第四章:長崎の海、黒く煙る
「見よ。あの大砲の筒の長さを。我が藩が持つ火縄銃や青銅の古砲など、あれに比べれば子供の玩具に等しい」
天保十一年(1840年)、長崎の港に浮かぶ異国船を見つめながら、直正は随行の家臣たちに、低く冷たい声で語った。
「あやつらは、風を無視して進む蒸気という力を持っている。武士の魂だの、精神の気高大だのといったものは、あの鉄の塊の前には何の役にも立たぬ。異国の技術を学び、異国を超える兵器を我が手で作る。これより、佐賀藩を鉄の国とする」
この年、アジアの東端に位置する日本を震撼させる大事件が勃発した。清国と英国との間で戦われた「阿片戦争」である。当時、清国は東洋における絶対的な巨人であり、文化の源流であった。その大帝国が、遙か西方からやってきた英国の近代艦隊の前に、赤子の手をひねるように敗北した。この報せは、長崎の和蘭陀商館を通じて、いち早く日本にもたらされた。
(多くの大名や江戸の幕臣たちは、この事件を『異国の出来事』として片付け、あるいは『清国の軍紀の弛緩』として都合よく解釈しようとした。しかし、直正だけは違った。佐賀藩は福岡藩と交代で長崎の警備を担当している。もし英国の艦隊が長崎に現れれば、最初に戦わねばならぬのは、他ならぬ我が藩である。直正の胸中には、背筋が凍るような当事者意識が突き上げていた)
日本の伝統的な武術や、精神論を尊ぶ武士の文化は、近代兵器の前には無力である。直正は、武士の魂とも言える「精神主義」を完全に捨て去る決断をした。これまでのように「異国を打ち払う」という攘夷の精神論だけでは、国を守ることはできない。防衛のためには、敵を知り、敵と同じ力を手に入れねばならない。
直正の命令により、佐賀藩には「佐賀蘭学寮」が設置され、若き藩士たちに和蘭陀の言葉だけでなく、数学、物理学、化学といった近代科学の基礎を徹底的に叩き込むこととなった。すべては、自らの手で鉄を操るための、大いなる伏線であった。
第五章に続く。
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