File-08【機密事項】対象の霊力開放――偽りの太陽
※本話は、R15程度の残酷描写(流血・拷問表現)が含まれます。痛々しい描写が苦手な方は、閲覧にご注意ください。
床一面に刻まれた幾何学的な呪陣が、青白く冷たい光を明滅させている。
かつて土着神を祀り、今なお『水神の霊脈』が息づく地下空間は、今や呪具を製造する工場へと改造されていた。
陣の間を縫うように這い回るのは、血管のように脈打つ銀色の太いパイプだ。
空間の奥で稼働しているのは、人間の手を一切介さない自動鋳造ライン。
無機質な機械の腕が規則正しく動き、次々と『型』を造り上げていく。
そこへ、パイプを伝ってきた超高熱の『真紅の溶解液』が、間断なく流し込まれる。
すかさず、生きた霊脈から汲み上げられた神聖な冷気が、冷却材として型に容赦なく吹き付けられた。
ジュゥゥッ――と、肉が焼けるような音が響き、金属が急速に冷え固まっていく。
型の中から姿を現したのは、寸分の狂いもない精巧な『杭』の群れだった。
途切れることなく、効率的に。
清らかな神の力すら、呪具を吐き出す製造ラインに組み込むその光景には、金行の本質である冷徹な異常性が満ちている。
だが、その冷え切った機械の空間には、ひどく不釣り合いな匂いが充満していた。
換気システムから絶え間なく流し込まれる、甘く重い白檀の香りだ。
その香りの出所を辿るように、視線をプラントの最深部――鋳造ラインの『中心』へと向けると、そこには無骨な鋼鉄の枠があった。
幾重もの銀の鎖と太い管によって、一人の『少年』が磔にされている。
未成熟な危うさを残した細い肢体。
過酷な拷問の只中にあってなお、見る者の呼吸を忘れさせるほどの凄絶な美しさが、そこにはあった。
長く日の光に当たっていない白すぎる肌には、冷や汗に濡れた灰色の髪が張り付いている。
緩やかな弧を描く切れ長の目元。長い睫毛が落とす、儚い影。
血の気を失ってなお艶やかな唇が、絶え間ない苦痛に微かに引き攣っていた。
彼の四肢には『幻惑と忘却の呪釘』が深々と打ち込まれ、傷口を抉るように無数のチューブが突き刺さっている。
先ほどからプラントへ送り込まれ続けているあの真紅の溶解液は――すべて、この少年の体から直接吸い上げられたものだ。
意識を奪う『幻惑』と、記憶を奪い去る『忘却』。
自我さえ崩壊しかねない拷問の底で、彼にはただ一つ、『琥珀』という少女の記憶だけが命のよすがとして刻み込まれている。
ゆえに、虚ろな瞳の奥には、今も鮮やかな緋色が呪わしく灯っていた。
だが、その『彼女のために生きようとする意志』が、皮肉にも彼を地獄に縛り付けている。
彼が生きようともがくたび、防衛本能によって傷口から滲み出す液状の霊金――『天緋金』。
彼を護るために生み出されるそれは、無機質なポンプの音とともに、今日も無慈悲に吸い上げられ続けているのだ。
そんな無機質な工場に、コツ、コツと、冷たい床を打つ足音が響いた。
「――可哀想に。痛いね、緋月」
鈴の音のような声に、濃い白檀の香り。
白檀はかつて、緋月と琥珀が暮らした邸宅で焚かれていた香だった。
「こ……はく……?」
強まる懐かしい匂いと声に反応し、朦朧としていた緋月の肢体がビクンと跳ねた。
掠れた声とともに、虚ろな緋色の瞳が縋るように女の姿を捉える。
さらりとした銀髪に、猫のように丸い金色の双眸。
歩み寄ってきたのは、琥珀だった。
いや――声も、姿形も、彼女そのものの姿をした『女』だ。
女の髪には、美しい装飾櫛が挿してある。
女は優越感に歪む口元を隠し、背後から斜十字の鉄枠越しに緋月へと抱きついた。
「そうよ。私が楽にしてあげるからね」
無防備に晒された彼のうなじ――霊的な急所である盆の窪。
女はそこへ顔を埋めると、ちゅっ、と粘着質な音を立てて吸い付いた。軽く歯を立て、唇を這わせる。
「ぅあっ……ぁ……」
意識を限界まで奪われた緋月にとって、それは愛する者から与えられる唯一の安心感だった。
偽りの愛情に騙された緋月は、抗えない麻痺と快楽に身を反らせ、自ら霊力のパスを全開にしてしまう。
その瞬間、工場のラインがけたたましい駆動音を上げて一斉に稼働した。
ズズズズッ! と、緋月の手足に繋がれた管から、莫大な量の赤い液状金属――最高純度の天緋金が、暴力的な勢いでポンプに吸引される。
呪陣が彫り込まれた無数の型へと、濁流のように流し込まれていった。
同時に、緋月のうなじから漏れ出た濃厚な霊力の残滓が、女の喉を通って下腹部へと流れ込み、刻まれた『偽胎の呪印』を赤く発光させる。
――そこは、気血の巡りや生命力の源である『丹田』の領域。
本来、人間が自らの内側で静かに養うべきエネルギーの器を、他人の力で強制的に拡張し、その力を掠め取るための禁忌の術式。
それが『偽胎の呪印』だった。
呪印が焼けるような熱を帯び、彼女の腹を底から満たしていく。
「あぁ……っ、いいわ……緋月、もっと……」
女は琥珀の顔で、恍惚の吐息を漏らした。
あの憎き女の顔を纏い、緋月のすべてを自分の胎へと注ぎ込ませる背徳的な悦び。
このまま彼を吸い尽くしてしまいたい。そう激しい優越感に酔いしれていた、その時だった。
「――随分と熱心な業務態度だな。感心するよ」
水を差すような冷たい男の声が響き、女は苛立ちを隠さぬまま舌打ちをして振り返った。
工場の暗がりから姿を現したのは、深緑の袴に落ち着いた色合いの着物をまとった男だった。
冷徹な工場に、旧家の和装という異質な姿。
冷ややかな眼鏡の奥にある細い瞳には、部下を労う様子など微塵もない。
ただ、目の前の『消耗品』の損耗具合を値踏みするような、冷ややかな検分の光が宿っていた。
工場の進捗管理を行う管理職――金行本家の人間だった。
「……何の用よ。見てわからないわけ? 私は今、効率よく霊力を回収して……」
「ああ、見事なものだな。まるで本物の『雌犬』のようだ」
男は鼻で笑うと、手元のタブレットに目を落とした。カチャ、と乾いた電子音が駆動音に重なる。
「彼の方からの伝言だ。次のオークションに向けて、『あの呪具』があと十ロット必要だ。少し遅れが生じているようだが……そこの『設備』の調子はどうだ?」
「設備だなんて、酷い言い方」
女は緋月の肢体に絡み付き、髪に挿した櫛を自慢げに撫でつけながら鼻で笑った。
「見ての通り、絶好調よ。私がこうして彼を上手に『扱って』あげているのよ? 多少の遅れなんて、なんてことないわ。おかげで私の中にも、極上の力がどんどんストックされていくんだから」
男は、女の下腹部で不気味に赤く明滅する呪紋を、まるで汚物でも見るような酷薄な目で一瞥した。
――その呪印が、猛烈な勢いで女自身の生命力と寿命を食い潰している事実など、当の本人は微塵も理解していない。
「そうか。お前が優秀な『看板娘』で助かるよ。くれぐれも、表舞台でボロを出さないようにな」
「当然でしょ。私は彼の方に選ばれた、特別なパートナーなんだもの。天緋金の術師として、最高のショーを見せてあげるわ」
女は得意げに胸を張った。
ただひたすらに、自分が琥珀からすべてを奪い、五行界の頂点に立つ無敵の術師なのだと、滑稽な優越感に酔いしれていた。
だが、そんな彼女の甘い幻想を断ち切るように、男は冷たく言い放つ。
「あまり私欲に溺れて馬鹿な真似をするな。許容量を超えて霊力を溜め込めば、その『偽胎の呪印』がオーバーフローを起こし、お前の内側から身を焼き尽くすぞ。……そうなれば、ただの廃棄ロスだ」
ぴしゃりと言い放つと、男は背を向けた。
「さっさと次の吸い出しの準備をしろ。――仕事の遅れは許さんよ」
⭐︎
男の足音が冷たい床を打って遠ざかり、重い鉄扉が完全に閉ざされる。
地下牢のような工場に、再び機械の単調な駆動音と白檀の香りが満ちた。
「……はっ、無知な下っ端が。私の何が『雌犬』よ……!」
女はヒステリックに声を張り上げ、誰もいなくなった暗がりを睨みつけた。
誇らしく胸を張っていたはずの手が、小刻みに震えている。
『設備』『廃棄ロス』――男が告げた冷酷な現実が、彼女のプライドをズタズタに引き裂いていた。
「違う、私はただの消耗品なんかじゃない……! 私は、この世界で唯一、緋月を完璧に扱い、その力を引き出せる特別な術師よ……っ!」
捨て台詞のように喚き散らしながら、女は狂暴な怒りと焦燥の矛先を、金行の至宝と呼ばれる人物へと向けた。
――すべては、琥珀のせいだ。
本物の琥珀の姿形と匂いを盗み、この身に纏っているというのに、なぜ自分はあの男にあんな侮辱を受けなければならないのか。
憎悪に満ちた視線が、鉄枠に磔にされた緋月を射抜く。
その時だった。
「……こはく……?」
痛みに耐えかねたように、緋月がうわ言のようにかすれた声を漏らした。
虚ろに濁った緋色の瞳が、目の前の女を見上げる。
そこに映っているのは、間違いなく愛しい『琥珀』の姿だった。
だが、その掠れた問いかけに、女のなけなしの理性がプツリと切れた。
「――っ、うるさい! その口であの女の名前を呼ぶな!」
逆上した女は、乱暴に緋月の細い頬を爪の先で強く引っ掻いた。
白い肌から鮮烈な赤い血が滲み、灰色の髪が乱れる。
「私を誰だと思ってるのよ! 私はお前を救ってあげてるの! 私だけを見て、私にすべてを捧げなさいよ……っ!」
嫉妬と屈辱を他者にぶつけるように、女は狂気のままに緋月の顎を掴み上げ、再びうなじや首筋に牙を立てた。
全身の霊力を暴力的に吸い上げ、自分のものだと思い込むために貪りつく。
(……っ、あつい……)
激痛と搾取の快楽の渦中、朦朧とする意識の中で、緋月は微かに思考を揺らしていた。
(――あれ……? 琥珀……?)
魂の深いところで、微かな違和感が疼く。
(……こんな……人だったっけ……?)
不器用だけど、太陽のように眩しく、優しかったはずの本物の面影が、目の前のグロテスクな執着に塗りつぶされていく。
(……琥珀……どこ……?)
胸の奥が冷たく締め付けられるような不快感の中で、緋月の思考は徐々に白濁し、深い闇へと沈んでいった。




