第19話「冬の前触れ」
十一月。
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朝晩の空気が冷たくなってきた。
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河合町の田畑には白い霧がかかる日も増える。
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季節は確実に進んでいた。
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しかし河合町ソールズだけは、
相変わらず同じ場所にいた。
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金曜日。
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午後七時。
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いつもの居酒屋。
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いつもの席。
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いつもの生ビール。
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ケンジがジョッキを掲げる。
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「乾杯!」
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全員がグラスを合わせる。
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何度繰り返したか分からない光景だった。
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ナオトは周囲を見渡す。
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店内には若い会社員もいる。
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夫婦らしき客もいる。
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家族連れもいる。
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彼らは食事を終えると帰る。
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しかし河合町ソールズは違う。
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一次会は始まりに過ぎない。
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二次会。
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三次会。
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気付けば深夜。
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それが普通になっていた。
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マサルが焼き鳥を口に運ぶ。
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糖尿病の診断から一か月。
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だが何も変わっていない。
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酒も。
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食事も。
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生活も。
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「病院どうやった?」
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ナオトが聞く。
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マサルは笑う。
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「怒られた。」
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全員が笑う。
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しかしナオトは笑えない。
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マサルの顔色は明らかに悪かった。
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目の下のクマ。
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むくんだ顔。
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異常な汗。
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それでも本人は、
まだ大丈夫だと思っている。
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いや、
思い込もうとしている。
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認めたくないのだ。
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人生が壊れ始めていることを。
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タカシも同じだった。
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借金は七十万円を超えていた。
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だが誰にも言っていない。
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言えば終わる気がするからだ。
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「男気」がある仲間たち。
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しかし本当に困ったことは、
誰にも言えない。
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それが河合町ソールズの不思議なルールだった。
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夜十時。
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店を出る。
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冷たい風が吹く。
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ケンジが笑う。
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「まだ早いやろ。」
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全員が笑う。
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誰も帰らない。
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誰も止めない。
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コンビニへ向かう。
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缶ビールを買う。
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駐車場に座る。
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三十五歳の男たちが、
高校生みたいに缶ビールを飲んでいる。
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昔は楽しかった。
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今はどうだろう。
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ナオトには分からなかった。
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その時だった。
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アキラが突然言う。
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「なぁ。」
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「俺ら十年後どうなってると思う?」
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珍しく真面目な質問だった。
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沈黙。
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ケンジが笑う。
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「変わらんやろ。」
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タカシも笑う。
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「またここで飲んでるわ。」
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全員が笑う。
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しかしナオトだけは笑えなかった。
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本当にそうなのだろうか。
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十年後。
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四十五歳。
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酒。
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ギャンブル。
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借金。
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病気。
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今の延長線上に、
幸せな未来は見えなかった。
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むしろ逆だった。
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どこかで何かが壊れる。
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そんな予感がしていた。
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アキラも同じだったのだろう。
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だから聞いた。
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しかし誰も答えない。
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答えたくない。
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未来を想像すると、
不安になるからだ。
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深夜零時。
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解散。
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それぞれの車へ向かう。
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ナオトはふと立ち止まる。
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ケンジを見る。
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酔っている。
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間違いなく酔っている。
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それでも運転席に乗り込む。
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エンジンをかける。
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誰も何も言わない。
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「近いから。」
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「慣れてるから。」
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「今まで大丈夫だったから。」
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そんな言葉が頭をよぎる。
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だがナオトは感じていた。
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それは安全の理由ではない。
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ただの慣れだ。
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危険に慣れてしまっただけだ。
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ケンジの車が走り去る。
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赤いテールランプが遠ざかる。
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ナオトはなぜか、
嫌な予感を覚えた。
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理由は分からない。
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ただ胸の奥がざわつく。
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冬の空気は冷たかった。
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そして運命もまた、
静かに動き始めていた。
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数週間後。
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河合町ソールズにとって、
取り返しのつかない夜が訪れる。
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未来のある高校生と、
未来から目を背け続けた男たち。
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二つの人生が交差する日まで、
もう時間は残されていなかった。
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第20話「忘年会」へ続く。




