第40話「入院」
四月。
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桜は満開だった。
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しかしマサルには、
それを楽しむ余裕がなかった。
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総合病院。
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糖尿病内科病棟。
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病室。
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白い天井。
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消毒液の匂い。
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静かな空気。
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マサルはベッドに座っていた。
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入院。
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人生で初めてだった。
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三十七歳。
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まさか自分が入院するとは思っていなかった。
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昔は健康だった。
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多少太っていても平気だった。
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酒も強かった。
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仲間の中では盛り上げ役だった。
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飲み会ではいつも中心。
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「男気や!」
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そう言って一気飲みしていた。
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それが今では、
点滴を受けている。
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医師が病室へ来る。
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検査結果の説明。
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糖尿病の悪化。
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神経障害。
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網膜症の疑い。
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腎機能低下。
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一つだけではない。
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複数の問題が同時に進んでいた。
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医師は静かに言う。
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「まだ取り返せる部分もあります」
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「ですが本当に生活を変えないといけません」
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「次はありません」
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その言葉が重かった。
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次はない。
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つまり今が最後。
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病室を出た後、
マサルは窓の外を見る。
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桜が見える。
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入学式帰りらしい家族。
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笑顔の子供。
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若い夫婦。
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当たり前の風景。
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だが自分には遠い。
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結婚もしていない。
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子供もいない。
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家庭もない。
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気付けば酒だけだった。
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それが今、
自分を壊している。
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午後。
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見舞い客が来る。
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ナオトだった。
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事故以来、
少し距離ができていた。
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それでも来てくれた。
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「大丈夫か」
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マサルは苦笑する。
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「大丈夫ちゃうな」
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二人とも笑わない。
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笑える話ではない。
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ナオトは病室の椅子に座る。
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しばらく沈黙。
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そしてマサルが言う。
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「俺ら何してたんやろな」
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その言葉にナオトは答えられない。
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マサルは続ける。
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「二十代も」
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「三十代も」
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「毎週同じ居酒屋やった」
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「同じ話して」
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「同じ酒飲んで」
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「気付いたらこれや」
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病室を見渡す。
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点滴。
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薬。
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検査表。
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現実だった。
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ナオトは静かに言う。
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「まだ生きてるやん」
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マサルは少し笑う。
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「そうやな」
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それだけだった。
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しかしその言葉は救いだった。
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まだ生きている。
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まだ終わっていない。
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少なくとも今は。
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一方その頃。
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タカシは高速道路を走っていた。
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また仕事。
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また深夜。
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また現金。
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しかし最近、
明らかに様子がおかしい。
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関係者が減っている。
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連絡も短い。
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佐伯も神経質になっている。
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何かが近づいている。
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そんな予感があった。
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そして刑務所。
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ケンジは作業を終えて房へ戻る。
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春だった。
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去年の春、
自分は自由だった。
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居酒屋にいた。
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仲間と笑っていた。
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その一年後。
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鉄格子の中。
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人生は変わった。
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いや、
壊れた。
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だがそれでも時間は進む。
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止まらない。
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河合町ソールズ。
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一人は刑務所。
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一人は入院。
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一人は違法な仕事に沈む。
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一人は暴行事件を起こす。
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一人は婚活に疲れ果てる。
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そして残る者たちも、
それぞれの問題を抱えていた。
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崩壊はまだ続く。
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そして次に待つのは、
アキラの人生を揺るがす出来事だった。
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第41話「取り残された男」へ続く。




