第6話「歳下の上司」
月曜日の朝は嫌いだった。
河合町ソールズの誰に聞いても、たぶん同じ答えが返ってくる。
金曜の夜から続いた酒。
土曜のパチンコ。
土曜の飲み会。
日曜の二日酔い。
そして月曜日。
体だけではなく、人生そのものが重く感じる朝だった。
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ナオトはコンビニで買った缶コーヒーを片手に会社へ向かう。
六月の朝。
空は晴れている。
しかし気分は晴れない。
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事務所へ入る。
「おはようございます」
声を出す。
返事が返ってくる。
いつもの朝。
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だが一つだけ、昔と違うものがある。
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「ナオトさん、ちょっといいですか」
後ろから声がした。
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桜井翔太。
三十歳。
ナオトより五歳年下。
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しかし会社では上司だった。
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ナオトは振り返る。
「はい」
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桜井はパソコンの画面を見ながら言う。
「この書類、修正お願いします」
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口調は丁寧だ。
態度も悪くない。
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だが、その事実が余計につらい。
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年下に命令されることが嫌なのではない。
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年下が努力して前に進んだのに、
自分は同じ場所にいたという事実が苦しいのだ。
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桜井は続ける。
「あと来月の資格講習、僕の方で行ってきます」
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ナオトは頷く。
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その資格は本来、
数年前に自分が取るべきものだった。
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しかし、
「また今度」
を繰り返した結果、
取得できなかった。
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桜井は大学卒業後に勉強した。
休日を使った。
夜も勉強した。
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その結果が今だった。
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ナオトは何も言えない。
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桜井は悪くない。
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何一つ悪くない。
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悪いのは、自分自身だ。
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しかしその現実を認めるのは辛かった。
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昼休み。
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社員食堂。
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ナオトは一人で座っていた。
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すると隣にシンジが座る。
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「どうした、暗いな」
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ナオトは笑う。
「別に」
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シンジは唐揚げを食べながら言う。
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「また桜井か?」
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ナオトは少し驚く。
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「分かるんか」
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「顔に書いてる」
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シンジは笑った。
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「まぁ気にするな」
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「気にするやろ」
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ナオトは思わず言う。
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「俺ら三十五やぞ」
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シンジの箸が止まる。
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「だから?」
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「五歳下が上司やぞ」
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沈黙。
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シンジは少し考える。
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そして笑った。
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「まぁ地元じゃ俺らの方が上やん」
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ナオトは苦笑する。
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地元ではそうかもしれない。
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しかし会社は違う。
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社会は違う。
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資格も経験も実績も関係なく、
昔からの友達関係だけで生きられる場所ではない。
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だが、
その現実を見ないようにする方法もあった。
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酒だ。
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夜。
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金曜日ではない。
月曜日だ。
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しかし河合町ソールズのグループチャットが動く。
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ケンジ
> 飲むか?
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タカシ
> 行く
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ユウスケ
> 行く
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アキラ
> 行く
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シンジ
> 行く
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ナオトはスマホを見る。
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ほんの数秒だけ考える。
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今日は勉強しようと思っていた。
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昨日もそう思っていた。
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先週もそうだった。
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参考書は机の上にある。
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だが、
今から開いても一人。
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居酒屋に行けば仲間がいる。
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その差は大きかった。
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指が動く。
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> 行く
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送信。
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また同じだ。
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また負けた。
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誰かにではない。
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自分自身に。
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居酒屋へ入る。
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ケンジが笑う。
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「おう、来たか」
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いつもの席。
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いつものジョッキ。
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いつもの笑い声。
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そして、
いつもの安心感。
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ナオトは席に座る。
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ビールが運ばれてくる。
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ジョッキを持ち上げる。
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「乾杯」
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声が重なる。
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その瞬間だけは、
歳下上司のことも、
資格のことも、
将来のことも忘れられる。
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だから彼らは飲む。
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忘れるために。
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しかし、
忘れた問題は消えない。
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それは翌朝、
少しだけ大きくなって戻ってくる。
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そしてまた酒で流す。
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その繰り返しだった。
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ケンジが笑いながら言う。
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「地元最高やな」
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全員が笑う。
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ナオトも笑う。
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だが心の奥では、
少しずつ違う感情が育ち始めていた。
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焦り。
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後悔。
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そして、
恐怖だった。
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第7話「資格の本」へ続く。




