第7話「資格の本」
火曜日の夜だった。
珍しく飲み会はなかった。
河合町ソールズの誰かが仕事で遅くなり、自然と流れたのだ。
本来なら喜ぶべき時間だった。
だがナオトは、自分の部屋で机に向かいながら落ち着かなかった。
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机の上には一冊の本がある。
資格試験の参考書。
半年前に買ったものではない。
二週間前に買い直したものだった。
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前の参考書は結局最後まで開かなかった。
本棚に並んでいる。
新品同然だ。
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ナオトは参考書を開く。
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第一章。
基礎知識。
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読める。
内容も理解できる。
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しかし頭の中に入ってこない。
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三ページ進んだところでスマホを触る。
五分後、また参考書を見る。
二ページ戻る。
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集中力が続かない。
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ナオトはため息をつく。
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「昔はもっと勉強できたのにな」
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高校の頃。
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決して優秀ではなかった。
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だが試験前には机に向かえた。
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今は違う。
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何かを学ぶ習慣そのものが失われていた。
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スマホが震える。
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河合町ソールズのグループチャットだった。
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タカシ
> 暇や
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ケンジ
> 暇やな
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ユウスケ
> 明日飲む?
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シンジ
> 飲むやろ
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アキラ
> 行く
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ナオトは画面を見る。
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勉強しようとしていた気持ちが一気に弱くなる。
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仲間たちは今も同じ場所にいる。
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自分だけ違うことをしようとしている。
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それが妙に落ち着かなかった。
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まるで裏切りのような気さえする。
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もちろん誰もそんなことは言わない。
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しかし空気はある。
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「地元の仲間を優先するのが当たり前」
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その価値観が染みついていた。
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ナオトは参考書を閉じる。
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スマホを見る。
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返信を書きかける。
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やめる。
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また書く。
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やめる。
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数分後。
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結局送った。
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> 明日なら行ける
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送信。
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そして参考書を見る。
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開いているページが急に遠く感じる。
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「また今度でいいか」
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その言葉が頭に浮かぶ。
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危険な言葉だ。
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ナオト自身、それを知っている。
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「また今度」
で何年も過ぎてきた。
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資格も。
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転職も。
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恋愛も。
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全部そうだった。
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高校卒業後。
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気付けば地元。
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気付けば同じ会社。
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気付けば同じ仲間。
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そして三十五歳。
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机の引き出しを開ける。
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古い写真が出てきた。
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二十歳の頃の写真だった。
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成人式。
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河合町ソールズ全員が写っている。
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皆痩せていた。
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目が輝いていた。
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未来を信じていた。
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ケンジは言っていた。
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「俺は独立する」
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タカシは言っていた。
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「金持ちになる」
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シンジは言っていた。
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「管理職になる」
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アキラは言っていた。
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「県外で暮らしたい」
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ユウスケは言っていた。
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「結婚して子供欲しい」
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そしてナオト自身は、
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「資格取って技術者になる」
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と言っていた。
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写真を見つめる。
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誰も嘘はついていなかった。
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本気だった。
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しかし十五年後。
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実現した者は一人もいない。
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静かな部屋。
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時計の音だけが聞こえる。
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ナオトは参考書を開く。
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もう一度だけ。
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今度こそ。
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そう思った時だった。
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スマホが鳴る。
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ケンジから電話だった。
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「おう」
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ナオトが出る。
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ケンジの声は明るい。
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「今からラーメン行かん?」
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ナオトは時計を見る。
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午後十時。
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参考書を見る。
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スマホを見る。
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心が揺れる。
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たった一時間前まで、
勉強するつもりだった。
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しかし、
たった一本の電話で崩れそうになっている。
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ケンジが言う。
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「男だけで集まれるのも今だけやぞ」
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その言葉が刺さる。
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今だけ。
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本当にそうだろうか。
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十五年間、
ずっと同じことを言ってきた気がする。
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ナオトは返事をする。
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その返事が、
これからの人生を少しずつ決めていくことになる。
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第8話「結婚式の招待状」へ続く。




