推しのご乱心
まず疑ったのは聞き間違い。
『アイシテイル』に似た言葉、聞き間違えやすい言葉を脳から引っ張り出そうと躍起になって、なんも出てこなかった。
「好きだと言うとお前と同じような『好き』だと誤解されかねないからわざわざ言葉を選んで……おい、聞いているのか」
アイ・シー・テイル、尻尾が見える、いや、文脈がおかしいし急に外国語が出てくる意味がわからない。
他になんかそれっぽいの、それっぽいの。
聞こえてきた『アイ』が多分全く別の単語だったんだろうけど、じゃあ何って話で。
視線が何故か上がった、というか頭を掴まれて強制的にそうさせられたらしい。
青みのある紫がこちらを射抜くように。
「もう一度言わねば理解できないか?」
「……多分聞き間違えたのでもう一度頼む、なんか変な風に聞こえた」
「ならもう一度言うぞ。愛している」
「I see tail?」
「何故そこで外国語が出てくるんだ、お前は。ふざけて……はいないようだな。なら理解できるまで何度でも言ってやろう」
その後何度か『アイシテイル』とか『ホレテイル』とか。
その言葉をようやく頭の中で変換して、何度か現実逃避したのち、何故推しがそのようなことを言い始めたのかその原因を探ってみる。
私がちゃらんぽらんなことを推しはよく知っている、いい加減でどうしようもない奴なことを十分知っているはずだ。
それなのに何故そんなことを言うのか。
原因を考えて考えて、それでようやくそれらしきものを一つ特定した。
私は、この推しからすると『命の恩人』とかいう奴なのだ。
命救ったやつに惚れたとかどうだかという話はよくある話といえばそれはそう。
だがしかし。
これまでの自分の言動を振り返った。
命の恩人だとしても、だとしてもだ。
うん、これは。
「自室に戻ってたっぷり十二時間以上寝ろ」
「は?」
「疲れているんだ、お前は。それで頭と心が少しおかしくなっている。そうでなければこんなちゃらんぽらん相手に愛しているだなんて単語は出てこない」
見上げた青みのある紫がまるで炎のように。
それはそうだろう、今、かなり不誠実なことを言っている自覚はある。
けれども、そんなことを平然と言えるような女に『愛している』だなんて言ってしまえる精神状態はやはりおかしいのだ。
「こんなことを平然と言えるような女の事を、アンタ様みたいなやつが本気で好きになるわけないだろ。ほら、さっさとお部屋に戻って寝るといい。それで頭冷やせ」
「お前は……僕のことを好きだなんだと戯言を吐いた挙句、こちらの言葉をまともに取り合う気すらない、と?」
「うん」
ぶん殴られるだろうなと思った。
実際、推しの利き手が上がった。
けれどもそれはゆっくりと下される、ぶん殴ってもらっても別によかったのに。
「ふざけるな、僕が今どんな思いで……」
「んー、じゃあ、ちゃんと真面目に答えようか。『ごめんなさい、アンタ様の想いには応えられない』ってな」
私はこの推しのことが大好きだが、本当にそういう関係になろうとは一度も思ったことがないし、この先もそれは同じだった。
この推しと恋人同士になる、というのはまあ悪くない話ではある、恋人同士であるからこそ見られる表情差分も大いにあるだろう。
推しのいろんな顔を見られるのは確かにハッピーなので軽率に『私も大好き』とか言ってしまってもいいのだが、あまりもリスクが高すぎる。
私みたいな奴ですら推している男なのである、私以外にもこの男を推している者はたくさん、とてもたくさんいる。
美麗な二次元の世界からそのまま飛び出してきたような麗しの双子の、その弟の方。
私のように単純に見た目が好きだというものもいれば、当然ガチ恋勢もいる。
それと、ウチの組織にはその手の腐ったお姉様お兄様方がたくさんいるので、そういう意味でもこの双子は絶大な人気を誇っているのだ。
当然この推しは知らないだろうが、この双子のどちらが上か下だとか右か左だとかいう醜い論争があちらこちらの薄暗いところで繰り広げられていたりする。
ちなみに私は推しの方が下だろうなって思っている、推しが推しの兄を掘るとは思えないので消去法で。
そんな薔薇ぁ、な双子の間に急に女が割り込んできたとなれば、ぶっ殺されるに決まっているのである。
あと、この推しとその兄は互いに依存しあっているような関係なので、薔薇愛好者の腐った人達じゃなくて普通にお兄様に私が抹殺されるというのも割とあり得る。
そして、この双子にそれぞれ憑いているこちらもまた双子の天使達、この天使達は自分達と推しとその兄の閉じた関係性をいたく気に入っているらしく、多分すごく嫌な顔をされる。
あんなしもぶくれなむにむにほっぺのマスコット感溢れる可愛いしかない尊い命にそんな目で見られることがあれば、私の精神はその瞬間に死に近しい大ダメージを受けることになる。
なので、そうそういう関係になろうとは思えない、命は大事にしなければ。
もとより私はこの推しの見た目が綺麗でクソ真面目なところが面白いって思っている程度の奴である、そんな軽率な想いだけでたくさんの腐った達が愛してやまない薔薇を摘む気などないのである。
実際のところそういう関係ではないのだろうことは皆理解しているのだろうが。
それでもその可能性を愛してやまない者達がここには確かにたくさん存在して、だからこそその可能性を潰す存在が現れでもしたら、そしてそいつがどんな目に遭わされるのか……考えたくもない。
なのでこの推しがたっぷり眠って正常な精神状態を取り戻して、それでもなお考えが変わらなかったとしても、こちらが考えを改めることはない。
なので一応、私なりに真面目に答えたつもりだった。
私の顔を射抜くように見ていた青みのある紫から炎のような怒りが薄れていく。
弱々しいとか、傷付いた、そういう言葉が多分適切なんだろう表情差分を見せた推しは消え入るような声で「そうか」とだけ。




