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同位体の双星因果律〜金の姫は五行の摂理を紐解きます。ただし、相棒の愛は定義不能〜  作者: 迷子
序―天緋金編―

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File-05【回想録】雨中の迷い猫(1) ――「私を、食客にしていただけませんか!」

 五年前。酷く冷たい雨の降る日だった。

 視界を白く染めるほどの土砂降りの雨の中。


 外出から戻った私――土御門沙羅姫の目に飛び込んできたのは、重厚な門の前で泥に塗れて蹲(うずくま)る、小さな影だった。


 最初は、門前払いされた哀れな野良猫かと思った。


 けれど、車が近づき、雨の向こうにその顔が見えた瞬間、私は僅かに息を呑んだ。


――金行本家の姫君。


 かつて、退屈な夜会の片隅で「ひめちゃん」と私のドレスの裾を引き、愛らしい白虎を見せてくれた無邪気なあの子が、ずぶ濡れで我が家の門前に座り込んでいたのだ。


 たまらず車を降り、「……琥珀?」と名を呼ぶ。


 雨音に掻き消されそうな私の声に、彼女はゆっくりと顔を上げた。


 そして私と目が合った瞬間、極限まで張り詰めていた糸がぷっつりと切れたような顔をして。


「ひめ……ちゃん……」


 ずぶ濡れの姿で、目いっぱいに涙を溜めて、ぽろぽろと泣き出したのだ。


 後にも先にも、私が彼女の涙を見たのはこの時が最初で最後だった。


 どうしようもなく胸の奥を鷲掴みにされ、理屈を超えた庇護欲を激しく掻き立てられたのを、今でも鮮明に覚えている。


 すぐさま使用人に命じて湯浴みをさせ、清潔な服に着替えさせた彼女を、欧風建築の館の客間へと通した。


 少しして私が部屋へ向かうと、彼女は大きなソファにぽつんと座り、なみなみと注がれたホットミルクをちびちびと啜っていた。

 その姿があまりにも雨宿りをする仔猫のようで、私は愛おしさに目を細めた。


「久しぶりね、琥珀」


 私が声をかけると、彼女はハッとして慌ててマグカップを置き、立ち上がった。


「……沙羅姫様。お久しぶりです」


 先ほどの門前でのあどけない泣き顔はどこへやら、ひどく緊張した、強張った態度だ。

 その不器用な強がりがたまらなく愛おしくて、私は思わずくすくすと笑ってしまった。


「急に訪ねてくるなんてどうしたの? 家の者に連絡をくれてもよかったのよ?」


「それ、は……家には、バレたくなくて……」


 言い淀む琥珀を見て、私はすぐに『尋常ではない事情』を察した。


 金行の姫君が、護衛もつけずに一人で土御門に駆け込み、あまつさえ「バレたくない」と言う。


「あら、そうなの。じゃあ金行には秘密ね」


 さらりと答え、控えていた侍従に目配せをする。

 厳重な箝口令と人払いを命じると、琥珀はあからさまにほっとした顔をした。


「それで? 何か私に用事があって来たのではなくて?」


 彼女の緊張を解くように単刀直入に促すと、琥珀はギュッと拳を握り、意を決したように顔を上げた。


「私を、鳴神家には秘密で、土御門家の食客にしていただけませんか!」


「……へ?」


「私は白虎憑きですし、禍憑き掃討も得意です! だから……っ」


 唐突な願いを一気に捲し立てる琥珀に、さすがの私も面食らった。


 他行の息女を、それも『白虎憑き』という特級戦力を秘密裏に囲う?

 そんなことが露見すれば、金行と土行の間で間違いなく戦争が起きる。


 この小さな仔猫は、とんでもない火種を土御門家に持ち込んできたのだ。


 けれど、私の心に浮かんだのは政治的な恐れよりも、彼女をここまで追い詰めた要因への探求心と、どうにかしてこの震える背中を匿ってやりたいという純粋な情だった。


「いったん落ち着きましょう、琥珀」


「……私は落ち着いています……!」


 ムッとしたように唇を噛む琥珀。


 そのアンバランスな幼さと必死さに、私は小さく息をつき、優しく諭すように視線を合わせた。


「貴女は、家出をしてきたということね……?」


 気まずそうに、コクリ、と琥珀が頷く。


「それは、何か重大な理由があってのことよね?」


「はい……」


 私は彼女の真っ直ぐで、けれど今にも壊れてしまいそうな瞳を静かに見つめ返した。


「他言しないと誓うわ。だから、私に話してくれる?」


 私の静かな問いかけに、琥珀はぴたりと口をつぐんだ。

 膝の上でマグカップを握りしめる指先が、限界まで白くなっている。


 彼女は目を伏せ、長く、震える息をゆっくりと吐き出した。

 それはまるで、年相応の弱さや恐怖のすべてを、自らの手で分厚い氷の底へ封じ込めるための儀式のようだった。


 数秒の沈黙の後。


 再び長い睫毛が持ち上げられた時――彼女の纏う空気が、劇的に変わっていた。


 必死に自分を売り込もうとしていた幼さは完全に消え失せ、代わりに現れたのは、感情を限界まで削ぎ落とした酷薄なまでの理知。

 瞬きひとつせず私を見据える金色の瞳は、冷たく研ぎ澄まされたナイフのように鋭い光を帯びている。


 そこに迷いはなく、己の命すらも対価として差し出す覚悟が宿っていた。


 十五歳の琥珀は、静かに口を開いた。


「……沙羅姫様は、私の両親と幼馴染の一家が亡くなった事件をご存知ですか?」


 淡々とした問いに、私は小さく頷いた。

 五行を統括する土御門家として、他行の特級の不祥事を知らぬはずがない。


「ええ。金行からの公式な報告は聞いているわ。貴女が七歳の時、帯解の儀で白虎の力を暴走させ、古くから奥社に封印されていた禍憑きを解き放ってしまった痛ましい事故。……そして三年前、分家の者が権力に目が眩んで禁書の術式に手を出し、自滅したという事件ね」


 帯解(おびとき)の儀とは、七歳を迎えた術者の魂を肉体に定着させる重要な神事だ。

 とりわけ神獣という強大すぎる力を宿す琥珀にとっては、星回りと霊的磁場が完璧に合致する「その日、その時」に必ず決行しなければならない絶対の掟があったはず。


 そして、十二歳の時の事件――。

 それは五行全体に知れ渡っている凄惨な醜聞である。


 亡くなった両親に代わり、琥珀の保護者となった金行当主。

 その当主から直々に世話役を任じられていた分家の者が、あろうことか次期当主の呼び声高い琥珀の力を我が物にしようと企んだのだ。

 彼らは禁書庫から呪われた術式を盗み出し、結果として自身の息子である緋月を暴走させた。

 私、一家全滅という最悪の結末に至ったのである。


 私がその『事実』を並べると、琥珀は伏せていた長い睫毛を上げ、凪いだ瞳で私を見た。


「……それは、全て虚偽の報告です」


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