第六章:導火線に火が走る
嘉永四年(1851年)。佐賀城下の築地大砲製造方は、地獄の鍛冶場と化していた。昼夜を問わず、大地を揺らす槌音と、反射炉から吐き出される熱風が職人たちの肌を焼き焦がす。
直正が命じた次なる試練。それは、反射炉から生み出された「近代の鉄」を使い、世界を震撼させる『鉄製大砲』を鋳造することであった。
(当時、日本中の沿岸に並んでいた大砲は、すべて青銅製――すなわち真鍮の塊であった。青銅は柔らかく加工しやすいが、致命的に強度が足りない。火薬を少しでも多く詰めれば、砲身が自らの圧力に耐えかねて木っ端微塵に弾け飛ぶ。ゆえに射程は短く、遥か洋上から街を灰にする西欧の巨艦には、文字通り『かすりもしない』玩具に過ぎなかった。敵を討つには、より頑強な、より巨大な『鉄の筒』が絶対に必要だったのだ)
だが、大砲造りとは、鉄を型に流し込めば終わるような甘いものではなかった。
大砲製造方の若者たちの前に、そびえ立つ絶壁の如き難関が立ち塞がった。砲身の「穴穿ち」である。
ドロドロの鉄を冷やし固めた、数千斤におよぶ巨大な鉄の円柱。その中心に、寸分の狂いもなく、完璧に真っ直ぐな空洞をくり抜かねばならない。さらに、放たれた砲弾が激しく回転して弾道を安定させるよう、筒の内部に螺旋状の溝(施条)を刻み込む必要がある。
もし、わずか一分(約3ミリ)でも穴が歪めばどうなるか。発射の瞬間、激しい圧力にさらされた砲弾が筒の中で引っかかり、大砲そのものが巨大な手榴弾と化して爆発する。射手はおろか、周囲の陣地ごと人間が消し飛ぶ。
「電気も、蒸気機関もないこの国で、いかにしてこの巨大な鉄の塊をくり抜くというのだ……」
技術者たちは、あまりの途方もなさに血の涙を流した。人力で錐を回そうにも、相手は純度の高い硬鉄である。大の大人が数十人で挑んでも、火花が散るだけで、一日に数ミリすら削れなかった。
「道具が足りぬなら、自然の狂気を使え」
暗澹たる現場に、直正の冷徹な一喝が響いた。彼が目をつけたのは、城下を流れる多布施川の奔流であった。
直正は、激流のエネルギーを巨大な歯車に喰わせ、その回転力で鉄の錐を強制駆動する、前代未聞の「水力穿孔機」を考案させた。
川が吼え、巨大な水車が回る。ギチギチと音を立て、水力を宿した悪魔のような鉄の錐が、大砲の心臓部へと突き立てられた。火花が飛び散り、肉が焦げるような鉄の臭いが立ち込める。錐が折れるか、水車が壊れるか。職人たちは不眠不休で装置にしがみつき、じわじわと、数週間をかけて鉄の巨躯を抉り進めていった。
そして嘉永五年(1852年)。
ついに、日本史上初となる近代的な「鉄製二十四ポンド巨砲」がその姿を現した。鈍い黒光りを放つその砲身は、まるで不気味な黒竜のようであった。
その威力を検分するため、佐賀の海岸において、直正立ち会いのもとでの一世一代の試射が執り行われることとなった。
周囲には、未だに「異国の術など」と冷笑する守旧派の老臣たちも詰めかけていた。彼らの目は、「どうせ破裂して大失敗するに決まっている」という、悪意に満ちた期待にギラついていた。
現場を支配したのは、胃を掻きむしられるような沈黙である。
砲術家が、震える手で火のついた線香を掲げた。本島藤太夫をはじめとする開発者たちは、全員が数歩退がり、歯が根から砕け散るほどに噛み締め、目を瞑った。
祈ったのではない。爆発の瞬間を覚悟したのだ。
己たちの数年間の努力が、この一瞬でただの鉄屑と死体の山に変わるかもしれない。その恐怖が、五臓六腑を締め付けた。
直正だけが、微動だにせず大砲を見つめていた。その眼光は、自らの命すら天秤に賭けていた。
「放て」
直正の静かな、されど地平を射抜くような号令。
線香が、導火線に触れた。じりじりと、火花が信管へ向かって狂ったように走っていく。
一秒。二秒。三秒。
心臓の鼓動が止まるかと思われた、その刹那――。
――ドォォォォォォンッ!!!!
世界が裂けた。
鼓膜が破れんばかりの、天地開闢以来の大爆音。凄まじい衝撃波が海岸の砂を巻き上げ、見学の老臣たちは悲鳴を上げて文字通り地面に這いつくばった。
砲口から吹き出したのは、数十間に及ぶ紅蓮の炎と、白煙の嵐である。
爆発は――しなかった。砲身は、無傷だ。
そして、放たれた数十斤の鉄塊は、音を置き去りにして冬の空を切り裂き、遥か数里先の海面へ、山のような水柱を突き上げた。これまでの青銅砲の限界を遥かに超えた、圧倒的な、暴力的なまでの射程と破壊力であった。
「……やった」
本島藤太夫の口から、掠れた声が漏れた。
「やった……やったぞォ!! 我らは、やったのだ!!」
次の瞬間、爆音の余韻をかき消すような、地鳴りのごとき大歓声が沸き起こった。職人たちは砂浜に倒れ込み、涙と砂で顔をぐしゃぐしゃにしながら拳を突き上げた。冷笑していた老臣たちは、腰が抜けて立ち上がれず、ただただ、異次元の破壊力を見せつけた黒い筒を見上げてガタガタと震えていた。
それは、日本が西欧列強の植民地となる運命を、自らの「技術」でねじ伏せ、歴史の軌道を無理やり変えた瞬間であった。
(この佐賀の地鳴りを、誰よりも敏感に、そして恐怖と共にかぎ取ったのは、江戸の幕府であった。翌嘉永六年、浦賀にペリーの黒船が現れ、日本中が『国が滅びる』と右往左往した時、狼狽した幕府が唯一すがったのが、この佐賀の鉄であった)
幕府は、誇りも矜持も格式もかなぐり捨て、直正に対して頭を下げた。江戸湾を守る要塞(品川台場)の命運を、すべて佐賀の鉄製大砲に託すという、実に五十門の極秘大発注である。
かつて、江戸の上屋敷の門前で、商人たちに駕籠を止められ、金がないというだけで武士の誇りを踏みにじられた、あの日の少年。
いまや彼は、徳川幕府の、いや、日本という国家の命運をその両肩にのせる、唯一無二の「鉄の支配者」となっていた。
しかし、直正の、そして佐賀の狂気的な科学への探求は、この程度の勝利では牙を収めなかった。
第七章に続く。
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