第68話「境界」
三月。
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冬と春のあいだ。
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はっきりしない季節だった。
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気温も、空気も、心の状態も。
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すべてが少しだけ揺れている。
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マサルは職場での評価面談を受けていた。
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「問題なし」
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それが結論だった。
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だがそれは賞賛ではない。
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“安定している”という確認。
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そこに新しさはない。
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ただ継続が認められただけだった。
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それでもマサルは頷いた。
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十分だと思えた。
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シンジは通院の間隔が少し伸びていた。
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状態が安定しているためだった。
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だが油断は許されない。
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医師の言葉は常に同じ方向を向いている。
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「境界にいる状態です」
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良くも悪くもない。
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崩れる一歩手前。
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あるいは踏みとどまっている状態。
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そのどちらでもある。
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アキラは仕事で重要な判断を任される場面が増えていた。
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成功もあれば失敗もある。
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だが全体としては前進している。
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その評価は変わらない。
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ユウスケはトレーニングの重量を少し上げた。
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限界に近い負荷。
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しかし無理はしない。
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“壊さない範囲で強くなる”。
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それが今のテーマだった。
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ナオトは言う。
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「みんな境界におるな」
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夜。
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喫茶店。
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いつもの席。
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会話は落ち着いている。
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マサルが言う。
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「これ以上よくなる気もしないし、悪くなる気もしない」
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アキラが笑う。
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「それが一番リアルやろ」
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ユウスケが続ける。
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「でもどっちに転ぶかは分からん」
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シンジは静かに言う。
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「だから怖いんやろな」
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その言葉に誰も否定しない。
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ナオトが言う。
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「境界ってのはな」
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「止まってるようで、実は一番動いてる場所や」
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その一言で空気が少し変わる。
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外では風が強くなる。
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春の前触れ。
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マサルは帰り道で足を止めない。
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シンジは薬を確認する。
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アキラは翌日の判断材料を整理する。
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ユウスケはジムの予定を確認する。
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それぞれが“境界”の上に立っている。
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安定でも崩壊でもない。
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ただ揺れている状態。
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ナオトはそれを見て思う。
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「ここが一番人間っぽいかもしれんな」
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そして物語は、
次の段階――“微細な変化”へと進む。
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第69話「変化の兆し」へ続く。




