File-06【回想録】雨中の迷い猫(2) ――手負いの野良猫、喜んで飼いましょう
虚偽――。
「……まさか、土御門家を支える四家が一つ、金行・鳴神家が我が家門に偽証を立てたと……そう言いたいの?」
もしそれが事実であれば、単なる金行の内紛では済まされない。
特級事案の報告を偽造し、統括である土御門を欺く行為は、我が家門に対する明確な反逆に等しい。
鳴神の内部で何者かが、土御門の目すら誤魔化して『白虎の暴走』や『身内の醜聞』という嘘を隠れ蓑にし、水面下で独自の陰謀を進めているということになる。
それは我ら土行が最も忌み嫌う『五行の調和の崩壊』――最悪の場合、力を持った金行の暴走による、五行間戦争の火種に直結する看過できない事態だ。
この目の前の幼い少女は、自分の告発がどれほど巨大な『政治的爆弾』であるか、本当に理解して言っているのだろうか。
「妄言ではありません。はっきりした裏付けがあります」
為政者としての私の静かな威圧に怯むどころか、こちらの耳目が向いたことを確信したように、琥珀は一歩も引かずに言い切った。
その平坦な声には、熱も、悲嘆も、一切の感情が乗っていない。
ただ淡々と盤上の駒を解説するような、極めて冷徹な響きだった。
「私の内にいる白虎――ハクの記憶と、金行の記録を照らし合わせました。七歳の時、ハクは禍憑きの封印が破れるまで一切の力を外へ漏らしてはいません。白虎の力が古い封印を刺激する可能性に、ハク自身が気づいていたからです。十二歳の事件も、緋月が使ったのは禁忌の呪いなどではなく、高度な権限がなければ持ち出せない『本物』の双星比和の術式でした」
琥珀はそこで僅かに言葉を区切り、まるで事務報告でもするように、凄惨な過去の真実を口にした。
「互いを守るための力を欲した私たちは……大人たちの目を盗み、蔵の床にその術式を再現してしまったんです」
「……秘密で、双星比和の儀を?」
「はい。ですが、沙羅姫様もご存知のとおり、あれは本来、成熟した肉体を持つ大人のみが耐えうる術式です。早すぎる儀式を強行した結果、あの子の幼い器は彼自身が本来持つ膨大な霊力と、私を通して流れ込むハクの強大な神気に耐えきれず……致死量の負荷を引き起こし、自壊しました」
ひどく淡々とした告白だった。
自らの愚かさが招いた幼馴染の凄惨な死すらも、彼女は一切の言い訳を挟まず、極めて客観的な『事実』として並べてみせたのだ。
「分家の者が権力に目が眩んだという公式記録は、私たち――いいえ、私の罪を隠蔽するためのただの嘘です。私を本当の家族のように愛してくれたあの人たちと、緋月の純粋な祈りに、私が泥を塗ってしまった……っ」
言いかけて、琥珀はテーブルの上のマグカップをギュッと握りしめた。
指の関節が白くなるほどの強い力。
凪いでいた瞳の奥で、決して癒えることのない自責と、血を吐くような悔しさがほんの一瞬だけ激しく波打つ。
しかし、彼女は小さく息を吸い込むと、自らの心臓を再び分厚い氷で覆い隠した。
瞬きを一つした時には、もう元の冷徹な交渉人の目に戻っていた。
誰も信じられなくなった琥珀は、大人たちの目を盗み、本家の書庫や記録を漁り続けたという。
高度な結界の仕組みを独学し、過去の点検記録や管理規則のログを照らし合わせ、三年もの歳月をかけて点と線を結びつけたのだ。
「最初は、ただの偶然だと思いました。ですが、七歳の時も、十二歳の時も、偶然にしてはあまりにも完璧なタイミングで、現場のセキュリティに致命的な穴が空いていたんです。事件前後の『日常業務の決裁記録』を徹底的に洗い出して……ようやく、それが意図的に仕組まれた『死角』だったと気づきました」
「……意図的な、死角……?」
琥珀はマグカップから静かに手を離し、一段と声を落とした。
ここから先は、単なる推理の発表ではない。
自分と家族を地獄に叩き落とした悪魔を告発する、研ぎ澄まされた刃の切っ先だった。
「ええ。原因は、『業務効率化』や『管理強化』を名目とした善意の通達です。犯人は何ヶ月も前から少しずつルールを変更し、現場に怪しまれないよう、じわじわとその死角を作り出していたんです」
「……ッ」
「――そのすべての通達を起案し、凄惨な事故の直後、現場へ真っ先に駆けつけて……血まみれの私を保護した人間。それが、鳴神家の中枢にいる『同一人物』であることも」
「……それが誰なのか、貴女は分かっているのね?」
「はい」
琥珀が静かに口にしたその『名前』は、鳴神の権力のトップ――金行のあらゆる掟と記録を支配し得る者の名だった。
思わず息を呑む私をよそに、琥珀は居住まいを正し、ここで初めてまっすぐに私の目を見据えた。
その瞳は、助けを求める子供のものではない。対等な取引を持ちかける、したたかな交渉人のそれだった。
「ですが、誰が黒幕かということ以上に恐ろしいのは、物的証拠から導き出されるその人物の『目的』です」
「……目的?」
「もし私を殺すことが目的なら、手口が回りくどすぎます。黒幕の引き起こした事故は、結果として『私の周囲の保護者』だけを的確に排除しました。さらに黒幕は、事件の公式記録を改ざんし、すべての責任を現場責任者や私に押し付けることで、私を金行内で政治的に完全に孤立させた」
「……」
「保護者を奪い、周囲から孤立させ、その上でただ一人『私だけはお前の味方だ』と唯一の理解者を装って恩を売る。……この一連の盤面操作が示す合理的な結論は一つしかありません。黒幕の真の目的は暗殺ではなく、私を精神的に追い詰め、依存させ、『手駒』にすることです」
琥珀はそこで言葉を区切り、その瞳に、研ぎ澄まされた氷の刃のような光を宿した。
「……ですが、私はあいつの思い通りに飼い慣らされるつもりはありません」
「……」
「しかし、金行の内部にいる限り、私はあいつを裁けない。組織のルールも、人事も、公式記録も、すべてがあいつの掌の上です。正攻法では絶対に勝てない。……だから、私はあの家を捨てます。奴の思い通りに動く盤面から、私という『最大の駒』を消し去るために」
それは逃亡ではない。
奴の首を獲るための、極めて冷徹で気高い『戦略的撤退』の宣言だった。
琥珀は一切の瞬きもせず、金行の次期当主としての地位も、一人の人間としての温かな未来すらも、まるで不要な『物』のように切り捨ててみせた。
「万が一黒幕が私を洗脳し、白虎の力を手に入れれば、沙羅姫様が重んじる五行のパワーバランスは確実に崩壊します。……ですから、私を買い取って、金行本家から白虎を『喪失』させてください。それが土御門家にとっても、最高のリスクヘッジになるはずです」
背筋が凍るような、完璧な理詰めだった。
十五歳の少女が、自らの家族が惨殺された地獄の陰謀を、推論と消去法によって暴き出し、あろうことか「五行の政治的リスク」としてプレゼンしているのだ。
「私を食客として迎え入れていただけるなら、白虎の力はすべて五行の調定と禍憑き祓除のために使います。私は、沙羅姫様が金行の腐敗を切り裂くための刃になる」
言い終えると同時、琥珀は深々と頭を下げた。
「……これが、私からの取引です」
顔を上げた彼女の瞳は、凪いだ湖面のように冷たく、そしてひどく澄み切っていた。
ああ。なんという子だろう。
地獄のような孤独の中に三年も置かれながら、決して精神を壊すことなく、自らの心臓を氷で包むようにしてこの『完璧な反撃の理屈』を組み上げたのだ。
誰の同情も引こうとせず、ただ己の知性と気高さだけで五行の頂点と対等に渡り合おうとするこの美しい仔猫から、私はどうしても目を逸らすことができなかった。
「……いいわ。その取引、応じましょう」
気づけば私は、優雅に微笑み、彼女に手を差し伸べていた。
政治的な計算など、後から私がどうとでもしてやればいい。
ガラスの破片を噛み砕くような痛みにたった一人で耐え抜いたこの気高き仔猫を、今すぐ私の腕の中で守り抜きたいと、そう強烈に願ってしまったのだから。




