File-04【機密事項】自壊の末路 ――術師が成る果てのバケモノ
「……死んで終われるとでも?」
肺の奥まで重くまとわりつくような香気の向こうで、沙羅姫の赤い唇が弧を描く。
心臓を直接鷲掴みにされたような悪寒に、私はティースプーンを動かしていた手をピタリと止めた。
「……は、何の話」
双星比和の儀を受けなかった術師の結末を、自分でも調べなかったわけではない。
これから己の身に何が起こるのか、本家の古文書から五行界の情報屋まで使い、むしろ念入りに調べ尽くした。
その結果、儀式を受けない術者の末路は等しく『自壊』――すなわち死だ。
死んだ先のことなど記録されていないし、聞いたこともない。
僅かに声が上ずった私を、沙羅姫は逃げ道を塞ぐような酷薄な、けれどどこか憐れみを込めた瞳で見つめた。
「貴女は『アレ』を見たことがあるはずよ。……あの惨劇の夜にね」
ドクン、と。
嫌な音を立てて、心臓が大きく跳ねた。
『琥珀ちゃんは、生きて』
今朝見たばかりの悪夢が、鮮烈なフラッシュバックとなって脳裏に蘇る。
雪の妖精のように白く透き通っていた彼が、赤黒い汚泥のバケモノへと侵食されていく絶望的な光景。
人としての境界線を越え、異形へと堕ちかけていたあの虚ろな赤い瞳――。
「っ……」
呼吸が浅くなり、テーブルの下で握りしめた手にじっとりと冷や汗が滲む。
私の脳内を駆け巡る凄惨な記憶を、すべて透かして見ているかのように。沙羅姫は静かに紅茶のカップへ口をつけ、冷たい事実を淡々と語り始めた。
「強大な霊力を持つ術者が限界を迎え、自壊した時。その莫大な力は行き場を失い、砕けた『器』から外界へと暴走するわ。それはやがて、周囲に漂う人間の悪意や負の感情、この世の澱みといったものを、底なしのブラックホールのように吸い上げていくの」
優雅で静謐な声が、呪いのように耳へ流れ込んでくる。
「膨れ上がった悪意と霊力は、やがて術者の肉体と魂を醜く変異させる。人間の姿や記憶など保てるはずもない。理性を失い、ただ周囲を破壊し、穢れを撒き散らすだけの肉塊と泥のバケモノ――『禍憑き』へと成り果てる」
沙羅姫は音を立てることもなく、優雅にカップをソーサーへと戻した。
その完璧な所作が、かえって場の冷たい静寂を際立たせる。
「貴女も何度か対峙したことがあるでしょう? 時折現れる、ひどく強大な力を持った個体に。あれこそが、ただ死ぬことすら許されなかった、哀れな術師たちの成れの果てよ」
息が、詰まった。
じゃあ、あれは。
私が仕事で命がけで処理してきた、あの異常に強い異形たちは。
そして、あの夜。緋月が呑み込まれかけていたあの泥の姿は――。
「……緋月は、違う。あの子は……あの夜……」
震える声で反論しようとする私の言葉を、沙羅姫は残酷なほど優しく遮った。
「ええ。あの子は完全に堕ちる前に自ら命を絶った。けれど、それは奇跡的な例外よ。……もしかしたら、最期の彼に残っていたのが、一切の穢れがない純粋な想いだけだったからかもしれないわね」
沙羅姫がすうっと目を細め、私の瞳の奥を射抜く。
「けれど、今の貴女の胸にあるのは重く淀んだ復讐心でしょう? ……目的を果たした後に命を絶てば逃げ切れる、なんて甘い道はないわ」
心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
「呪いを抱えたまま死の引き金を引けば、それこそが最悪の禍憑きを生み出す呼び水になる。貴女の大切な記憶も、ご両親やあの子への想いも、すべて泥に溶かすの。それでも構わないと言い切れるかしら?」
たまらず両手で顔を覆う。じっとりと冷たい汗が、指の隙間を縫って頬を伝い落ちた。
「……ハクは」
喉が引き攣り、うまく呼吸ができない。
「私が自壊したら……ハクはどうなる……?」
震える唇から、祈るように絞り出された掠れ声。
その問いに、沙羅姫は静かに首を横に振った。
「神獣憑きが禍憑きと化した前例の記録は、さっきも言ったとおりどこにもない」
僅かに安堵しかけた私の心を、続く言葉が冷酷に打ち砕く。
「でも、貴女の魂と白虎は深く繋がっている。残念ながら……自壊の渦に呑まれた時、神獣が巻き込まれないという保証はないわ」
絶望が、足元から這い上がってくる。
両親も、緋月も、緋月の両親も。
周囲の人間を死に追いやってばかりの私なんかに、ハクは赤ん坊の頃からずっと寄り添い、守り続けてくれた。
私みたいな呪われた人間より、ハクの主にはもっと相応しい、気高く清らかな術師がいるはずだ。
だからこそ、私が死んで『器』としての役目を終えれば、新たな白虎憑きが生まれ、ハクも私から解放されて幸せになれるのだと思っていた。それなのに。
私の身勝手な目的のために、ハクまであの悍ましい泥のバケモノに引きずり込むというのか。
(だめだ。それだけは……絶対に)
恐怖と罪悪感に、肺の奥がギュッと冷たく締め付けられる。
酸欠の魚のように、喉の奥から浅い息が漏れるばかりだった。
私のそんな惨めな姿を、沙羅姫は静かに見つめていた。
やがて、彼女はふっと息をつくように視線を伏せ、つぶやく。
「……五年前の貴女も、そうやって一人で震えていたわね」
まるで遠い日の記憶を手繰り寄せるように――。




