File-09【調査報告】天緋金の行方――貯金残高が悲惨です
ぶくぶく、ぶくぶく。
無数のフィルターが空気を吐き出す水音と、生ぬるい湿気。
路地裏にひっそりと佇む『アクアショップ・ミナト』の店内は、水槽の青や緑のライトだけが頼りの薄暗い空間だった。
「はぁーい、琥珀ちゃん。元気してたー?」
店に足を踏み入れた私を迎えたのは、気の抜けたような明るい声だった。
水行の術師であり、裏社会の情報を牛耳る情報屋の湊。
彼は首にタオルを巻き、片手に小さな網を持ったままチャラついた笑顔で手を振ってきた。
「元気に見えてるならよかったよ。それで、例の件……『天緋金』について、洗ってくれた?」
私の単刀直入な要求に、湊は待ってましたとばかりに口角を上げ、手にした網をバケツに放り込んだ。
「そりゃもうばっちりよ。ずっと琥珀ちゃんから依頼はもらってたけど、しばらく上から情報規制のお達しがあって公開できなくてさ〜。ついさっき急に解禁OKになったんだけど……琥珀ちゃん、なんかした?」
「あーー……」
私は眉間を押さえ、深く息を吐き出した。
(思い当たる節はある……。私は何もしてないけど)
脳裏に浮かんだのは、沙羅姫の顔だ。
私が下手に動いて命を落さないように、あるいは『双星比和』の時を迎え、私が生家へ帰らざるを得ない状況を作るために、彼女の権力で意図的に情報を遮断していたのだろう。
相変わらず、腹が立つほど過保護で回りくどいやり方だ。
「で。情報、持ってるもの根こそぎちょうだい」
私が手を差し出すと、湊はタオルで手を拭きながらゆっくりと向き直った。
「はいよ。でさ、琥珀ちゃん。ウチの水槽の維持費、結構バカにならないの知ってるっしょ? 水質管理から温度調整まで、全部こだわりの自腹なんだよね」
つまり、お代の要求。価格交渉の時間だ。
沙羅姫からの依頼をこなして多少の蓄えがあるとはいえ、こちらも自立したてで金銭的な余裕はない身だ。そう高い額は出せない。
「……二百」
「五百」
五百……五百万……!?
ちょっと高すぎやしないか。しかし、天緋金に関する情報は喉から手が出るほどほしい。
「ぬぁーーーっ……三百五十!」
「毎度あり〜」
湊が満足げにニヤリと笑う。
私はため息をついて端末を操作し、湊の裏口座へ即座に送金を完了させた。貯金がゴリゴリと削られていく音がする。
ピロリ、と湊のスマホが着金の手応えを鳴らした。
その額、三百五十万。
「琥珀ちゃんも一応五行のご令嬢なんだからさ、もっとパーっといってくれてもいいのに」
「生憎、家出の身なもので。こっちもこだわりの自腹よ」
私が鼻で笑い飛ばすと、湊は「そりゃ失礼」と肩をすくめた。
「それじゃ、特上の情報開示といこうか」
彼が手元のタブレットを引き寄せた瞬間、その瞳が淀みなく透き通った、明晰な『情報屋』の光を帯びた。
湊の迷いのない操作で、いくつかのグラフと写真がホログラムとして空中に投影された。
「琥珀ちゃんが血眼になって追ってた『天緋金』。市場を洗ったら、面白いぐらい流れが見えてきたよ。――この金属が裏市場に初めて出回り始めたのは、今から八年前だ」
八年前。
私の肩が、びくりと震えた。
あの日、緋月の体に無数の天緋金の針の雨が降り注ぐのを、私は絶望の中で見ていた。
公式には、彼はあの日死んだことになっている。
だが、彼の霊力そのものである天緋金が市場に流れ続けているということは……もしかしたら、緋月は生きているのではないか。
どこかで生き延びて、自らの力で術師として立っているのではないか。
沙羅姫から天緋金に関する話を聞いてから、そんな淡い期待を抱き始めてしまったのだ。
「最初は加工すらできないただの『超希少な宝石』扱いだったのが、徐々に呪術的な加工技術が確立されて『呪具』のコアとして使われるようになった。当初の流通量は微々たるもので、『あの事件』の残骸が加工されているものと思われていた。ここまでは琥珀ちゃんも把握しているよね」
私は静かに頷く。
「ここからが新情報。二年くらい前かな、天緋金が呪具のコアに収まらず、天緋金そのものでできた呪具が流通し始めた。まあ、残骸は大量にあったそうだからね。少量ならまだ説明がつく。でも、奇妙なことに、ここ一年で市場の流通量が爆発的に跳ね上がったんだ。それこそ複数の部隊に供給できるほどにね」
「……この一年で、何があったの」
「さあね。ただ、流通の爆発と全く同じ時期に、裏社会で派手に動き始めた『術師の女』がいるんだよ」
――『女』。
その単語を聞いた瞬間、私の胸の奥で、僅かに灯っていた希望の光がふっと消え去った。
(……緋月じゃ、なかった……)
落胆の色をあからさまに浮かべている私を気遣わしげに見つつ、湊は隠し撮りされた一枚の写真を空中にスワイプする。
裏社会のブローカーたちを侍らせ、高慢な笑みを浮かべる女の姿。
酸化した鉄のように赤茶けた髪も、錆水のような暗褐色の瞳も、不気味なほど艶やかに磨き上げられていた。
「こいつの名前は斑目砂羽。元々は金行・鳴神家本家の最深部で下働きをしてた使用人の娘で、親の手伝いで時々鳴神家に出入りしていたらしい」
湊は空中を器用にスワイプしながら、淡々と解説を続ける。
「おまけにこの斑目家、金行でありながら面白い体質を持っていてね。『霊力が微弱すぎて、他の術師の術式や呪具に一切の干渉を与えない』という特異体質の一族なのさ。並みの術師じゃ霊圧に弾かれてしまうような強大な結界の中でも無傷だし、特級呪具の管理もお手のもの。結果、給仕とか清掃だとか、物理的な世話役として重宝されているらしい。――まあ、本来は前線に立てるような霊力じゃない、文字通り『空っぽの器』の末端さ」
「へぇ……」
私は思わず感嘆の声を漏らした。
他行、しかも使用人の一族に伝わる特異体質まで、独自の情報網を使ってここまで正確に洗い出している。相変わらず、この男の情報収集能力には舌を巻く。
「『へぇ……』って――自分の家のことだろ、もっと興味持ちなさいよ!」
私の感心したような態度を察したのか、湊はわざとらしく大げさに両手を広げてみせた。
「……それはそう」
図星を突かれた私は、小さく息を吐いた。
あの頃の私には、心を許した者以外、周囲の景色など視界に入れる余裕すら残されていなかったのだ。他人の家系や、最深部に出入りしていた使用人の娘の事情に目を向ける道理など、あるはずもなかった。
「……まぁ、琥珀ちゃんらしいけど」
ふっと息をついて、湊は表情を切り替えた。
「ほんで、こっちの写真。斑目とかいう女、結構いい暮らししてそうだよ〜。こんだけ高級ブランドで全身着飾ってさ。自己顕示欲高めって感じ。でも、なんか、猫背っていうか、立ち姿がすげー卑屈な感じだよね」
確かに、湊の言う通りだった。
写真の女は玉座にふんぞり返るように笑っているが、まるで常に他人の顔色を窺っているかのように肩が丸まり、骨の髄まで染み付いた下働きのシルエットが隠しきれていない。
私は冷ややかな目でその写真を見つめた。
「……なるほどね」
『空っぽの器』の家系に、特異的に稀有な能力の術師が生まれた、という可能性はゼロではない。
しかし、古代の伝説の金属と言われる天緋金だ。今代にそんな特異点が二人も現れる可能性など極めて低い。
とすると、あの惨劇の中で奇跡的に残された緋月の『霊核』が、どこかでむき出しに利用されているか、あるいは――。
落胆の色はすでに消え失せ、代わりに私の瞳には、研ぎ澄まされた刃のような凄絶な殺意が灯っていた。
喉の奥で、ひどく冷たくてドス黒い感情がとぐろを巻くのを感じる。
(自分じゃ何も生み出せない分際で……あの子の力を我が物顔で利用している……?)
一瞬だけ店内の水槽がビキッ、と軋むほど、私から恐ろしい霊力が漏れ出した。
湊が「おっと」と片眉を上げる。
まだ推測の域を出ない。落ち着かなければ。
深呼吸をし、私は冷徹に問いを投げた。
「大量の呪具の出所は?」
「もちろん鳴神家さ」
しかし、湊は「はぁー」と長いため息を吐き出すと、首に巻いたタオルを外して白旗のようにひらひらと振った。
「鳴神本家付近の奥出雲の入り口までは追えたんだけどね。正確な生産拠点はどうやっても見つからない。……いや、『見えない』って言った方が正しいかな。あそこの土地には、バカでかい『水神の霊脈』が張り巡らされてるんだよ」
「水神の、ネットワーク?」
「俺の張った水行の探知呪式が境界を越えた途端、土地全体が放つ強大な神気にハレーションを起こして、完全に白飛びしちまうんだ。いくら俺の網でも、相手が『神様の力』じゃあどうにもならない。完全に骨折り損っていうか、お手上げ」
どんな情報でも抜いてみせる湊が、珍しく徒労感を滲ませている。
それだけ鳴神家が、天緋金という極上の『核』を徹底的に隠し通している証拠だ。
「けど、今週末、連中が主催する大規模な裏オークションで、この女術師が新作の呪具をお披露目するって情報を掴んだ。……ただ、会場は徹底したブラインド方式だ。VIPの招待客にしか、それもオークション当日にしか座標が知らされない仕組みになってる」
湊の言葉を聞きながら、私は思考を整理する。
現時点での目標は、天緋金が搾取されている『生産拠点』を割り出すことだ。
そのためには、まず第一段階としてオークション会場に潜り込み、あの女と直接接触する必要がある。
湊の読み通りの自己顕示欲が強い性格ならば、言葉を交わして適当に煽り立てれば、拠点のヒントになるようなボロを出すかもしれない。
それに、天緋金の呪具を直接目にすることができれば、何かわかることがあるかもしれない。
だが、力業で闇雲に会場を探し出し、正面突破で乗り込むのは得策ではない。
怪しまれずに潜入するには、正規の『招待状』がどうしても必要になる。
そう結論づけて視線を上げると――目の前の情報屋は、すでにカウンターの上に黒い革張りの小さなケースを置き、ニヤニヤと商売人特有の厭らしい笑みを浮かべて待ち構えていた。
「……何それ」
「いやー、琥珀ちゃんなら絶対『これ』が必要になると思って、あらかじめバッチリ手配しといたよ。俺ってば気が利くっしょ?」
パチン、と留め具を外し、湊はテレビショッピングの司会者のような胡散臭い笑顔を全開にさせる。
「こちらに『闇オークションの招待状』、『水行の偽装ID』。それと、琥珀ちゃんの金行の気を完全に誤魔化すための『水行への特級偽装呪符』。……身元を洗われても絶対に鳴神の人間だとバレない、完璧な潜入三点セットがありまーす」
じゃじゃーん! という幻の効果音が聞こえてきそうなドヤ顔で、湊がケースの中身をこちらへ押し出してきた。
そこには、黒いカードと精巧な呪符が綺麗に収められている。
「偽装IDの肩書きは『横浜・山手の画商』にしといたよ。当日まで会場の詳細な場所は明かされないことになっているけど、おそらく瀬戸内海のどこかだ。関東からわざわざ買い付けに来たって設定のほうが、地元の連中からローカルな探り入れられにくいし、潜入しやすそうっしょ?」
「え、めちゃくちゃいいじゃん!」
五行における『水』の気と、画商という設定の相性は抜群にいい。
それに、西側の会場で会場近辺の業者の名を騙るとボロが出る可能性もあるが、よそ者なら深くは追及されないはず。完璧な準備だ。
(……けど、絶対お金は搾り取られそう……)
完璧すぎる手配だからこそ跳ね上がるであろう請求額に、私はじとっとした警戒の目を向ける。
「で、いくらなの?」
「お友達価格で、〆て百五十万」
「結局トータル五百万じゃん!」
私は思わず両手の拳でカウンターをダンッと叩いた。
さきほどの天緋金に関する情報料が三百五十万。それに今回の潜入セットの百五十万を足したら、見事なまでに五百万だ。
大きな出費にこの場で突っ伏してワーワーと泣き喚きたい衝動に駆られる。
(後で姫ちゃんに泣きついて、割のいい高額案件をいくつか斡旋してもらわなきゃ……ッ!)
心の中でドバドバと血涙を流しつつも、今は背に腹は代えられない。
私は渋々自身の端末を操作し、湊の裏口座へ要求された金額を即座に送金した。
「相変わらず、商売上手で何よりです……」
「えーー、これでも俺、琥珀ちゃんのこと応援してんだよ? 結構サービスしてんだから」
(……それもそうか。この特級呪符だけでも、本来なら百万はくだらないはずだ)
痛い出費には違いないが、決してぼったくられているわけではない。むしろ破格の待遇だ。
私は一つ息を吐くと、カウンターの上のタブレットから詳細データを自身の端末に転送し、偽装セットの入った黒いケースをしっかりと受け取った。
「それじゃ」と短く挨拶をして踵を返すと、ふと、湊の柔らかな声が背中に投げかけられた。
「……派手にぶっ壊すのは良いとして――ちゃんと無事に帰ってきてよ」
いつもの飄々とした胡散臭さは鳴りを潜め、その響きには確かな気遣いが滲んでいる。
私は振り返り――恐れなど微塵もない、少年のような痛快な笑みを浮かべてみせた。
「当たり前!」
ひらひらと手を振る湊に見送られ、私は薄暗い熱帯魚屋を後にした。




