10曲
英一に案内されて、恐る恐る玄関をくぐり抜けた私と円。
円はか細い声で私の耳元に囁くようにつぶやく。
『二人してコスプレなのかな? 大丈夫なの?』
『聞こえちゃうよ。多分だけど違うと思うよ』
『やば』
私たちのやり取りを怪訝そうに見つめてきた薫に、わざとらしく会釈をしてみせた。
少しは効果があったのか追求されずに済んでよかった。
上がり框で靴を脱ごうとした時に、英一が呼び止めてきた。
『入る前にこれを舐めてくれないかな?』
目の前に2本の綿棒が差し出されたので、英一の真意を図ろうと訝しむように凝視してみせたら、ニコッと胡散臭い微笑みを返してきた。
『なんですか、これ?』
ただの綿棒にしか見えないけど、どんな意図があるのか読めない。
『菌糸に侵されてないか、唾液を調べようと思ってね』
『きんし? 何を言っているのかよく分からないなぁ』
円は明らかに嫌がっており、煙たそうに綿棒を眺めている。
『これから分かる範囲で教えるから、ひとまず試してくれないかな』
『いや。なんだか気持ち悪いよ。こんなことする位なら帰るよ。ねぇ?』
円は英一に拒絶を示すように背中を見せて、困惑気味な表情で私に訴えかけてきた。
気持ちは凄くわかる。私だってこんなよく分からないもの舐めたくもない。
ここまで来てくれた友達を蔑ろにしていいのかと戸惑う気持ちもあったけど、この好機を逃したら
何も分からないまま無為に時間が過ぎていく日々が再開してしまう。
ごめん。ごめん円。
『ごめん。私は帰らないよ』
『え?』
予想していなかった回答だったんだろうね。一言洩らしたきりきょとんとしている。
『私は舐めるよこれ』
『ほんとに?』
『うん』
『そっかぁ。私は遠慮したいから帰るよー』
力ない返事をして、とぼとぼと玄関から抜け出ていこうとする。
『円、靴ありがとね!この埋め合わせは必ずするからっ!』
円は後ろを振り返って陰りのある微笑を浮かべたあと、進行方向に向き直ってこの場を後にした。
黙って事の成り行きを見守っていた英一は、頃合いを見計らったかの様に改めて綿棒を私の目の前に突き出してきたから、半ばやけくそに掴んで口の中に含んでやった。
コロコロと綿棒を口の中で転がして脱脂綿に唾液を染み込ませたあと、英一に突き返してやった。
何食わぬ顔で受け取ったのち、透明な溶液が入った長方形型のプラスチック容器に落とし込み、ゴム製の蓋をしたあと軽く振っている。
『それで何がわかるんですか?』
『詳しくは奥で話すよ』
確認作業が終わったのか、何かに納得したようで容器を透明のビニル袋に包んでゴミ箱に放り投げた。
ちらっとゴミ箱を覗き見てもさっきと何も変わらない無色透明なまま。
『どうだったんですか?』
『なんともなかったよ』
英一は興味もなさそうに言いきって廊下を歩みだした。
歩調を合わせる様に薫もついていくので、私も急いで靴を脱いでついていった。
廊下の奥に部屋がありその中に入っていく英一。
室内を見渡すと何に使っているのか用途不明な機械と、何かの数値を推し量っているのか計器類が接続された物が所狭しと床を埋め尽くしてあった。右の壁側に長テーブルが置いてあり、その上に電子レンジみたいに大きいサイズの古臭い感じのモニターと薄型モニターの二つが置いてあり、電源を切っているのかまっ暗い画面のまま。下の方をみると四角くごつい筐体が緑色のランプを明滅させている。左の壁側には作業台がありスプレー缶に小細工をしている最中なのか、ノズルの様なものと一緒に置いてある。壁側に注意をむければガスマスクがいくつかかけてあることに気づいた。
この異質すぎる空間で何をしていると言うのだろう。
英一は部屋の中に入るなり、右手側のテーブルに向かい、椅子に腰を下ろした。
『薫。もしかしてこの子が生物と遭遇した子かな?』
薫もその並びにあった椅子に自然な動作で座ったので、定位置なんだろうなと思わせた。
『そうですよ。あれからしつこく付きまとってきてうざいんですけどね』
不快感を隠そうともせずにこちらを値踏みするようにみつめてきた薫。
英一はそっかと呟いて、私の身体をくまなく観察する為かあちこちと凝視してきたからなんか嫌だ。
『あんまり見つめないでくれますか』
『悪いね。他意があった訳じゃないんだ』
首を少し左右に振ったあと、ワザとらしく咳払いをしたあと見てあげてきた英一。
『この国で何が起きているか、君が何を把握しているのか教えてくれる?』
『私の方こそ知りたいから、ここまで来たんですが』
『そう。まずは君の知っている事を把握したい。それから話すから』
英一は椅子から少し身を乗り出して前のめりの姿勢になった。
『戦争が終わらないからミサイルは飛んでくるし、最近は幼児位の大きさの生物が現れたり、あとは……任命で人が死んだり』
言葉に出してしまうと、芳樹の顔が浮かんできて抑え込んでいた感情が揺り動かされそうになる。
立ったまま話しているから英一や薫を見下ろす様に視線を落としているせいか、気持ちまでも落ちていきそう。
『戦争なんか既に終わっていると言ったらどうする?』
『え? そんなはずは! だって幼馴染は任命で死んだんですよ!』
『それは違う理由で亡くなったんだよ』
『何言ってるんですか! 今だって警報音はなるしこの前だってミサイルが飛んできたの見ましたよ』
『落ちてどの位の被害があった? 大したことなかったんじゃないか?』
『遠目に見てたから分からないですけど、飛んでる事実があるじゃないですか』
『それ本当に自分の目で見たの?』
『見ましたよ。白い煙みたいなの撒き散らしていましたから』
『よく見れたね。怖くなかったの?』
『身を隠した所で意味が無いって思ってますから』
『破滅的な考えだね。まぁでもその考えはあながち間違っていない』
『何がですか?』
『その思考だよ。面白いね君』
英一は私の受け答えにくつくつと笑い終えた後、落ち着き払ってから呟いた。
『自演だよ。やらせを利用して引き延ばしているだけなんだ』
何を言っているんだこの人は? 今の私の頭の中には無数の疑問符が生まれては消えずにいる。
英一が口を開いている間、薫は何も言わずに私たちのやり取りを静観しているのか黙ったまま。
『自演て、自作自演のことですか?』
『それで合ってる』
英一は自分の両膝の上に両肘をついて指を絡ませて、その上に顔をのせてこくりと頷いてみせた。
『よく分からないんですが』
『よくわかった。君が理解していないことは良く分かった』
『英一さん。これ以上は言わなくて良いんじゃないんですか』
今まで黙っていたくせに、口を挟んできた薫。
『薫も頑なだね。ここまで来たんだし何より体験者だから話ししても良いと思うんだ』
『英一さんがそこまで言うなら……でも、その前に確認させてください』
ん?と英一が薫の方を窺ったけど、薫の視線は私に向けられていた。
『聴く覚悟が。本当に、あるんだな?』
キリよりも鋭そうな細い眼差しが注がれたけど、覚悟はとっくの前に決まっていた。
『もちろんです』
怯まずに見つめ返して短く言い切ってやった。




