第28話「誘い」
事故から二か月。
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河合町の桜は散り始めていた。
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春は終わりへ向かっている。
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しかしタカシの人生は、
もっと別の方向へ向かっていた。
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借金。
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百万円を超えた負債。
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毎月の返済。
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督促の電話。
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減らない元金。
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精神は少しずつ削られていた。
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夜。
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アパート。
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狭い部屋。
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テーブルの上には、
支払い明細が散乱している。
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タカシは缶チューハイを開ける。
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一口飲む。
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スマホを見る。
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通知。
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またあの相手だった。
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> 困ってるなら話だけでも聞くで
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短い文章。
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以前なら無視していた。
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しかし今は違う。
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借金は判断力を奪う。
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正常な感覚を鈍らせる。
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タカシは返信する。
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> 何の話?
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数秒後。
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すぐ返信が来る。
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> 会って話そうや
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タカシは少し迷う。
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だが断らない。
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翌日。
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ファミレス。
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昼過ぎ。
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相手は四十代くらいの男だった。
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スーツ姿。
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穏やかな笑顔。
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普通の会社員にも見える。
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男は名乗った。
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「佐伯や」
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偽名か本名か分からない。
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タカシも深く聞かなかった。
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佐伯はコーヒーを飲みながら話す。
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「借金あるんやろ?」
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タカシは驚く。
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「なんで知ってるんですか」
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佐伯は笑う。
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「世の中狭いからな」
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曖昧な答え。
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しかしタカシは追及しない。
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余裕がない。
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佐伯は続ける。
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「金が欲しいだけやろ?」
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タカシは頷く。
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本当は違う。
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欲しいのは金ではない。
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安心だった。
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未来だった。
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やり直せる可能性だった。
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だが今は、
それを金でしか解決できないと思っている。
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佐伯は言う。
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「簡単な仕事がある」
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タカシの胸がざわつく。
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危険な匂いがする。
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しかし同時に、
希望にも見えた。
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「何の仕事ですか」
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佐伯は少し笑う。
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「荷物運びや」
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「それだけ?」
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「それだけや」
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簡単すぎる。
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だから怪しい。
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普通なら断る。
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しかしタカシは普通ではなかった。
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借金。
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孤独。
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焦り。
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事故後の閉塞感。
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全てが重なっている。
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佐伯は最後に言う。
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「一回で五万円や」
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タカシの動きが止まる。
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五万円。
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一日では稼げない金額。
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借金返済に回せる。
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その数字が理性を揺らす。
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佐伯は席を立つ。
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「やる気になったら連絡してくれ」
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名刺を置いて去っていく。
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タカシは一人残る。
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名刺を見る。
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会社名は書いてある。
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しかし検索しても出てこない気がした。
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危険だ。
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絶対に危険だ。
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頭では分かる。
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だが、
財布の中身を見ると気持ちが揺らぐ。
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その夜。
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河合町ソールズのグループLINEが久しぶりに動く。
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アキラだった。
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> ケンジ起訴されるらしい
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空気が凍る。
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起訴。
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つまり裁判が始まる。
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死亡事故は終わっていない。
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むしろこれからだった。
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ナオトはスマホを見つめる。
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返信できない。
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誰もできない。
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そしてタカシは、
別の画面を開く。
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佐伯の連絡先。
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指が止まる。
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ほんの少し前なら、
絶対に連絡しなかった。
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しかし今は違う。
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人は崖の縁に立つと、
飛び降りる理由を探し始める。
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タカシはまだ引き返せる。
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まだ。
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だがその時間は、
もうあまり残されていなかった。
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第29話「一度だけ」へ続く。




