う。
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「それは無理や」
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即答だった。
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昼休み。
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社員食堂。
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河合町ソールズのメンバーが集まる。
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ケンジ。
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シンジ。
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タカシ。
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ユウスケ。
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そしてナオト。
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話題は自然と健康診断になる。
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「去年どうやった?」
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ユウスケが聞く。
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ケンジが笑う。
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「全部ギリギリ」
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タカシも笑う。
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「俺も」
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シンジが続く。
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「俺なんか再検査やったぞ」
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全員が笑う。
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だが笑い事ではない。
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三十五歳。
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若くはない。
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体は確実に変わり始めている。
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その証拠に、
昔は平気だった酒が残る。
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徹夜がきつい。
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階段で息が切れる。
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腹が出る。
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だが誰も真面目に向き合わない。
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向き合うと、
年齢を認めることになるからだ。
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その日の夜。
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居酒屋。
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また同じ席。
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また同じジョッキ。
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また同じ顔。
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河合町ソールズ。
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変わらない。
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変われない。
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その中心にいるのがケンジだった。
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「健康診断なんか意味ないやろ」
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ケンジが笑う。
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「病院は大袈裟なんや」
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タカシが頷く。
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「分かる」
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マサルも笑う。
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「俺も毎年怒られるわ」
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マサル。
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身長170センチ。
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体重98キロ。
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学生時代は70キロだった。
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二十数キロ増えている。
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それでも本人は気にしていない。
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「酒やめたら人生楽しくないやろ」
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それが口癖だった。
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ナオトはジョッキを見つめる。
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泡が消えていく。
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ふと思う。
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もし今、
この生活を十年続けたらどうなるのだろう。
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四十五歳。
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五十歳。
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想像してみる。
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だが頭に浮かぶのは、
未来ではなく現在の延長だった。
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酒。
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居酒屋。
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パチンコ。
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同じ会話。
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同じ金曜日。
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同じ土曜日。
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未来が見えない。
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いや、
未来が見えすぎているのかもしれない。
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その時だった。
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マサルがスマホを見ながら言う。
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「また病院から電話や」
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「出ろよ」
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ユウスケが言う。
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「面倒や」
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マサルは着信を切った。
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笑いが起きる。
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しかしナオトは笑えなかった。
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病院は何度も電話している。
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健康診断で異常が出ているからだ。
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血糖値。
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中性脂肪。
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肝機能。
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全部悪い。
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それでもマサルは行かない。
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「まだ大丈夫」
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そう言い続けている。
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深夜。
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帰り道。
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ナオトは車の窓を少し開ける。
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夜風が入る。
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頭を冷やしたかった。
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マサルの顔が浮かぶ。
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笑っていた。
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いつも通りだった。
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だが、
どこか疲れているようにも見えた。
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三十五歳。
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まだ若いと思っている。
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しかし体は正直だ。
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積み重ねた酒。
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積み重ねた暴飲暴食。
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積み重ねた不摂生。
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それは確実に残る。
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人間の体は忘れない。
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ナオトは信号待ちで空を見上げる。
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雲が流れている。
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ふと、
言葉が浮かぶ。
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「まだ大丈夫」
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河合町ソールズの合言葉みたいな言葉だった。
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だが、
本当にそうなのだろうか。
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誰も答えを持っていない。
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そして数年後。
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その答えを、
マサルが自分の体で証明することになる。
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まだ誰も知らない。
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それでも時間だけは、
確実に進んでいた。
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第12話「勉強できない夜」へ続く。




