知りたいことは
陽の光は雪に反射して容赦なくマナカの目を刺す。夜のうちにまた少し雪が降ったようで、細かな雪が綺羅綺羅と風に舞い上げられていた。
昨日に同じくマナカの目はその光の強さに悲鳴をあげて、本当に、自分はどうなってしまったんだろうとマナカは思った。視力を失った訳ではないが、陽の光に耐えられないのはとかく、不便だ。
仕方なく、マナカは薄布越しで今日も徘徊する事になる。その横で子熊がとてて、と雪に埋もれたりマナカの周りではしゃいだりと忙しい。冬になると彼等は良く寝ると父親から聞いていたのだが、子熊は元気いっぱいだった。
昨日開けられなかった行李の中身を検分したり、必要な物を岩屋に運び入れたりして、また一日が終わる。
行李の一つに沢山の珠や輝石で作られた首飾りや腕輪なんかが混じっていたが、女物の着物といい、輝石といい、このような山の上の神に差し上げてもなあと、マナカには甚だ疑問でしかない。何か意味があるのかもしれないが、少なくとも、月人は白くて大きな獣の毛皮を折り返し、頭からすっぽりと被って腰の辺りを幅の短い帯で締めただけの山人のような簡素な格好であった。じゃらじゃらと輝石を好んで身に着けるようには見えなかったが。
思い切って、マナカは沢山の珠を繋ぐ細い銀糸を犬歯で噛みちぎり、幾本かの糸の代わりを得ると、供物の中でも丈夫で温かそうな布や毛皮を用いて己の着るものを繕った。
針は無かったが、銀糸の先端は難なく布に入っていったので、問題なく繕う事が出来た。
毛皮は大きな輝石の一つを石で割り、鋭い破片を選んで押し当てると呆気なく裂けた。毛皮で足元を包んで銀糸で縫えば、簡易の靴が出来上がり、マナカはとても嬉しくなる。
(これで明日はもっとはやく雪の中を歩ける)
己の仕事に満足し、さあ夕餉は何を食べようか、と思案し始めた頃だった。
前触れなく、唐突に月人が岩屋に現れて、マナカは目をぱちくりとさせて、その様子を見ていた。
(本当に風のような人…いや神様か)
月人は出て行った時と同様に獣のようにしなやかな動きで岩屋の中に入ってきた。手には外にあった行李を一つ掴んでいる。ところが、薄闇の中で目を凝らせば、身体の至る所に血が付いているではないか。
マナカは慌てて衣の中から適当な布を引っ張り出して、甕に溜めておいた雪解け水に布を晒して絞り、月人の傍らに駆け寄った。
月人は奥まで進むと、片膝をたてて座り、行李を傍らに置いた。中からおもむろに瓢箪と土器を出し、酒を注いでいる。
「あの、」
マナカは布を手に話しかけようとするが、朝と違って月人はこちらを一暼もしない。
ぐい、と土器を傾けて酒を一気に呷ってから、
「なるほど、これはこれでまた…」などと独り言を呟き、口角をあげながら更に酒を注いでいた。
マナカは、存在を無視されていることに数瞬、家族を思い出して複雑な思いに捕らわれた。ところが、次第に小さな怒りが胸の内から沸々とわいてくる。
(なによ、月人様まで無視することないじゃない!)
マナカは少し乱暴に月人の身体の血を拭った。ところがそこには綺麗な肌があるばかり。傷ついて帰ってきたのかと心配したのが拍子抜けする。
「…何をしているんだ、手前は」
呆れと迷惑が滲んだ声で月人が一刀両断すれば、
「身体に血が付いていたから怪我をしたかと思ったの!」
と、神に対して不敬極まりなくマナカは怒鳴った。それでも、手は月人の身体のあちこちに付着した血を乱暴に拭っていく。
「かすり傷などすぐに癒える。それに殆ど返り血だ」
誰の?
「頭の足らぬ狒々どもだが、数ばかり多くてほんの少しだけ面倒だったわい」
言葉にする前に答えが返ってくる。月人は、まとわり付くマナカを蝿を払うようにしっしと払うが、マナカがしつこく血を拭い続ければ、やがてされるがままになって酒を呷った。
「狒々どもは狒々神様と関係があるの?」
マナカは、出来うる限り何気ない声音で聞いた。
「狒々どもは、あんなものは神ではない。ただの頭の悪い猿だ」
あんな阿呆どもでも神と崇められりゃ勘違いするのかもなぁ、と愉快そうに酒を注ぐ。と、そこではて?と言って顔を上げ、面白いものを見るような目つきでマナカに視線を流した。
「ふむ?なるほど、小娘も空けなりに考えたと見える。わしから望む事を聞き出すつもりだな」
「…」
「贄に出されたというにその忠義心は一体どこから来るのやら」
「知りたいの、…です」
マナカはため息を吐いて手を降ろした。さり気なく聞けないなら、正面から攻めるしか、マナカには思いつかない。
白い神はくくく、と嗤って土器をちろり、と舐めた。
「なるほど、なるほど。それではわしの聞きたい事も漏らさず教えてもらおうかい。それが取引というものだ」
神との約定だ。マナカはこくん、と首を縦に降ろした。
「狒々神様はいまどこにいるの?」
「ここにおらぬ事は確かよ。かつてはここらが根城であったらしいがな」
「狒々神様がどこへ行ってしまったか、月人様は知ってる?」
「知っている、と言えば知っているし、わからぬと言えばわからぬところへ」
なんだ、それは。
「……知っていることを教えて」
「まあ、待て。まあ待て。手前ばかりずるいぞ。わしにも聞きたいことがある」
「さっきから、ちっとも答えて無いじゃない!」
マナカはついに癇癪を起こしてしまった。だってあんまりだ。のらりくらりとして、何の答えも返してないくせに自分ばかり聞こうとは。
「この祭りはいつからやっている?三年に一度と言っていたか?」
ほらずるい。自分は一遍に二つも聞いている。マナカははあ、と嘆息して答える。こういう強引なところは、何だかリシンに似ている気がする。
「私の生まれるはるか昔から、という事しか知りません。私は成人前だから村の事は詳しく教えて貰えてないの。お祭りは三年に一度よ」
「なるほどなぁ、下手に知恵をつけてると逃げられるやもしれぬからな。それで三年か。狒神の嗜好だけではなかったわけだな」
月人は長く尖った爪で、自身の下唇をとんとん、と突ついた。
マナカはずるい、ともなんで、とも思った。月人はマナカの一言で二つも三つも合点した、と嘯く。月人に見えて、マナカに見えてないものは何なのか。その答えをマナカは知りたいと思った。
「因みにお前、月のモノはきてるのか?」
「はあ?!」
マナカは、咄嗟に大きな声を出してしまう。突然、全然違うことを問われただけでなく、その内容に一瞬相手が神だという事を忘れた。
「ちょっと、なんで!そんな…あ、順番!今度は私が聞く番!」
マナカは顔を真っ赤にしながら、答えを保留する。すると、「なんだ、もうきてるのか」とつまらなそうに呟く声がした。無駄にいい声だ。何故か答えてないのに答えた事になっている。何故だ!やはり月人はずるい。
「ごほん、私が知りたいのは貴方様が狒々神様について知ってる事です。いま、何処におわして、如何しているか。祭りを投げ出されたのは何故か。その理由が私は知りたい」
ふん、ともう興味が失せたと言わんばかりに鼻を鳴らして、月人は手酌する。
「先程言った通りよ。彼奴の魂が何処ぞに行ったかは知らん。狒々どもの誰かに乗り移ったか、涅槃に行ったか、或いはその辺をうろついているやもしれんなあ。まあ、骸はそこいらの雪にでも埋もれているだろ」
「え…?」
「狒神は死んだ。殺したのはわしだ」




