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シンデレラの物語 (下)


9、

 翌々日、王子は国内に触れを出した。

 舞踏会の晩、硝子の靴を履いていた美しい娘を捜していると。



 王子の動きは速かった。あまりにも早すぎた。

 呼びに来た兵士とともに、喧噪にまみれた会場に駆け戻ると招待客を鮮やかな手際で落ち着かせた。また忠実な部下を使い、舞踏会の開催を妨害した反逆者たちを一掃した。


 灰かぶりに魔法使いと呼ばれた四人は朝を待たずして捕縛されたのだ。


 女は王城からドレスを発注される仕立屋の針子をしていた。長身の男は舞踏会のために招かれた貴族の従者だった。矮躯の男は城の裏手にある林に潜んでいたが、騒ぎが起きた直後、逃げる暇もなくあっという間に取り押さえられた。長老と呼ばれた老人は深夜に兵士が家の前を訪れると、失敗を悟って大人しく捕まった。


 彼らを即日処刑しようとする大臣を、王子はそっと諫めた。


「君たちが隣国から送り込まれた暗殺者であることは、すでに調べがついている」


 彼らは無言だった。一切の情報を漏らすまいとして死を選ぼうとすらしていた。だが、即座にそれをしなかったのには理由があった。


「もうひとり、いるだろう?」


 誰も顔色を変えなかった。相応の訓練をされている者たちだ。

 そんな彼らをして、彼女はその振る舞いで、その生き方で、魅了したのだ。


 彼女は王子を殺そうとして失敗した。だからこんなことになっている。四人はそう信じている。彼女が王子を殺すつもりが一切無かったことになど気づいていない。恐ろしいことだった。百戦錬磨の間諜どもが彼女にだけは盲目であったのだ。こうして自決せずこの世に留まっているのは、彼女の生死、いや、無事を知りたいからなのだ。


 縄をかけられ、身動きを封じられた四人に向けて、王子は優しくほほえんだ。


「彼女がどうなったのか。今どこにいるのか。それを知りたいのは僕も――余も同じだ。あの娘はたしかに余の前にいた。にもかかわらず、あの騒ぎの最中、彼女は姿を消してしまった。余はあの娘が欲しい。……そうだ。誤解を恐れずに言うのであれば、余はあの娘に恋をしたのだ」


 どよめきは兵士からか、あるいは大臣や大貴族たちからか。一方で納得の雰囲気もあった。それほどの美貌だった。色に狂うのも当然と感じるほどの、凄まじい存在感。煌めきと華やかさを鏤めた、神によるものと言われれば信じるほどのひとのかたちをした宝石。人間であればあの娘をこの手に抱きたいと欲するのは無理もない。


「あの娘の名は」


 誰も声を発しない。

 王子の声は涼やかで、だからこそ切れ味を感じさせる鋭さに満ちていた。


「では、あの娘の帰る家は」


 静寂は深く重く続いている。王子の醸し出す気配には、邪魔者を悉く除く意志が溢れていた。

 だが、音は戻らない。ただひとり王子の言葉だけが、意味あるものとして広間に響く。


「あの娘について知っていることを話してくれれば、その者だけは無罪放免としよう。当然、他の者は死罪だ。他国の間諜をおめおめと生かして返す理由などないからな」


 それでも無言のままだった。


「……なるほど。そこまでのものか」

「殿下!」

「なんだ」

「……本気、でございますか」

「正気かどうかを聞いた方が早いぞ。まあ、恋に落ちた者が正気を語るなぞ笑い話にもならんが。余はあの娘を選んだ。他に何か理由が必要か」

「い、いえ」


 王子の言葉から本気を感じ取ったか、それとも冷たく見据える瞳に恐れをなしたか、口を挟んだ重臣のひとりは後ずさって、王子の視界から逃れた。なるほど。周囲を見回せば、物言いを付けたがっている者の顔がいくつか見える。王子は嘆息し、この場に集まった国家の重鎮へと語りかけた。


「そもそもあの舞踏会は余の結婚相手を探すためのものではなかったか。まあ、そこにいる老爺が発起人らしいがな」

「な、なんと! まことでございますか!?」

「もう少し諜報に力を入れるべきだな、大臣。いや、市井からの声に隠れた巧妙さを褒めるべきか。ともあれ済んだことだ。さて……皆、余が独り身であることを不安がっていたのだろう?」


 王子に対し、直裁に言える者は少なかった。父である国王はこの場におらず、大臣は今の一件で上から言うことが難しい。他の者は王族に意見できるだけの貫目がない。


「青き血を残すのは王族の責務だ。が、政略結婚をしようにもろくな相手がおらん。隣国は此奴等のような間諜を送ってくる相手だし、その先にあるのは蛮族どもの国家だ。逆方向には王族の娘はおらんし、普通の貴族の娘を嫁に迎えるには時勢が悪い。とすれば国内の大貴族に目を向けるのが自然だが」


 じろり、と王子は集まっている者たちをにらんだ。


「隣国との戦争に勝ったはいいが、貴殿らは政争ばかりしていて内政を疎かにしすぎだ。余に嫁がせた者が優位に立つ、というだけではこの国の未来は暗い。ならばいっそ平民からと考えたのは悪くないが……舞踏会という場を選んだ――選ばされたのは悪かったな。開かれた王室と呼べば聞こえは良いが、余程気をつけねばこうした草が入り込む」

「あの、殿下。先ほどからの話からすれば、舞踏会の注目を集めたあの美しい娘は、こやつらの仲間と聞こえるのですが」

「そう言っている」

「……殿下!?」


 悲鳴じみた声が上がった。


「それがどうした?」

「どうしたもこうしたもありませんぞ! 殿下! 遊ぶのも大概にせよと――」

「陛下の許可ならもらっている」

「……なんですと」


「好きにせよ、との仰せだ。陛下は、余が女遊びひとつせずこの年になってしまったことをひどく嘆いておられた。やがて衆道に走るのではと心配らしい。誤解無きよう言っておくが男色の気はないぞ。ああ、もちろん女性の肌を知らぬわけではない。無論筆下ろしは済ませてあるぞ。最初の戦場に立つ前にな」

「戦場に立つ前……十歳を越してすぐではありませんか! 相手は誰でございますか! いや、問題にならぬよう金を掴ませておかなければ」


「そうした心配はいらぬ」

「で、ですが!」

「いらぬ、と言った。くどい」

「……は、差し出がましいことを申し上げました」


 空気の潮目が変わったことを利用して、王子は再度語りかけた。


「余は遊びで言っているわけではない。あの娘こそ、余の伴侶にふさわしいと言っているのだ」


 その言葉は、話の終わりを意味していた。


「さて、あの娘のことを語らぬというのならそれも良し。自らの死よりも価値があると他国の間諜がその身を以て証明したのだ。一国を揺るがさんと策謀するものたちですら、あの女の魅力には抗えぬ。これほどの女を捜すことは難しいだろう」


 四人は目をつむり、ただ無言を貫く。

 王子は続けた。


「……あの娘は余を殺そうとはしなかったがな」


 動揺が、現れた。四人の誰かではなく、すべてから。

 王子がそれを教えずにいたのは、この瞬間のためであった。


「そうだ。お前たちは裏切られたのだ。余を暗殺するためと称してせっせと積み上げた苦労は、あの娘が余の前に現れるための踏み台に過ぎなかった。あの娘は自らの価値を知っていた。その売り込み方はまるで歴戦の商人のそれだ。商品の値段をつり上げるためにどうすれば良いかを知り尽くしていた」


 玲瓏な容貌に、わずかに意地の悪い笑みを浮かべ、王子は彼らを見下ろしている。


「あの娘と余は賭けをしたのだ」

「……何を」


 ついに、長老が口を開いた。その眼差しは怒りに打ち震えているのか、それとも悲しみによるものか、揺れる輝きに王子は視線を返した。老爺の王子に対する不躾な睥睨を叱りつける者はいなかった。場の雰囲気に飲まれていたのだ。


 賭けの内容は口にしなかった。ただ、こう言い添えた。


「名乗らなかったあの娘は……幸せになりたいと口にした。そのために余に手伝えと」


 王子は肩をすくめた。


「こういう場合、心を射止められた、と言うのだったか」

「……は、ははは! はははははははは!」


 長老は呵呵と笑った。これほどおかしいことがあるか! これほど愉しいことはあるか! 見れば、四人全員が同じように愉快そうに笑っていた。楽しくて楽しくて仕方がないと言いたげに!


「なにがおかしい」


 軽やかに笑いを止めると、長老は口元をつり上げた。


「……確かに、儂らが願った通りのことをしてくれたのだと思いましてな」

「ほう」

「王子の心臓を射止めて欲しい。そう言った覚えがあります」

「図らずも、その願い通りになったと。あの娘はお前達の言葉をあえて曲解したとでも?」

「さて。そこまでは……」


 王子も長老も分かっていた。

 これが茶番に過ぎないことは。単なる言葉遊びでしかないことは。


「いくさばに謳われしあの殿下が、ひとりの町娘との恋に狂った! これは! ただ殺されるよりありえぬことではありませんか!」

「かもしれんな。……衛兵! こやつらを牢に繋いでおけ!」

「はっ! かしこまりました!」

「処刑は明日だが、先に布告せよ。近隣の町に知れ渡るようにな」


 はっとした長老に、王子は凍るような眼差しで見つめた。


「ご老人、有力な情報を感謝する。……そうか、あの娘はただの町娘だったか」




10、

 魔法使い――隣国の間諜である四人は、王族の命を狙ったとして朝のうちに処刑場に運ばれた。

 空は青く、空気は冷たく、雲一つない冴え冴えとした景色だった。物見高い野次馬たちが集まり、四人の顔ぶれを見て恐れおののいた。

 彼らを隣人として知っている者も数多くいたからだ。


 町の中に潜伏している数年間に、四人は大勢の知己を得た。近所づきあいにも精を出し、友人と呼べる間柄の者も少なくなかった。そんな町民達は彼らの裏の顔を知って、怒りよりも悲しみを強く覚えたようだった。


 そして王子の手の物が処刑場近くに来た住民達をさりげなく見張っていた。探すのは少女と呼ぶべき年齢の若い女性だ。手がかりはあの美しさ、あの存在感のみ。だからこそ舞踏会の会場に足を踏み入れ、直に見た者を選りすぐって捜索隊として結成させた。


 一目見れば分かる。命じられた仕事に手を上げた者たちは口をそろえて言った。あの娘なら視界に入りさえすれば必ず判別できると。


 朝から昼へ、そして夕方へ。さほど広くない処刑場である。助け出せないよう罪人に近づける距離は決まっており、見物人には声を交わすことも許されない。もちろん声を届けることはできるのだが、共犯者として疑われたくないのが人の常だ。


 誰もが遠巻きにその瞬間を待っていた。夕刻の芒とした明るさがかすかに薄れてゆき、そのまま夜の帳が降りてくると、四方に篝火を焚かれた。そして決められた時刻になり四人の首が切断されるその瞬間まで、何の異常も起きなかった。


 影に潜み、周囲を伺っていた王子の部下たちはあの娘がこの場に来なかったことに失望したりはしなかった。

 王子から賭けの内容は聞いていた。わざわざ自分から見つかりに来るような間抜けはしないだろうし、彼女にとっては、もはやあの四人に接触する理由も見届ける必然性も皆無だ。


 処刑がつつがなく終了し、大量の野次馬たちが口々に勝手な想像を膨らませながら、散り散りになってゆく。その雑踏の隙間に見物客を抑える役を与えられていた一人の兵士が、何か輝くものを発見した。汚らしい袋が落ちていて、その口から中身が一瞬覗いたのだ。


 彼は拾い上げた袋を拡げた。あったのは、まばゆいばかりのネックレスとティアラだった。それひとつで大きな家が一軒買えてしまうような、庶民どころか貴族にすら簡単には手に出来ない希少な装飾品だ。なぜこんなものがここに落ちているのか。


 兵士はそそくさと袋を懐に忍ばせようとしたところ、数人の男に即座に取り囲まれた。


「隠匿しようとしたな?」

「いえ、その」


 兵士は顔を蒼白にして、震えた。



 王子の部下たちは二手に分かれた。兵士からこの場にふさわしくない装飾品を取り返す班と、散らばっていった見物人のなかにあの少女を見つける班とに。

 しかし追いかけようにも、それらしい女性は見えなかった。


 協力者がいたのかもしれない。装飾品を見分すると、やはり舞踏会であの娘が身につけていたものだった。売り払えば一財産にもなるものを、うかつに落としたとは考えにくい。こんな場所に高価な品を持ってくる段階で無理がある。


 つまり、この状況を見計らい、あえてわざわざ捨てに来たのだ。こうなるとドレスもとうに処分されているだろう。貴金属と違い、ドレスは焼き払ってしまえる。暖炉の奥にでも放り込んで火を点ければすべては灰になる。


 報告を受けた王子は、そうか、と静かに頷いた。

 やはり見に来たのだ。彼らの最期を見届けるために。そしてこの行動を町娘に不釣り合いな物品の廃棄にも用いた。おそらくは本人が。


 だが、どうやって部下の目をかいくぐった。あれほどの気品。あれほどの美貌。たとえばフードで隠したところで、見つからないはずがないというのに。


 確かにひとの数は多かっただろう。しかし注意深く調べたはずだ。見落とすような粗忽をやるだろうか。王子は思案する。そして知る。部下の無能ではなく、相手の有能さを信ずるべきだと。


 単なる町娘! あれが、町娘に過ぎないだと!


 突然、笑いがこみ上げてきた。こんな方法で容易く見つかると思っていた自分が恥ずかしくなった。

 そうだ。全力を出さねばならない。


 この国の王子が用いることができるすべての力を使って、全身全霊であの娘を追いかけなければならない。そうでなければこの渇きは癒せない。そこまでして、ようやくあの娘の前に立てるのだ。


 賭け! そうだ、これは賭けだ! これまでしたことがなかった、全力を出してすら、勝つか負けるか分からないほどの一世一代の大勝負だ!


 王子は部下を呼び、ありとあらゆる手段を講じて娘を捜させた。


「……すでに手の物に調べさせておりますが」

「全力で、だ」

「我々にも方々を当たれ、と」


「ああ、とはいえ……おそらく装飾品からも、ドレスからも、あの美貌からも、いっさい手がかりは得られないだろうが。しかし全力を尽くすと決めたからには、無駄かもしれずとも手をかける。悪いな。王国の手足たる君たちに、僕のわがままにつきあわせて」

「いえ、お力になれるのであれば。我々は、殿下のお声がなければ先の戦場にて散っておりましたゆえ。それに……」

「なんだい」


「嫁取りは、国の行く末を決める大事にございます。全力を発揮するのはむしろ当然のことと」

「……それもそうだ。ああ、僕も動く。数人連れていくけど、単なる護衛だから衛兵でいいかな」


「殿下?」

「全力と言った。僕の手を空いたままにするわけにはいかない」

「しかし」

「招待状を送ったすべての家に足を運ぶだけだ。あの硝子の靴を持ってね」

「国中にお触れを出し、まとめて呼び寄せば良いのでは?」

「あの娘は、自分を見つけろと言ったんだ。呼ぶだけで素直に来ると思うか」

「……いえ」


 王子は笑っていた。何の意図もなく、ただ自然に笑みが浮かんできたのだ。





11、

 耳ざとい義姉たちと継母は、先日出された布告についてああでもないこうでもないと侃諤の議論を交わしていた。

 王子の元に残された硝子の靴、そしてあのときの娘を捜しているとの言葉。


 すでに隣町の見分は済んだらしい。恐ろしいことである。王国始まって以来の椿事と呼んでも否定の声は出ないだろう。

 王子自らが一戸ずつ回ってその家の娘を見定めようというのだ。すでに近隣五つの村と町に足を伸ばしたようだが、求める結果は出なかったそうである。


 王族の来訪。それだけでも一般市民にとっては恐れ多いことなのに、その理由が会場から逃げ出したあの娘を欲してのことだという。


 嫉妬で身を焦がしそうだった。王子は未婚であり、彼に身を求められることは、女にとって今この国で考えられるもっとも栄誉あることだ。

 他のどんな名声も王子に欲されることを前にすれば霞んでしまう。たとえ婚姻まで決まらなくともかまわない。


 王子に抱かれた。王子に求められた。

 それだけで女性としての価値は他者とは比べものにならないほど高まるのだ。愛妾として王城に呼ばれたなら、その扱いは側室とさほど変わらない。高貴に連なるものとして栄華が約束されるに等しいことなのである。


 三人はあのとき舞踏会の会場にいて、輝く娘をその目でしかと見たのだ。同じ女の視線から見てもため息が出そうな美貌と可憐さ。

 格が違った。

 あれに比肩しうる存在などいやしない。そのわかりきった事実はしかし招待された女性たちには何の慰めにもならなかった。あまつさえその栄誉を投げ捨てるような真似である。逃げ出すだなんて、ありえない。不要ならば代わって欲しい。

 そう請い願う女たちがいったい何十、何百人いるというのか。


 無論、直にあれを目にしてしまったのだ。自分たちが成り代われるとは思わない。思わないのだが、それでも王子の目に留まる可能性を思えば、王子の来訪を待ちわびようものだ。本人が見つからないのであれば、代替で妥協する気になるかもしれない。

 贅沢は言わない。ただ一夜の情けでもいただければ、というのが継母の意見だった。


 義姉たちの意見は違った。上の義姉は正室の座を射止めようと、朝から張り切ってめかし込んでいる。さすがに舞踏会の会場に行くにあたって着飾ったドレスでは自宅との釣り合いがとれないため、わずかに町娘らしい純朴さを覗かせる衣服を意識している。

 下の義姉は己の身体が性的魅力に乏しいことを分かっていてか、わざとらしいほどに露出の多い服を選んだ。とはいえ継母の年を考えない若作りよりはましであると自分を慰めながらではあるが。


 灰かぶりはひとり屋根裏部屋で息を潜めていた。灰かぶりが言い出したことではない。三人が一致団結して今日は一日彼女を外に出さないと結論づけたためだ。王子とすれ違い、万が一にも見初められたりしないようにと偶然をも起こさせないための涙ぐましい嫌がらせである。


 灰かぶりは唯々諾々と従った。否やを唱えるつもりも、その必要もなかった。この詰まらぬ日々は、今日ですべてが終わるのだ。


 奇しくも今日は、あの舞踏会が開催された日から一週間が経つ。すなわち王子との賭けの最終日であった。


 一軒ずつ確かめ、王子は町中を巡り歩いた。王子の来訪を知らされながら不在であってはならないと、来る日付、時刻、順路はすべて決められていた。今か今かと待ちわびる三人の声を階下に聞きながら、灰かぶりは薄暗い屋根裏部屋の冷たい空気に浸っていた。


 静かで寂しい空気だ。

 様々なことを教え、ずっと親切にしてくれた魔法使いたちは皆死んだ。


 彼らが遺してくれたものは、すべて灰かぶりの身についている。自分を最大限引き出す化粧の仕方。一言から男を喜ばす口調。教えられずば身につかぬ気品。何も彼もを映し出す仕草のひとつひとつ。ドレスもティアラもネックレスも硝子の靴も失い、それでも灰かぶりの手には残っているものがある。


 灰かぶりは待った。


 階下の三人の期待なんかより、ずっと強い希望を抱えながら。しかしそれをひたすら押し殺し、息を止めるようにひそやかに胸の奥に隠し、いっさいが過ぎてゆくのを空気のように揺蕩いながら。

 はたして、王子はついに現れた。先触れがあり、王子が来訪する。この家に招待状が三通届けられたことを従者から聞き、継母と義姉二人の顔を見つめた。


「……違うな」

「では、次に参りましょう」


 灰かぶりはそのやりとりを屋根裏部屋の床に空いた、小さな穴から覗き見ていた。王子は何か不思議そうに首をかしげ、家の中に軽く視線をやった。


「ふむ……この家は三人だけなのか」

「はい、その通りでございます」


 あっさりと嘘をついた継母に、義姉二人は異を唱えなかった。灰かぶりの存在はないことになっているらしかった。王子はふむ、と小さく頷いた。


「邪魔したな」


 そして、そのまま去ろうとする。



 灰かぶりは、ため息をこぼしそうになり、それを手で押さえた。音はしなかった。王子も気づいた様子は見当たらなかった。


 灰かぶりは自分を見つけて欲しいと希っていた。

 しかしそのために自分から王子の前に出て行くつもりは皆無だった。


 何のための賭けなのか。あの王子を本気にさせねばならない。だから決して自分から負けに行くことは出来ない。勝負とは自分と相手が同じだけの価値を見いだせなければ成立しないものだからだ。負けたがる自分と、勝ちたがる相手。それを誤ってしまえば、灰かぶりには彼を受け止めるだけの価値を失う。


 意地になっているわけではない。そうでなければ意味がないから、こうして息を、心を殺して、王子の目から逃れなければならない。


 最終日だ。

 今日で終わりなのだ。すべては。賭けは。

 灰かぶりが勝つ。


 賭けに、勝つ。それが何を意味するのか、灰かぶりは知っていた。決めていたからだ。


「……お待ちください!」


 継母が、叫んだ。

 灰かぶりは心底驚愕した。いくらなんでもありえない。そんな真似を平気でするとは思わなかった。しかしよく考えれば、舞踏会の夜に灰かぶりが交わした会話も、見せつけた態度も、これよりもよほど無礼で立場など弁えていなかったことに気づいた。


 王族の行く手を遮るなどという凄まじい非礼をしたのだ。


「余の用は済んだのだが」

「わたしの娘たちは殿下の好みには合いませんでしょうか」

「貴様、下民の分際で殿下に何を!」

「……まあ待て。そこの二人のことか」


 王子は灰かぶりかどうかだけを確かめていたために、義姉たちの見目形には一切気を払っていなかったようだ。


「……ふむ。いいだろう。確かめてみよう」

「殿下!?」


 従者の一人、お目付役らしい老人が驚いた。だが王子の強い視線に、小さな敷物を床に置き、その上に持ってきていた硝子の靴を並べた。


「履いてみるがいい」

「これが似合えば、殿下のお側にこの娘達を置いていただけるんですか!?」


 継母の必死な声は、ほんの少し滑稽で、それ以上に恐ろしかった。王子は怒っていなかった。かすかに目を細めただけだ。


「ご婦人。あなたも履いてみれば良い」

「……え」


 この展開は予想外だったらしく、継母は目をぱちぱちと瞬いた。が、王子の言葉を良い方に受け止めたようで、いそいそとその履き物を脱いで、硝子の靴に足を入れようとした。


 無理だった。

 足の大きさの時点で不可能であることは、この場にいる全員が承知していた。継母一人だけが分かっていなかった。当人は恥をかかされたと思ったかもしれないが、大言に不敬とそろった発言を行ってこの程度の羞恥で済んだのだから幸運だろう。王子はそれ以上罰するつもりもないらしかった。


 ただ、一応義姉たちを促した。

 上の義姉が硝子の靴に足を入れた。


「あっ」


 すぐに脱いでしまった。いぶかしげに、下の義姉も硝子の靴を履こうとした。足は入った。だが、みるみるうちに顔色が変わった。王子の前で取り繕っていた笑顔が崩れ、ゆがみ、引きつっている。


「……分かったか」

「はい。申し訳ありませんでした。……お母様、これは、無理です」

「ど、どういうこと! 足は入る、ちゃんと履けるんでしょう!?」

「大きさだけなら。……でも、履き続けるのは、まして痛みや苦しみに耐えたまま、あの娘みたいに余裕の笑顔を振りまくだなんて、どう考えても無理よ」


 そうだ。

 あの硝子の靴は美しさを追求するあまり構造上の欠陥があり、ただ足を入れるだけでは立っているだけでも激痛が走るのだ。


 王子の前で脱ぎ捨てたのは、あの靴を履いたまま逃げ出すのが嫌だったからだ。舞踏会で一曲踊る。たったそれだけのことがあんなにも大変だったのは硝子の靴のせいだった。


「お手数をおかけしました、殿下」

「良い。実はな、ここに来るまでにも似たようなことがあったのだ。硝子の靴を履けるかどうか、確かめさせて欲しいと。余は、この靴を履けるかどうかではなく、この靴の似合うあの娘を捜していると触れを出したはずなのだが……ひとは皆、自分の見たいものばかりを見て、聞きたいことばかりを聞いてしまうものらしい。言葉の意味を都合良く取ってしまう」

「……殿下?」


 たった一週間前のことなのに、ずいぶんと懐かしく感じる。

 もう二度と履くことは無いであろう、硝子の靴。

 灰かぶりは、階下で繰り広げられた喜劇じみた光景に、そっと息を吐いた。


 ずいぶんと無駄に引き伸ばされたが、賭けは灰かぶりの勝ちで終わるだろう。もうこの家に用はないはずである。

 それなのに、王子はまだ去ろうとしなかった。


 継母の余計な行動が、再びの怒りを買ったとは思えない。


「いま聞こえたあの娘とは誰のことだ」

「それは、もちろん」

「舞踏会に来た娘、だな?」

「はい」

「……余には、別の意味に聞こえた。痛みも苦しみも笑顔で耐える娘が他にもいると」


 継母と義姉たちは、顔を見合わせた。


「もうひとつ聞こう。先ほどの余の聞き方も悪かったかもしれぬ。こう言い換えよう。招待状をもらった者ではなく、この家で暮らしている女性は何人いる? 正直に答えよ」

「それは、その」

「四人でございます、殿下」


 口ごもった継母に代わり下の義姉が、申し訳なさそうな顔で答えた。

 王子は怒らなかった。ただ首をひねった。


「……招待状が届けられなかった者がいる、と。だが、あの娘は確かに招待状を持っていたはず」

「回収された招待状も、この家の住所になっているものは三通でございました」


 部下が言い添えた。王子は眉をひそめた。


「舞踏会の会場で、入り口にいた執事が招待状を受け取るのを、余はこの目で見た――待てよ、あの執事……! まさか、あの男だったか!」


 長身の男。最初から会場の設営に関わり、忍び込むときは貴族の従者として、灰かぶりが向かったときには舞踏会の開催者側の人間として、様々なことを仕掛けていた彼。


 招待状は偽物で、それを受け取った彼が懐に隠し、手早く処分したのだ。

 だからこそ招待客をしらみつぶしに捜しても、灰かぶりにはたどり着くことはない。


 そのはず、だった。


 今から考えれば、灰かぶりに繋がる証拠はすべて処分しておいてくれたのだ。

 継母の未練がましい行動によって、潮流が変わりつつあった。

 灰かぶりは手の中のそれを握りしめ、もうすぐ訪れる結末を待ち望んだ。


「残りの一人は、どこにいる?」

「……!? そんなまさか! あの娘はとても殿下の前に出せるような……」

「黙れ! 余は聞いた! 疾く答えよ!」

「は、はいっ。貴人のお目に触れさせられる者ではないため、今日一日屋根裏部屋にこもっているよう命じております……」


 王子はそれを聞くと、勢いよく家の中に入り、きしむ音のひどい板張り階段を駆け上がり、狭い屋根裏部屋の扉を力一杯開いた。

 そして、灰かぶりと目があった。


 ぼろ布地見た服を着て、みすぼらしい格好とぼさぼさの髪の毛の、みじめな少女と。


「……見つけたぞ」

「はい、見つけられてしまいました」


「僕の元に来い」

「わたしを連れて行って、本当によろしいんですか」


 言葉にはしなかった。こんな汚らしい女を、華美の極みたる王子の傍に寄せて良いのかと。魔法使い達と同じように捕らえなければならないじゃないかと。


「手間のかかる女は、嫌いじゃない」

「そう、ですか」


 手を引かれ、階段を下りながら、王子と灰かぶりは語らう。


「なかなか楽しかったぞ」

「ええ。わたしも」


「賭けは僕の勝ちだな」

「はい。わたしの負けです」


 王子には似つかわしくない狭い居間で、二人は寄り添って、言葉を交わす。


「……名前、聞かせてもらおうか」

「灰かぶり」

「本名か?」

「さあ、本名なんて……もう何年も呼ばれていないから、忘れてしまいました。この家に住み着いたあのひとたちも、魔法使いさんたちも、みんなわたしのことをこう呼びます。だからわたしは灰かぶり。灰かぶりという名がふさわしいんだと、思います」


 王子は、そうか、とだけ言った。


「ひとつ聞き忘れたことがあった。灰かぶりよ、賭けに負けたら僕のものになる。では、賭けに勝ったらどうするつもりだったんだ?」

「それは」


 答えようとしたそのときだった。


 おそらくは、この現実離れした展開にあっけにとられていたであろう継母が、突然狂ったように灰かぶりに向かって飛びかかってきたのだ。知らぬ間に包丁が彼女の手に握られていた。王子の前で刃傷沙汰などいかなる結果を招くものか、そんな想像も出来ぬほどに感情が振り切れてしまったらしい。


 あの舞踏会に現れた女が灰かぶりであったという事実。いま王子に連れられて、至上の喜びを与えられるのがどうして自分や血を分けた娘たちでないのかという怒り。すべてがない交ぜになった感情の赴くままに行動に出てしまったのだ。義姉たちは止める暇もなく惨劇を予感し目をつむっている。従者達は必死の形相で継母の暴挙を止めようと詰めかけてくる。しかし間に合わない。


 包丁はまっすぐ灰かぶりの脇腹へ、そこへ王子が身体を割り込ませようとした。

 灰かぶりは、手の中にあった短剣を投げ、継母の太ももへと突き刺した。


 一瞬だった。勢いのままに駆け寄ってくるはずだった彼女は、包丁を握りしめたまま背中を反らして硬直し、泡を吹いて苦しみもがきながら顔を紫色にし、数分経たずに死んでいった。

 あまりの出来事に、王子と灰かぶり以外の全員が凍り付いたように動けなくなった。


「……あのとき言っていた、毒の刃か」

「ええ」

「これで、死ぬつもりでした」

「なるほど、身命を賭して、か。重い女だな」


「王子様に本気で求められる。それってこういうことでしょう?」

「違いない」


 くすくすと、あまりにも場違いな二人の笑い声が、楽しげに響き渡った。その少女の声の艶やかさ、華やかさは、薄汚れたこの姿であってすら、あの舞踏会に現れた美女であることを確信させるに足るものだった。



 少女は己の人生をつかみ取った。

 幸せになりたい。

 そのために自らのすべてを賭けて。


 苦難に耐え忍び、不断の努力を怠らず、ついには王子から妃にと望まれた少女。

 彼女の話はこれで終わりだ。だが、その物語は、いくらか形を変え、今もなお『シンデレラ』として親しまれているという。



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