File-03【重要案件】五行頂点の姫君 ――ブラックコーヒーはまだ飲めません
数時間後。
私は都内の高級ホテルにある、会員制ラウンジに呼び出されていた。
穏やかなジャズピアノが流れる、この上なく優雅で豪奢な空間。
本来なら極上のリラックスタイムを約束してくれるはずの場所だが、今の私にとっては少々居心地が悪い。
これから五行の頂点に君臨するお姫様に『正論パンチ』を喰らわされるのだ。
そんなバツの悪さを抱えながら視線を向けたフロア最奥の特等席で、土行本家の令嬢――土御門沙羅姫は、静かに紅茶の入ったカップを傾けていた。
艶やかな黒髪の姫カットに、アンティークレースをあしらったモダンなドレス。
彼女が放つ浮世離れした妖艶さは、周囲の空気すらも支配しているようだった。
五行において『土』は万物の中心であり、頂点に君臨する属性だ。
さらに「土生金」――土の中から金属が産み出されるという理がある以上、土行は私たち金行にとって絶対的な母体であり、本能レベルで逆らえない相手でもある。
その「金を生み育てる」という理のせいか、公的な場では「沙羅姫様」と恭しく呼ばれる土行の次期当主だが、私にとっては今や親戚のお姉さんのようなものだ。
もっとも、どれだけ私が反抗して憎まれ口を叩こうが、結局はすべてを見透かされ、掌の上で転がされてしまう。
頭の上がらない、最高に食えない相手でもあるのだが。
私が正面のソファにドカッと腰を下ろすと、たまらず愚痴が口をついて出た。
「聞いてよ姫ちゃん! 金行の連中が、私の城に大量の封書を送ってくるの! おまけに、触ったら指がスパッと切れちゃいそうなくらい嫌ったらしい霊気まで乗せてきてさ! もうやだやだーー!」
紅茶のカップを優雅にソーサーへ置いた沙羅姫は、私の剣幕などどこ吹く風で、くすりと妖艶な笑みをこぼした。
「あら、お掃除のきっかけになって良かったじゃない? そんなに大きなお城でもないし」
(この……生まれながらのお嬢様が……!)
悪びれもせず放たれたナチュラルな嫌味に、私は内心で奥歯をギリッと噛み締める。
しかし、反論の言葉を紡ぐ前に、沙羅姫は小さく息をついた。
「それにね、あなたのお家ったら、私にまで『琥珀を家に帰すように』と連絡をくださるのだもの……。流石の私も、少々困ってしまったわ」
困ったと言いつつも、その端正な顔には微塵も困惑の色など浮かんでいない。
むしろ、この厄介な状況すらもティータイムの話題として消費するような余裕すらあった。
とはいえ、私の最大のパトロンであり取引先でもある彼女にまで、鳴神家の声が及んでいるとなれば、完全に分が悪いのはこちらだ。
「それは……実家がご迷惑をおかけして、すみません……」
途端に勢いを失い、私がしゅんと肩を落として視線を逸らすと、沙羅姫は楽しげにくすくすと笑った。
「ふふ、いいのよ。で、いつまで意地を張る気なの?」
穏やかなティータイムの空気はそのままに、彼女は優雅に首を傾げる。
「……別に、意地を張っているわけじゃないよ」
私は小さく息を吐き、自分用に用意されたコーヒーに、銀の小さなピッチャーから限界までミルクを注いだ。
行儀が悪いと知りつつもテーブルで頬杖をつき、白く濁っていく水面をティースプーンでくるくると気怠げにかき混ぜる私の姿を、沙羅姫が愉快げに見ている。
「……私は古臭いしきたりに付き合う気がないっていうか、本家とはもう住む世界が違うってだけ」
ジトッとした半目で沙羅姫を見返し、面倒くさそうにぼやく。
私の両親が命を落とした時も、緋月とその両親が凄惨な死を遂げたあの事件の時も。
金行本家の人間たちは、誰一人として涙を流さなかった。
ただ『貴重な血と戦力の損失』として事務的に処理し、翌日には何事もなかったかのように冷たい日常へと戻っていったのだ。
私だけを取り残して。
感情を捨てることを美徳とする彼らとはもう交わる気がない、だから家を出たというだけのことだ。
「金行次期当主、なんて担ぎ上げられているんじゃなくて?」
「ハッ、誰が」
クスクスと笑う沙羅姫をジト目のまま睨みつけるも、彼女はどこ吹く風だ。
「あいつらは白虎の力を自分たちの都合の良いように使いたいだけ。あの白い手紙は、術式が決めた見知らぬ相手と魂を繋げという――まあ、どうせお目付役でも引っ付ける算段なんでしょうけど。私に『首輪』をつけろって催促状だよ。反吐が出る」
「まったく強情ね。金行の石っころは、一度固まると融通が利かなくて困るわ」
「土行の泥に塗れるよりマシですー」
すかさず憎まれ口を叩き返す私に、沙羅姫はまるで手のかかる妹を慈しむように、優雅に目を細めてみせた。
「ふふ。貴女の努力も、あの家に対する激しい憎悪も、痛いほどわかっているわ。貴女が十五歳の時、単身で私の家に乗り込んできた日のことは、昨日のことのように思い出せるもの」
あの日の私を労うような、深く優しい声。
けれど、その甘い響きの奥には、決して有無を言わせない強固な意志が宿っていた。
「だからこそ、言うのよ。本家の思い通りに飼い慣らされろとは言わないわ。でもね、琥珀。貴女自身の命を繋ぐために、『双星比和の儀』だけは絶対に受けなさい」
間髪を入れず、彼女は静かに続ける。
「あれは、ただの血統管理の縛りじゃないわ。私たち短命な術師を生かすために、私の先祖が心血を注いで編み出した『救い』なのよ」
私が反発するようにわずかに視線を伏せると、彼女はさらに言葉を続ける。
「それに、術式で決まる双星の相手というのも、決して悪いものじゃないわ。……ねえ、嶺?」
沙羅姫がカップから視線を外し、自らの背後へと優雅に呼びかける。
そこに音もなく控えていたのは、漆黒のパンツスーツを完璧に着こなした長身の女性だった。
砂色の髪を後ろでタイトな一つ編みにした彼女――沙羅姫の『双星』である嶺が、主の呼びかけに恭しく一礼する。
「恐縮でございます、姫様」
静謐で感情の揺れを見せない涼やかな声が、心地よく響いた。
嶺は沙羅姫を絶対の主として敬い、傍らで支え、時には毅然と諫言を呈する。
主従の絆と深い信頼で結ばれた『完成された双星』の姿を、これまで何度も目にしてきた。
女性同士の深い理解者として、背中を預けられるパートナー。
正直に言えば、そこに微かな憧れがないと言えば嘘になる。
――けれど、私の双星は……。
彼が凄惨な死を遂げた後も、私はあの日の約束を何度も何度も思い出した。
『――もしも、緋月が私の双星だったら』
そんな叶わぬ願いを祈るように反芻するうちに、彼との記憶はほどけない楔のように打ち込まれていき、正直、歪な信仰に近いほど拗らせている自覚はある。
けれど、それが今の私にとって眩しいほど輝く『光』なのだ。心のいちばん奥深くで、あの約束は綺麗なまま時を止めて眠っている。
分厚いガラスケースに閉じ込めるようにして、誰の指先ひとつ、絶対に触れさせない。
誰にも汚させるつもりはない。
私が生きる道は、私の意志で選ぶ。
本家があてがった相手と番い、あいつらの作った悍ましい盤面の一部になることなど絶対に承服できない。
それは、緋月の命懸けの犠牲を無かったことにするのと同じだ。
私から大切な人たちを理不尽に奪い去った『あの惨劇』にケリをつける。
己の目的さえ果たせるのなら、その先の余生に未練などない。
延命のための儀式への断固たる拒絶を示すように、私が頑なに口をつぐんで睨み返すと、沙羅姫はふたたび私へと視線を戻した。
その瞬間。
彼女が纏う空気が、ふいに一段階低くなった。
肥沃な大地のように穏やかだった空気が、巨大な岩盤のような重圧へと変わり、息苦しいほどのプレッシャーが空間を支配する。
「儀式を受けなければ、あなたは十年足らずで確実に自壊するわ」
そう、儀式を受けない術者の末路は自壊――
すなわち『死』だ。
過去にも儀式を拒んだ術者は少なからずいる。
二十歳から短くて十年、長くても二十年の命。
そして、その寿命は術者の霊力が強いほど短い傾向がある。
「……私にはハクがいる」
私は岩盤のような重圧に抗うように、静かに言葉を返した。
「あの子と魂のパスを繋ぎ、霊力を分け合っている。だから、すぐに自壊するようなことには――」
「甘いわね」
ピシャリと。
すかさず飛んできた冷徹な言葉に、私は眉を顰めた。
「残念だけれど、『神獣憑き』の術師が自壊した記録は、土御門家の禁書を紐解いてもどこにも残っていなかったわ。ハクとのパスが安全装置になる確証なんて、どこにもないのよ」
「ちょ、禁書まで調べたの……?」
思わず目を見開いた私に、沙羅姫は酷薄なまでに美しい顔で静かに頷いた。
「ええ。……だからこそ言っているの。状況はむしろ、逆よ」
「……逆?」
「神獣の強大な『神気』を常に身に帯び、パスを繋ぎ続けているということ。それが人間の脆弱な器にどれほどの負荷をかけているか……貴女自身が一番よくわかっているはずよ」
痛いところを突かれ、私はぐっと言葉に詰まった。
彼女の言う通りハクの力は強大すぎる。
私に残された時間は約十年……いや、十年もないかもしれない。
だが、それでいい。
確実に目的を果たしてみせる。
そうすれば、いつ死んでも構わない。
私がフッと自嘲気味に鼻で笑ってみせると、彼女はテーブル越しにすうっと上体を乗り出してきた。
長い黒髪が外界を遮るカーテンのように垂れ下がり、深く燻された薫香が鼻を突く。
沙羅姫の林檎のように赤い唇が、突きつけるように『残酷な真実』を紡いだ。
「……死んで終われるとでも?」




