12曲
獣道から階段が見えかけてきたとき、今まで黙っていた薫が辺りの様子を伺い小さな声で警告してきた。
『今日の事は他の人には言うなよ』
『もとから言う気はないです』
『ならいい。誰かに聞かれたらまずいからな』
その言葉が別れの挨拶だったらしく、獣道をまた引き返していく薫。
気まずさがあったので、ここで別れられたのは心情的に楽でいい。
日が沈みかけていき、東の空がくすんだ群青色で塗り替えられはじめた頃、自宅へとたどり着いていた。
玄関に入ってただいまと声をかけたけど、母親はまだ帰ってきておらず、自分の掛け声は誰にも聞かれずに消えていく。
今は幾分か心が落ち着いてきたけど、一人で居ると先程のやりとりが蘇ってきて心の中をぐるぐると渦巻いて支配していく感覚を覚える。
仄暗い箇所があれば少しでも追い出す様に、廊下と部屋の電灯のスイッチを点けていた。
心の中に巣食ってしまった何かは追い出せそうにもなく、じんじんと胸に痛みを呼び起こしている。
ふと我に返って考えてみると、英一の話はどこまで本当なんだろ? そもそもどこから知り得たのかな? 疑問が湧くばかりでどうしようもないから、取り敢えずTVを点けてみたけど、相も変わらず、何処かの地方の戦争の状況を報告し続けるだけで、目ぼしい情報を流す様子は見受けられなかった。
ソファーに横になりながら、欠伸を噛み殺して退屈すぎる番組を眺めていた。
気がつくと、辺り一面が真っ暗な所にいる私。
目を擦ってみても視界は悪いまま。視力が極端に下がったのか他の要因なのか分からないけど、何も視認できそうにない。
身体の自由はきくようで、手足は思い通りに動かせるけどその部位を見る事ができない。
まるで目を瞑って四肢を動かしているみたい。
声を出そうと張ってみても、何も聞こえない。耳が悪いの? それとも声?
なんなのこれ? 私の身に何が起きているというの?
恐る恐る片足ずつ動かして地面の感触を覚えながら進んで、両手で周囲に何かないか探ろうとするも、虚空を切るだけで何の感触も得られない。
なんなのここ? いつここにきたの?
代わり映えのしない状況に不安で胸が押し潰されそうになり、ちくちくとお腹が痛くなって呼吸が浅くなる。
頭の中を恐怖が駆け巡っていく感覚で支配され始めているのがよくわかった。
怖い。怖い。怖い。誰か助けて。
ーー突如、緞帳が上がったように漆黒で塗り尽くされていた世界に眩い光が降り注いだ。
『こんなところで寝たら風邪ひくよ』
ぼやけた視界に映ったのはお母さん。
いつの間にかに眠ってしまっていたようで、私の身体を揺り動かしながら声を掛けてくれている。
起き上がって自分の身体を見ると、制服を着たまま横になってしまったから、皺くちゃになっている。
『ちょっと! なんでこの上履きこんなに汚れているの?』
母はバッグからはみ出して床に転げ落ちている上履きを掴んで、文句を垂れている。
『後で洗うから、玄関にでも置いといてー』
そうは答えたものの、物凄く眠いから今すぐベッドで横になりたい。
怖い夢の続きを見るかもしれないけど、眠気には勝てそうにもないし。
『今日はもう寝るよ。おやすみ』
『晩御飯は? 服もアイロン掛けないとダメじゃないの?』
ゆっくりとした足取りで二階に上がるなか、階下では母が何か喚いているようだけど、今日は無礼講って事で許してね。今日はもうおやすみなさい。




