第16話「大丈夫という病」
「大丈夫。」
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河合町ソールズのメンバーが最も多く使う言葉だった。
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金がなくても大丈夫。
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健康診断で異常が出ても大丈夫。
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資格がなくても大丈夫。
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彼女がいなくても大丈夫。
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酒を飲んで運転しても大丈夫。
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今まで問題がなかったから。
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皆そう考えていた。
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八月。
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猛暑日。
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昼の気温は三十五度を超えていた。
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マサルは会社の自販機の前で缶コーヒーを買う。
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甘い缶コーヒー。
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毎日何本も飲む。
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喉が渇く。
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異常に渇く。
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だが気にしない。
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最近は夜中にも何度も目が覚める。
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トイレに行く回数も増えた。
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体がだるい。
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疲れが抜けない。
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それでも気にしない。
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「夏バテやろ。」
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それで終わりだった。
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昼休み。
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社員食堂。
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マサルはカツ丼大盛りを食べている。
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ナオトが聞く。
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「病院行ったんか?」
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マサルは笑う。
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「まだ大丈夫や。」
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またその言葉だった。
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ナオトはため息をつく。
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健康診断の結果は知っている。
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血糖値。
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かなり高い。
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医師のコメント。
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【早急な受診を推奨します】
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それでも行かない。
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「面倒や。」
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それが理由だった。
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夜。
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河合町ソールズ。
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いつもの居酒屋。
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ケンジが笑う。
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「マサル死ぬぞ。」
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冗談だった。
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全員笑う。
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マサルも笑う。
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「まだ死なんわ。」
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ジョッキを飲み干す。
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唐揚げを食べる。
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ポテトを食べる。
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ラーメンで締める。
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誰も止めない。
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止めても聞かないからだ。
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だがナオトだけは、
少し不安になっていた。
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マサルの顔色が悪い。
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汗の量も異常だ。
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呼吸も荒い。
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しかし本人だけが気付いていない。
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いや、
気付いていても認めたくないのかもしれない。
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認めれば、
酒を減らさなければならない。
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生活を変えなければならない。
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それが嫌だった。
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翌週。
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マサルは仕事中に倒れた。
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突然だった。
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立ち上がろうとして、
足がふらつく。
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視界がぼやける。
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冷や汗。
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そして崩れるように倒れた。
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救急車。
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病院。
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検査。
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診断結果。
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糖尿病。
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しかもかなり進行していた。
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医師は厳しい表情で言った。
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「今すぐ生活を変えてください。」
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「このままだと危険です。」
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マサルは笑おうとした。
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しかし笑えなかった。
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初めてだった。
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本気で怖くなったのは。
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病室の天井を見ながら思う。
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三十五歳。
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まだ若いと思っていた。
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しかし体はそう思っていなかった。
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積み重ねた酒。
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積み重ねた暴食。
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積み重ねた不摂生。
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全部残っていた。
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そして請求書のように、
今になって返ってきた。
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数日後。
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退院。
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河合町ソールズは居酒屋に集まる。
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マサルも来ていた。
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ナオトは驚く。
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「もう飲むんか?」
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マサルは苦笑する。
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「一杯だけや。」
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ケンジが笑う。
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「一杯なら大丈夫やろ。」
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またその言葉。
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大丈夫。
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その言葉が空気を支配していた。
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しかしナオトは感じていた。
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何かが変わり始めている。
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マサルの病気。
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タカシの借金。
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自分たちの年齢。
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少しずつ、
現実が追いついてきている。
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学生時代のようにはいかない。
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二十代のようにもいかない。
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それでも彼らは、
まだ同じ場所に立ち続けている。
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そしてその先には、
もっと大きな破滅が待っていた。
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誰もまだ知らない。
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数か月後、
河合町ソールズの名前が新聞に載ることを。
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それは交通事故の記事だった。
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そして被害者は、
未来のある高校生だった。
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第17話「秋祭りの夜」へ続く。




