↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/21

山の神

  

  

  

  

  

  

 マナカからほんの十歩もない距離。整然と横一列に地面に並んで置かれた行李の一つをしゃがみ込んで見ている一つの塊がある。地面につくほどの長い髪はマナカが見知った黒や茶でなく、白く輝く銀色で、酷く美しかった。


 マナカが息を呑んで見つめていると、それは何処から持ち出したのか柄杓を手に取り、行李の中に入っていた酒を汲んでごくり、ごくりと呷った。その顔は長すぎる髪の毛に隠れて判然としないが、手は人間のそれにひどく似ている。ただ、長く鋭利な爪が白く怪しく光っている事を除けばだが。

 何杯か繰り返し酒を呷ってから、唐突に柄杓を地面に打ち捨ててたちあがり、マナカに振り返る。はっと我に返り、マナカは慌てて行李から這い出し、地面に這い蹲り低頭し口上を述べた。


 「ヒ、ヒシン様であらせられますか?私は今年のマツリメに選ばれました、ア、アキと申します。畏み畏みも申します。三年間の豊りと恵みに感謝を。そして今後三年間の更なるご加護をオチの村にお授け下さい」


 マナカはまくし立てるように言った。いい加減寒さで歯の根が合わず、がちがちとうるさく鳴っている。だが、それ以上に目の前の神の気に当てられ、マナカは益々縮こまった。


 「ヒシン…?はて、そのような名で呼ばれたことがあったか?」


 ああ、何という声だろう、とマナカは思った。低く耳に馴染んでいつまでも余韻が残る。声だけでこんなに美しい、と感じた事はついぞ無い。これが神か、とマナカは改めて感嘆した。


 「重ねて畏み申します。村ではヒシン様を狒々神様とお呼びし大切にお祀りしています。お忘れかもしれませんが、三年に一度の約定をオチの村では違えた事がございません。何卒お納めくださいますよう」

 マナカは、神が自分達のような些末な存在など忘れてしまっているのではと心配になり、つい礼を失する物言いをしてしまっていたが、必死になり過ぎてそれには気付けずにいた。


 「…ヒヒガミ?ヒヒ、ガミ、なんと、狒々神か!」

 弾けたようにヒシン様が笑い出したので、マナカは思わず首をあげてぽかんとした。次いで何かおかしな事を言っただろうか、と青ざめヒシン様の笑いが治まるのを待つ。空を振り仰いで笑っていたかと思えば、今度は身体をくの字に曲げ、腹をかかえてひぃひぃと苦しげに呻く。その余りの人間臭さにマナカは呆然とするしかなかった。


 (神様でもこんな風に笑うのね)と、マナカは呆然としながらそう思った。それとも、酔っ払っているのかしら、と先程ごくごくと酒を浴びるように呑んでいたことを思い出し、そこまで考えてはた、と神様も人間のように酒を呑めば酔っ払うことがあるのだろうか、と更なる疑問に頭を傾ける。そこに先程までの超然とした空気はなく、張り詰めていた息を無意識にほっと吐いていた。


 「では、これらの行李は山神への供物なのだな。いきなり松明をもった行列が登ってくるので、何事かと思って見ていれば…なんと愚かな」

 いつの間にやら笑いの収まった神の声に再び我に返ったマナカは、慌ててまた頭をさげる。まだ、面をあげて良いと許されていないし、マナカのようななんの肩書きもない小娘が神を直に見る事は畏れ多い事だと思っていた。


 「して娘よ。手前(てめえ)は何だ」

 「今年のマツリメに選ばれたあ、アキと申します」

 「マツリメとは何だ?」

 「ま、マツリメとは白羽の矢に選ばれた、狒々神様の嫁を祭りの中でそのように呼んでおるのです」

 「ふうむ、では白羽の矢とは?」

 「し、白羽の矢は三年に一度、このお祭で狒々神様に捧げられる娘を選り分ける矢のことで御座います。今年の秋口に我が家にその矢が穿たれたため、私が選ばれたのだと教えられました」


 まるであべこべだった。

 神問いは人が神に伺いをたてることだと思っていたが、祭にこのような逆さまの神問いがあるとはマナカは知らされていなかった。

 マナカが承知している事は少ない。寧ろ、必要なこと以外何も教えられていないに等しい身で狒々神様の問いかけに応える様は何だか試されているようだ。三年に一度とはいえ、マナカが生まれるずっと以前より繰り返されてきた祭だ。マナカより狒々神様のほうが詳しいのは明白な筈であった。それとも本当に知らないのだろうか?


 「あの、畏れながらヒシン様」

 「ワシをそのような名で呼ぶな」

 ぴしゃり、と拒絶されマナカは思わずびくり、とした。


 「そ、それでは何とお呼びすれば良いでしょうか」

 そう、問いかければ沈黙が返ってくる。しかし、常なら知らずこの様な問答を繰り返すならば、何とお呼びすれば良いか示して貰わねば、とマナカは神の言葉をひたすら待った。


 「……ふうむ、確かにワシは自から名告りをあげた事は無かったな。白髪鬼とか阿形彦とかいつも適当に呼ばせてあったのも事実。しかしあの狒々神(もうろくざる)と同じ名で呼ばれるのは愉快ではない」

 ぶつぶつと、神は何事かマナカには理解しかねる言葉を続けてから、しばらく考え込んむと、唐突にマナカに問題を投げて寄越した。


 「娘よ、ワシが許す。手間がつけろ」

 は?とマナカは不敬にもいい加減な神の言葉に反発を覚える。そんな芸の待ち合わせはマナカにはない。それにさっきから足や手に雪がじわじわと凍みてきていい加減凍えて死んでしまいそうだった。


 「では、白髪鬼様と…」

 「その名は好かぬ」

 再びぴしゃりとやられ、今度こそ相手が神である事をかなぐり捨て叫びだしたくなった。いい加減にしてよ、と癇癪を起こしたい気持ちを何とか理性が宥め賺す。内心は煮え繰り返りながら、なんとか気持ちを落ち着けた後、先程垣間見た神の姿を思った。


 白銀色に輝く髪の毛が美しいと思った。低く耳を捉える少し低い声も。月の光に綺羅綺羅と反射した雪の照り返しを受け、ぼうっと明るく姿が浮かび上がった様はまるで、

 (月のような人…)

 そう思った途端知らずの内にぽつり、と口にしていた。

 「…月人(つきひと)様」

 「なに?」

 「月人様…で如何でしょうか?」

 これで駄目なら好きにしてくれ、と半ば投げやりな気持ちでマナカが問えば、神は暫く、つきひと、つきひとか…と、うろうろと歩き回りながらぶつぶつと、呟く。間を置いてから、ようやく得心したように頷いた。

 マナカの身体はそろそろ限界に来ていた。このままでは手足が凍えて腐り落ちるであろう。そうしたら美味しく無いんじゃないかな、とぼんやりと考えていた。


 「うむ、中々良い字名だ。アキと言ったか、手前に特別にワシの名を呼ぶ事を許す。面をあげよ」


 いつの間に近付いていたのか、頭のすぐ上であの美しい声がする。遂に、とマナカは思った。ぶるぶると震える自分の指先ばかり見ていた目を恐る恐る挙げ、正面から自分たちの神を見る。だが、その視線が神の顔を捉えた瞬間、あっ、と叫んでマナカは今度こそ恐怖で気を失った。


 崩れ落ちる刹那、神の目の中に『暗闇に光る二つの月』を見た、と思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。